知らぬ間に全国の有名人に
本業は、自ら開発した掘削機械の製造会社経営と、工学博士として数社の研究指導。そんな五日市さんが「魔法の言葉」について講演するまでのいきさつはドラマのようだ。
2000年暮れに金沢でのホームパーティに招かれた五日市さん。その時、友人からせがまれて、学生時代に旅行したイスラエルでのエピソードを皆の前で語ることになった。その場には、テープレコーダーで録音している人が何人かいた。その話は大きな反響を呼び、やがてテープは次々とダビングされ、テープ起こしまでされてしまった。その文章に勝手に付けられたタイトルは、『ツキを呼ぶ魔法の言葉』。その文章は大量にコピーされ、さらにどんどん出回るようになった。ついには、インターネットに載せる人も現れ、あっという間に日本中に広まっていったが、五日市さん本人がその状況を知ったのは、かなり月日が経ってから。それも仕事の営業先で「五日市さん、ネットで有名になっていますね」と言われてのことだった。ちょうどその頃、この内容を小冊子にして販売する人物まで現れた。小冊子は口コミだけで急速に広がり、あっという間に100万部を突破。今でも売れ続けている。
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」とは?
当時26歳の五日市さんは、イスラエルを旅行中トラブル続きだった。財布を無くしたり、詐欺に遭ったりと踏んだり蹴ったりな日々。ある日、70歳ほどの婦人が厚意で宿を提供してくれた。そして、彼女は「あなたが幸せになりたいのなら」と、以下のことを教えてくれた。
*嫌なことがあったら、すぐ自分に「ありがとう」と言うこと。すぐに言えば不幸は続かないし、逆に良いことが起こる。
*嬉しいこと、楽しいことがあったら、「感謝します」。すると、またそう言いたくなるような出来事が起こる。
*「○○になりました。感謝します」と心を込めて言い続け、努力していると願いはかないやすい。
*どんなときも怒ってはだめ。
「しかし人間、怒りたくなる時もある」と五日市さんが反論すると、「この世に正しい怒りは存在しない」と婦人。「どうしても苦言を呈さなければならない時は、まずは自分に『ありがとう』。相手には別な言葉で優しく伝えなさい」と対処法を教えられた。
「ありがとう」「感謝します」は自分を変え、ツキを呼び込む魔法の言葉と聞いたので、五日市さんは「どんなときでもすぐに言えるように」と手の甲にペンで書いては日々実践していった。
本紙インタビュー
前日バンクーバー到着、翌日移動という多忙の中、講演前に時間を割いてインタビューに応じてくれた。
五日市さんは魔法の言葉に出会う前と出会ってからの自分の違いをどのように感じていますか?
人間の性格ってそう簡単には変わらないと思うんですよ。ただ、話す言葉を変えていくと少しずつ見える景色が変わってくるのは確かです。話す言葉は自分の意識にも大きな影響を与えますからね。「コンチクショー!」と言いたいところで「ありがとう!」と言うと、その次に悪い言葉が出てこないし、それ以上悪い気持ちにもならない。中庸な精神状態に戻るのが早くなる。そういう習慣をつけていくと、人とぶつかることも徐々に減っていきましたね。
イスラエルに行く前は人間関係があまり良くなくて、大学院の研究室には、会うとかならず取っ組み合いのけんかをするような同僚がいたんです。それが、イスラエルから戻って2、3カ月経った頃、なんと居酒屋でその同僚と談笑しながら飲んでいたんですね。ほろ酔いになりながらも彼の顔をじっと見ながら、「なんでコイツと一緒に飲んでいるんだろう。ありえないよな、こんな状況」って思いました。でも物事は、原因があるから結果があるもの。ではいったい原因は? と思うと、感謝の言葉を徐々に増やしていったことしか考えられない。それが最初に驚いたことでしたね。そういった小さな奇跡と言いますか、小さな成功体験は小さな確信を生む。その積み重ねが大きな確信になっていき、「これはすごいぞ」と思えるようになったんです。でも、知らない人に言うような話じゃないと思いましたね。イスラエルでの体験談なんて、まるでおとぎ話みたいで、そんなことを語ることで人間性が疑われるようじゃ困りますからね。ずっと信用第一の仕事をしていますし。
それでも話が独り歩きしてしまって講演依頼まで来るようになったと…
最初に依頼された講演は今でも忘れられません。1500人の会場がなんと満席でした。「この人たち、何しに来たんだろう…」って正直思いました(笑)。僕は有名人でも芸能人でもないですから。
講演依頼はその後増え続け、一番多い時で月に200件以上ありました。断っても別な月に再依頼があるのでなかなか減りません。やがて僕の悪口を言う人も現れて、「あいつはありがとう教の教祖だ」とか、「ありがとうと言っていれば何でも願いがかなうんだとよ」と曲解されてネットで中傷されたりしました。そのようなことは僕は気にしませんが、家族が嫌がると思い、もう講演依頼は受けないことにしました。そう決意した頃に、講演会に訪れた女性からぶ厚い紙の束を手渡されました。600人くらいの署名でした。彼女には、「講演、もうやめると聞きました。でも五日市さんのお話は皆の心の底上げになるんです。だから私の町だけにはぜひ来て講演してください」と言われました。もう感激して涙が出ましたね。あまりにも嬉しかったので、いくつかの講演で思わずこの話をしましたら、その後全国各地から、署名の紙がパンパンに詰まった段ボール箱が送られてきました。もう言葉になりませんでしたね、感動しちゃって。人は「誰かに必要とされている」と思うと、心底元気や勇気が出てくるものです。そんな訳で、今も講演は依頼されれば本業の仕事に支障のない範囲内でさせてもらっています。今回、バンクーバーに呼んでいただけて光栄です。
まだ果たしていない夢はありますか?
変に聞こえるかもしれませんが、僕には夢なんてありません。恐らく多くの人の場合、何か目標設定したり、具体的な夢を持つことで頑張れるんだと思います。でも、僕はそのタイプじゃない。僕にとって大事なことは、人とのご縁を生かすこと。それには、とにかく目の前の人に喜んでもらうことです。そのために、今どうしたらいいのかを常に考えます。このようなことを、感謝しながら日々積み重ねていくと、自分でも想像し得なかった素晴らしいことが次々と起こるんです。たとえ夢を思い描いても、それを超えることが起こってしまう。だから僕には、目標とする夢は必要ないんです。
講演会「なぜ感謝するとうまくいくのか」より
講演では、感謝の言葉や魔法の言葉を実践してきた人たちの事例がいくつか紹介された。ロンドンオリンピックで金メダルを獲得した村田諒太選手は、3年前から「ボクシングで金メダルを取りました。ありがとうございます」と冷蔵庫に貼り付けて夫婦で唱和していたそうだ。
読売ジャイアンツ所属の柴田章吾選手は、中学時代に難病であるベーチェット病を発症。病床で激痛と闘っていた15歳の頃、わらをもつかむ思いで懸命に「ありがとう」と言いながらお腹をさすっているうち、痛みが和らいでいった。そして病気を克服し、夢の甲子園出場、さらには今年プロ入団を果たした。
このように感謝の言葉を実践しているトップアスリートの活躍は広く知られるようになったが、その科学的な根拠も徐々に明らかになってきた。スポーツでは適度な緊張が最高のパフォーマンスにつながると言われる。気功家であり医師の矢山利彦氏は「感謝すると、体から氣が最も出やすくなる」と言い、その際、神経伝達ホルモンであるドーパミン、エンドルフィン、ベーターエンドルフィンなどの分泌が脳内で促され、過度な緊張が軽減して適度な状態となり、集中力が高まるという。また、それらのホルモンの分泌が体に柔軟性を与え、最大の力を発揮できる環境を与えてくれることが解明されている。
今回の講演の中で、東日本大震災に関しても触れられた。気仙沼の75歳の女性は「ありがとう」とつぶやきながら避難。そのおかげでパニックにならずに冷静に避難できたのだという。しかし生き地獄を見たその女性の体験談は悲痛な叫びを含んでいた。毎月被災地を訪ねる五日市さんは、そうした人たちと数多く接する。現地でアドバイスを求められたら「悲しみやむなしさを怒りに換えないで」と伝えてきたという。「怒ってばかりいては、負のスパイラルから抜け出せない。怒りは最強最悪のストレス。自分がストレスで病気になってしまうだけ」と。
画家の河村武明さんは五日市さんに長文のファンレターを送ってきた。河村さんは34歳で脳梗塞を患い、聴覚障害、利き手麻痺、失語症、言語障害となった元ミュージシャンだ。多重障害の上に、お金がない、仕事もない、住む家もない…という状況の中、死を考えた日々から「ありがとう」の言葉で立ち上がり、絵描きとして人生を再スタートすることができた。「今後の目標は?」との問いかけに「生きているだけでありがたいです」と言える現在の心境になったのは、日々「ありがとう」と無理やり口から発し続けたことで、発した言葉が自分に返ってくるのを実感したからだという。
五日市さんは、願い事に関して「『○○となりました。感謝します』と心を込めて言い続けることには、我欲を落とす効果もある」という瀬戸内寂聴さんの話などを紹介。さらに感謝と努力で運は育ち、口に出した言葉が具現化しやすくなると解説。その上で「しかし、願いがかなうことが『幸せ』であるとは限らない」と語り、幸せ感の持てる生き方、他の人を思いやるスタンスに立った生き方について思いを語った。
さまざまな映像紹介など飽きない工夫を盛り込みながら、わかりやすく楽しく面白く話を進めた五日市さん。最後のプレゼントは、心温まる動画。離婚寸前の両親の心をほぐそうとある青年が作成し、夫婦の再出発に導いた映像だ。それは心から「ありがとう」を言っていると、窮地に追い込まれても「次の一手が考えられる余裕が生まれる」その実践例でもあった。そして語りを終えた五日市さんに会場から大きな拍手が贈られ、講演は幕を閉じた。
参加者からの感想
参加者の岩崎万里さんは「『幸せは気づくもの』という五日市さんの言葉が印象的でした。私たちは東日本大震災の経験により、日常のこの当たり前の生活が、実は当たり前ではない、という事を学びました。毎日の生活に感謝し、幸せを日々実感できる生き方を今日から始めたいと思います。『ありがとう』の言霊のパワーは素晴らしい!」と語り、「幸せのとらえかたが五日市さんと一致していたことに安堵感を覚えた」と語る人もいた。高木典子さんは、最近感謝の言葉を実践し始めて「気持ちが穏やかになりました」と語ってくれた。
本講演を開催した遊楽塾主宰の相木陽子さんは「五日市さんは日常の生活の中で感謝を持って生きることで、どんなに人生が軽やかに生きられるのか、わかりやすく伝えてくださっていました。それは誰にでもすぐに実践できること。『ありがとう』『感謝します』の心とともに、そこに居ることです」。また参加者たちの姿について「五日市さんの朗らかさと、明るさが伝わり、輝くような笑顔で会場を後にしていたのが印象的」と語った。
ともすれば、こうした「ありがとう」の言葉の実践を、安直で軽いものと受け取る人もいるかもしれない。しかし五日市さんの講演の隅々を聴いた人は、その語りの本質に迫ることができたことだろう。
「ぜひもう1度バンクーバーへ!」とのラブコールも続出の五日市さんの講演会。ぜひまたその温かい笑顔を拝みたいものだ。
(取材 平野香利)
五日市剛さん プロフィール
1964年、岩手県二戸市生まれ。豊橋技術科学大学大学院博士後期課程を修了し、1988年から2年間、米国マサチューセッツ工科大学へ留学。工学博士。大手企業で新規事業および研究開発に従事し、その後自ら会社を興す。現在、数社の顧問も兼任。新技術および新規事業の創出に関わっている。家庭では高校生の長男、中学生の長女、次女の3人の父。学者兼経営者として多忙な中、「目の前の人に喜んでもらうこと」を生きがいに、大人から子どもまで幅広い年代を対象とした講演活動に奔走している。