明治時代の「出稼ぎ」が移民の始まり

明治時代(1868年ー1912年)、日本の経済と社会はめまぐるしく変化していた。日本は欧米の技術や文化を取り入れて近代国家に生まれ変わろうとしており、重工業の発達や鉄道開業は、農村から都市への大規模な人口移動につながった。このような中で、職を求めて他の地域に出向き、そこで一時的に働き、やがては故郷に戻る「出稼ぎ」も多く見られた。
出稼ぎに行った長男はいずれまた故郷に戻り、結婚し家庭を持つ。家が裕福であれば、次男や三男も同じ村で家庭を持ち、分家するが、ほとんどの場合は次男や三男のための土地はなかった。そのため彼らは都市に移住し、企業に勤めるなどして土地を買うための収入を得た。初期の日本から北米への移民は、この「都市」が、日本国内の都市ではなく海外の都市になったものだ。

初期の日本人移民の多くは短期の出稼ぎ労働者

現在カナダでは、南米などの貧しい地域から来た多くの季節労働者が、カナダ人がしない過酷な農作業に従事している。これは、明治時代に日本からカナダに来た労働者がしていたことに非常に近いという。
初期の日本人移民には出稼ぎ意識が強く、渡航の目的はカナダに住むことではなく収入を得ることだった。移民のほとんどは独身男性で、彼らは白人の労働者よりもずっと安い賃金で働いたが、なんとこれは日本国内の労働賃金の約7倍だったと言われる。
彼らの目標は、カナダで得た収入を手に日本に帰り、土地を買って家を建て、伝統的社会の一員になること。つまり故郷に錦を飾ることだ。コバヤシ氏はこれを「パラドックス」と呼んだ。彼らは近代化の進む地域で働き、その発展の手助けをしながらも、自分たちは日本の農村で伝統的な暮らしをすることを望んでいたのだ。

日本人移民の増加とバンクーバーの日本人街

しかしやがて、日本から妻を迎えカナダに定住する日本人も増えていった。パウエル通りを中心として日本人街ができ、食料品店や銭湯、下宿屋などが軒を並べた。職業周旋業者も登場した。日本人移民だったコバヤシ氏の祖父も、自伝の中で当時の日本人街の様子を描いているそうだ。
パウエル通りは、もともとはカナダ人の公務員が多く住む通りだったが、この中流階級がキツラノ、フェアビュー、ショーネシーなどに移ったため、次第に移民の暮らす商業の盛んな地域になった。それに伴う建築物の興味深い変化を、コバヤシ氏は写真を交えて説明した。

製材所労働者として重要な役割を果たした日本人移民

鉄道の開通により、カナダの各地から木材が集まるようになったバンクーバーの経済は急速に発展し、製材業は全盛期を迎えた。1902年から1908年の間にバンクーバーには数多くの製材所が建てられ、それらの製材所は安価な労働力として日本人移民を受け入れた。日本人は製材所労働者として重要な役割を果たすようになったのだ。

カナダの日本人移民の多くは滋賀県と和歌山県出身

カナダへの移民は日本全国から均等に集まったわけではない。それは特定の地域から移民を呼び寄せる体制が整っていたからだ。製材業ではバンクーバーと関係が深かった滋賀県の湖東、漁業ではスティーブストンと関係が深かった和歌山県の三尾村からの移民が多かった。コバヤシ氏は講演の中で、長年蓄積したデータに基づいて作成された地図を見せながら、移民の出身地について解説した。

滋賀県からバンクーバーへの移民

滋賀県の湖東からの移民が非常に多かった背景には、経済的な困窮があった。この地域では犬上川が定期的に氾濫し、その度に人々は飢餓に直面したのだ。ちょうど1906年にも洪水が起こり、地域の住人は生活の見通しを失った。その時にはすでに急成長を続けるバンクーバーとの関係が築かれていたため、これが湖東からバンクーバーへの大規模な移民につながったのだ。
カナダに移民した人が多いため「カナダ村」と呼ばれた地域の写真を見てみると、その見事な家並みに移民の影響が色濃く見られる。大きく美しい家が多いのは、カナダに出稼ぎに行った人たちがその収入で家を建てたからだ。
村全体を見ても、カナダ村は伝統的な日本の村とはかなり違う。伝統的な村では、その中心に地主の大きな家があり、それ以外の人たちの小さな家が周りにたくさんあった。それに比べて移民した人が多い村では、ほぼすべての家が地主の家のように大きいのだ。

「お嫁さん」の写真に見る日本人移民社会の発展

日本からカナダへ来た出稼ぎ移民の集まりが、やがて日系社会に変わっていったことを鮮明に伝えるのは、「お嫁さん」の写真の変化だという。
1907年にバンクーバーで排日暴動事件が起こったこともあり、1908年には、日本からカナダへの移民が年間400人までに制限される「紳士協定(ルミュー協定)」が結ばれた。この影響で、在留者の妻子の呼び寄せというかたちでなければ日本人がカナダに渡るのは難しくなった。そこで相手の写真を見ただけで結婚を決める「写真結婚」が行われるようになったのだ。その写真には、花嫁が一人で写っている。
やがて、日本人移民社会で誕生した二世が成長し、日系コミュニティがカナダで確立されるにつれ、花嫁の写真は花婿と二人で撮ったものに変わっていった。カナダで結婚する日系二世の男女が寄り添う写真は、長い年月にわたる労働者とその家族の物語を内に秘め、海を越えた日本とカナダの絆を象徴する、私たちに残された遺産だ。

 

(取材 船山祐衣)

 

オードリー・コバヤシ氏 プロフィール

1951年、日系二世の父と英国系の母のもとに、BC州ケローナで生まれる。ブリティッシュコロンビア大学(UBC)で学士号と修士号取得後、1983年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で博士号を取得。人種、階級、ジェンダー、アイデンティティなどに関する研究で、広く名前を知られている。カナダ・オンタリオ州クイーンズ大学教授。

 

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