まず、誕生の経緯を教えてください。

企友会は1987年に、当時の移住者の会の役員会で生まれました。役員の一人であったピーター久保谷さんが、全カナダの日系人会議でトロントを訪れた際に「新企会」の活動を目の当たりにし、こんなビジネス団体をバンクーバーにも作れないものかと移住者の会の役員会に提案したのが始まりです。当時の役員は12名。議論の末、役員会の総意としてバンクーバー版新企会の創設を決定したのです。そして、この新しいビジネス団体の当面の活動、例えば広報や会議の運営、それに資金の面でも移住者の会でサポートしていくことを決めました。モデルになった新企会とは、現在もトロントをベースに活発に活動している、日系のビジネス団体です。
記念すべき企友会の第一回会合はこの年の11月に、ヘイスティングス通りのKokoレストランで開催されました。正確な記録は見ていませんが、100人近い人が集まったと聞いています。この席上でこの新しいビジネス団体の名称も議論されました。多くの候補が挙げられましたが、退職移住で来加して移住者の会の役員をしていた楳林次男さんが企友会という名前を提案し、多数決で決まりました。そして、初代会長にはピーター久保谷さんが選ばれています。

ということは、企友会は移住者の会の下部組織、あるいは同じグループだったということでしょうか。

いいえ、当初は移住者の会からのサポートを受けて活動するなど、深い関わりを持っていましたが、組織の形態としては最初から独立していました。
当時の移住者の多くは日本でまずカナダ永住権を取得し、その後JICA(国際協力機構)などの支援で渡航先の文化や生活習慣、言語などを一定期間、合宿のような形で学び、移住先の国に初めてやってくるというパターンが多かったのです。つまり、生まれて初めてカナダにやってきたという永住者が一般的でした。
そして、バンクーバーには移住者の会があるということをJICA(国際協力機構)の担当者などから聞いていたので、来加してすぐに移住者の会を訪ねる人が多かったと聞いています。みんなすぐに職と住まいを探さなければならず、それが大きな関心事でした。移住者の会に集まり、面接などの方法や要領を先輩たちから聞いたりする中で、そうしたビジネス関連のフラクションのような集まりを作ろうという雰囲気が広がり、新しい会を誕生させて育てていこうという機運が醸成されていったものと思います。

企友会の発展の過程はどんなものでしたか。

最初は任意団体として、ビジネスに関する情報交換を会員間でやっていた企友会でしたが、アンディ九十九さんが第4代会長になった頃から変わり始めました。九十九さんは「日本人のための一日経営大学」というセミナーをスタートさせたり、企友会の公益法人化を実現しました。公益法人にするには、組織の形も整備する必要があります。正式名称をKiyukai Business Associationに決定して、英語の会則を作りました。現在の顧問制度もこの時に策定したものです。
次の大きな成長期が1994年から2000年まで会長を務めた山縣洋三さんの時代です。企友会の会報である『Breeze』を発刊し、トレードフェアを開催しました。トレードフェアはホテルの大きな会場を借り、日系のビジネスを紹介する多くのブースを設置した大規模なものでした。またバンクーバー貿易懇話会や日本国総領事館とのパイプを更に太いものにするなど、互助会的な性格の団体から公益性も視野に入れた組織への脱皮を図ったのが、この時代でした。
私は山縣さんの後、2001年から2004年にかけて会長をさせていただきました。『Breeze』をオンライン化したほか、今年で10回目を迎える日系ビジネスアワード・クリスマスパーティを開始しました。さらに企友会の和文名称を「企友会・バンクーバー日系ビジネス協会」として、ロゴも作りました。
続いて吉武政治さんの会長時代(2005年から2008年)。その間、2007年9月に企友会が20周年を迎え、盛大に記念パーティを開催したほか、日本で活躍する有数の若手起業家グループを招いてのビジネスセミナーも実施しました。これは彼らが結成したJBN(Japan Business Network)という、マネージメント、ファイナンス、リーダー教育、組織・人事戦略などを目的とするグループを中心とした、セミナーとパネルディスカッションでした。
バンクーバーさくらフェスティバルの関連イベントとして行っている「ジャパンフェア」は企友会を含めた6団体が加盟する日系経済団体連絡協議会が発案したものです。これは猪田雅公さんが2009年に会長に就任したときのことで、この運営には企友会も積極的に協力してきました。また、ビジネス中心の企友会ではありますが、祈りのために千羽鶴を折るという日本の習慣をバンクーバーの人たちと分かち合おうと、バンクーバー冬季五輪に際して五千羽鶴プロジェクトを行いました。
そして、今年からは松原雅輝さんが会長で、10月29日には企友会設立25周年記念レセプションと特別講演会を開催しました。

この25年で大きく進化を遂げたということですね。

そうです。そしてもうひとつ特筆すべきこととしては、企友会の活発な活動は多くのボランティアの皆さんの活躍と献身に支えられているということです。私の会長時代に事務局長を務めていた猪田さんの発案で、ボランティアの皆さんの力を活用させてもらおうということになりました。現在では企友会の活動に関心を持って集まってくださるボランティアの方々も増え、おおいに活躍いただいています。カナダでの起業に関心がある、あるいはここで働きながら生活をしたいという人はたくさんいらっしゃいます。そういう方々が企友会のボランティア活動に参加してくださっています。現在、登録している人の数は200人程度に及ぶと聞いています。
会の活動を支え、運営してくれている理事の皆さんも同じですが、こうしたボランティア活動は楽しくなければ続きません。そういうふうに継続的にできるように考え、工夫していくことが重要です。

節目の年を迎えて今後の目標のようなものがあれば教えてください。

これから3年程度をかけて、過去の資料の整理、編纂をやっていきたいと思っています。企友会25年の活動の中には大変貴重で有意義な資料がたくさんあります。そうした大切な資料の散逸を防ぎ、歴史をきちんと認識して把握しておくための重要な作業と位置づけています。その資料整理を通じて、バンクーバー周辺の日系企業家、特に小さな事業を展開している人たちが、どんな風にがんばってきたか、そしてどんな未来を築こうとしているか、多くの人に紹介することができたら素晴らしいと考えています。
もうひとつは古くて新しいテーマですが、決して強いとはいえない日系コミュニティの横のつながりを、少しでも改善していきたいと願っています。それにはまず、なるべくたくさんの機会を使って日系のほかのコミュニティと協働することを念頭に置きたいと思っています。
実は、日系ビジネスアワードも、そのような願いを込めて始めました。日系アワード大賞は日系コミュニティで最も活躍した人が、日系社会功労賞もコミュニティ発展のために努力をした人が対象で、どちらも会員、非会員を問わず選んでいます。特別賞だけは、「これからもがんばってください」という願いを込めて、会員、それもルーキーが対象です。また、ほかの日系団体と共催で行うイベントも数多く存在しています。このように、企友会単独の活動に留まらず、一歩踏み込んで協同で活動していくことを目標にしています。

新報の読者にメッセージをお願いします。

企友会はこの25年で随分、認知されるようになりましたが、よく知らないという人もまだまだいらっしゃいます。こんな団体があるのか、面白そうだな、と思える人は、思い切って覗いてみてください。とりあえず、扉をノックしてみると、世界が広がります。

企友会(バンクーバー日系ビジネス協会)Vancouver Japanese Business Association

web:www.kiyukai.org / Email:This email address is being protected from spambots. You need JavaScript enabled to view it.

 

(取材 西川桂子)

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。