始まりは、木曜日のブラウンバッグ・ランチ
日本で仕事をしカナダに戻ってきたカナダ人数人が、毎週木曜日の昼休みにブラウンバッグ・ランチを持って集まったことが始まりだった。同じ興味を持つ人たちが情報交換をしながら、日加の文化交流、ビジネス向上を働きかけることを目的に、1982年には正式にバンクーバー木曜会ソサエティーとして登録。初代会長に故デイビット・グラハム氏、副会長にデイビット・ウォレス氏、幹事にビル・マックミチェル氏、会計にイアン・ハッロプ氏が就任した。
日加間の友情を深めるための活動
その後理事会を設け、日加間の友情を深めるためのさまざまな活動を行ってきた。発足当初から続いているのが、ゲストスピーカーを招待してのブラウンバック・ランチ、毎月のハイキング、そして毎月第3木曜日に行われる呑話会(パブナイト)。
年間行事はピクニック、クッキングナイト、忘年会、新年会、酒テイスティング、お花見、野球ナイト。日本人にカナダの文化を紹介する意味で、そり滑り、カーリングも行っている。
日系団体とジョイント行事も
現在の会員数は約120人。非会員やボランティアも気軽に参加できるのが特徴だ。
この10年間は特に日加協会、パウエル祭協会、企友会、JET同窓会との友好関係も深め、Sakura Days ジャパンフェアなど、バンクーバーにおける日系カナダ人コミュニティーの行事を積極的にサポート。
2010年の冬季オリンピックでは、日本オリンピック代表団に声援を送るために5千羽の鶴プロジェクトに貢献。また2011年の東日本大震災後には、東北地方で被害を受けた人たちへの励ましのメッセージと義援金を送るなど、活動範囲を広げている。
元会長ケネス・ウォング氏のコメント
私は97年から98年の2年間、会長を務めさせていただきました。この30年間、木曜会が発展を続けてきたことをとてもうれしく思っています。特に現在の理事たちによって企画・準備された30周年記念ディナーはとても充実したもので、次の世代が着実に木曜会を守ってくれることを確信することができました。40周年記念が楽しみです。
同じ興味を持つ人たちが築き上げた信頼
会長マイケル・マーランド氏に聞く
この30年間でバンクーバー木曜会はどのように変わりましたか?
—発足当初は日本で仕事をしたことのあるカナダ人、企業人の集まりでしたが、その後は社交や文化交流の場として利用する人が多くなりました。日本と関わりを持つ人、日本文化に興味を持つ学生、旅行者、教師、またバンクーバーで勉強している日本人の若者やカナダでの新移住者など。ですからカナダ人と日本人だけでなく、他国出身者も参加しています。
小さな集まりから、大きなイベントに変わっていったこともひとつです。例えば呑話会には毎月だいたい80人が集まり、企友会とのジョイント・バーベキューには100人以上が参加しています。
どんな年齢層ですか?
—さまざまな年齢層とバックグラウンドを持った人たちが行事に参加していますが、比較的20代から40代の人が多いようです。お花見やバーベキューといった行事は家族で楽しんでいただいています。
マイケルさん自身と木曜会のつながりについて聞かせてください。
—企業人、学者などさまざまなバックグランドを持つ人が過去に会長を務めていますが、日本に対する興味と熱意は誰もに共通するものだと思います。
私自身は2002年から2005年に大阪の学校や企業で英語を教えてきました。その頃の楽しみは、日本人や外国人とハイキングへ行き、帰りに温泉や食事に行くことでした。カナダに戻ってから木曜会でハイキングをしていることを知り、早速入会していろいろなところへハイキングへ行きました。理事を経て会長になってからは、イベントの企画を通してたくさんの人に出会いました。
ファイナンシャル関係のソフトウエアを扱う会社で働き、日本語を使う機会もあまりありませんが、木曜会を通して日本との接点を保てることに感謝しています。
30周年を迎えた感想、今後の抱負などはありますか?
—30周年記念ディナーには80年代、90年代、2000年代からの会員と現在の会員が参加し、カナダと日本の長年のつながり、木曜会の継続を祝う素晴らしいものでした。この席で、創設者のデイビット・ウォレス氏とビル・マックミチェル氏が生涯会員として表彰されました。過去の行事のスライドショーを観たり、UBC終身名誉教授のジョン・ハウズ氏が発足当初の木曜会についてスピーチしてくださったのが興味深かったです。
バンクーバー木曜会は今後も、同じ興味を持つ人々との直接的な交流によって築き上げられた信頼を基本前提に、過去の土台を足場にし、次世代が作り出すエネルギーと共に活動を続けていきます。
(取材 ルイーズ阿久沢)
バンクーバー木曜会:www.mokuyokai.bc.ca