2019年5月2日 第18号

「日本人のこういうところってすごくないですか?」。JWBA(日系女性企業家協会)主催で4月20日「IKIGAIー日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣」と題して脳科学者・茂木健一郎さんの講演会がバンクーバー中央図書館で開かれた。 300席の会場は早々に満員となり、日系コミュニティーの歴史に残るような盛り上がりを見せた本講演会。そのいきさつや会の様子、そして茂木さんへの本紙インタビューをお届けしよう。(メディアスポンサー:バンクーバー新報)

 

「小さな喜びから大きな喜びまでつながっているのが生きがい」と語った茂木健一郎さん

 

そもそもなぜ今バンクーバー?

 茂木さんのカナダとの縁は15歳に始まる。1978年の夏、バンクーバーに隣接するリッチモンド市で茂木さんは1カ月のホームステイを経験。ステイ先はカナダの日系人を代表する一人、ジム小嶋さんの家だった。

 そして近年、茂木さんはバンクーバーを毎年訪れている。理由はテッド(TED Talks)を観るため。「このレベルのものを出さないといけない」と「自分にプレッシャーをかけにきている」という。こうした来加時、「カナダの父」小嶋さんをはじめとする人たちとの交流の中で、昨年JWBAメンバー有志が茂木さんに声をかけ、本講演が実現した。  

 

IKIGAI ブーム

 講演タイトルは「生きがい」でなくIKIGAI 。スシやカラオケのように、今やIKIGAI は世界共通語となっている。広まるきっかけは、健康で超長寿の人々の多い地域を訪ね、その秘訣を調べた米国の著作家ダン・ビュイトナーさんが、沖縄の人々の暮らしの中から「生きがい」の概念を見出し、2009年のTEDで紹介したことにある。

 そのブームを受けて英国の出版社はIKIGAI 発祥の国の著作家・茂木さんに本の執筆を依頼。茂木さんが初めて英語で執筆した『The Little Book of Ikigai:The Essential Japanese way of finding your purpose in life』(日本語版タイトル『 IKIGAIー日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』)は、現在31カ国で翻訳、出版されている。その本の内容をベースに本講演会は展開された。  

 

日本文化紹介のチャンス

 世界のIKIGAI への注目と執筆の機会を得て、茂木さんが取り組んだのは、生きがいの概念を生んだ日本の伝統文化や価値観を見つめること。それによって生きがいの特性を浮き彫りにし、日本の文化とともに世界へ紹介することだった。  

 

生きがいの五つの柱 

 講演の中で茂木さんは「小さく始めること」「小さな喜び」「今ここにいること」を含む5項目の生きがいの特性を、多くの資料映像をはさみ、独自取材で知った裏話も交えて矢継ぎ早に紹介。例えば、寿司職人のこだわりを体現し尽くすミシュラン三ツ星シェフ小野二郎さんの仕事ぶり、一糸乱れぬ動きを見せ、テレビ、ネットで話題の日本体育大学の「集団行動」と演技をやり遂げた学生たちの感涙の姿、そして近年世界で流行の「マインドフルネス」を700年以上前から座禅で実践してきた永平寺の僧侶を写した映像など。どれも海外の人たちに「ドヤ顔」で紹介したい視覚と感性に訴えるものばかりだ。

 「二郎さんは別にミシュランの三ツ星シェフになるために寿司屋を始めたんじゃない。貧しくて奉公していたのが寿司屋で、寿司屋を開業するのが一番安かったから。そして寿司に使う道具の工夫など、一つ一つ小さなことから始めていった」。「ハリウッドのようにスターと凡庸な人とで区別されるのでなく、日体大の彼らのように日本には誰にでも参加できる小さな喜びがあるんです」。  

 

マインドフルネスで感情をリリース

 マインドフルネスは、生きがいの柱の三つ目「今ここにいること」の内容として紹介された。「『今ここに没入する』という文化がマインドフルネスという形で流行していますが、もともとは禅の概念。このマインドフルネスを脳科学で解析したところ、デフォルト・モード・ネットワークという今ここに没入したときにだけ初めて活動する神経細胞の存在が、この10年でわかったんです。デフォルト・モード・ネットワークが活動すると、記憶を整理したり、記憶を結びつけることで気付きやひらめきが起きたり、感情のストレスも解消してくれる。それが科学的に裏付けられた。座禅の伝統にそれがあるんですよ。現代の日本人、かえってこれを忘れてません?」こうした脳科学の知識を紹介しながら、茂木さんは日本的な事柄をさらに次々とクローズアップした。例えばゲートを離れる飛行機を空港スタッフがおじぎをして見送ること、不完全さや劣化を愛でる「わび・さび」の美意識、「おまかせ」のメニューなど。そこから外国人の目には新鮮に映る日本独自の価値観が浮かび上がってきた。

 特に語りに熱がこもっていたのが日本人の多様性について。「日本人は個性がないと思わされているじゃないですか。でも僕みたいな落ち着きのない破れたシャツ着てる日本人もいるわけでしょ?」と後ろを向いてシャツを見せた。この頃にはもう何を言っても笑いが起こるほど、茂木さんと会場は一体となっていた。  

 

日本人のアイデンティティの確認が力になる

 ここで終わると見せかけて「これだけでは終わらないんです」と、話題をがらりと転換。AI時代の近未来を予測させる最先端科学技術を紹介し、「AIにはできない前例のないことに挑戦を」と聴衆を鼓舞した。

 200冊近い本を出版してきた茂木さんだが、今回の英語での執筆は一つの挑戦だった。その際、日本文化をつぶさに見ていったことで違った意味の自信も生まれた。

 「バンクーバーに来る度冷や汗をかく。15歳の時の情けない感じを思い出して。あの頃自分はまだ何もわかっていなかった。でも日本の伝統を深く掘り下げることによってTEDでもどこでもお互いに対等な関係でいけるんじゃないかと思ってます」。

 そして講演の最後にこう呼びかけた。「バンクーバーの日系社会じゃないと出せない付加価値があると思うんですよ。日系独特のコノテーションがあるでしょ。それがむしろこれから大事な時代になる気がしています。僕は日本の持っている文化的価値を海外で普通に出せるようになりたいんです。みなさんぜひ一緒に何かやりましょう」と言葉を結ぶと会場から賛同と感謝の大きな拍手が送られた。その後の質疑応答では、質問者との掛け合い漫才のような場面も。140分間、茂木さんの語りに大笑いしたこと、ブルーオーシャンへ力強く漕ぎ出す茂木さん自身の姿を目の当たりにしたことが、私たち聴衆の脳への最大の刺激だったかもしれない。

 

 講演会の感想

 「私たち日系人に役割があると言ってくださって大いに励まされました」(桑原誠也さん)。「生きがいの感じられないお客さんにも、朝のコーヒーを出すといった小さなことから始めていけばいいと気付くことができました」(冨田厚子さん)。「AIの時代、知能戦では勝てないけれど、新しいことを創り出すブルーオーシャン的なことや、人と人とをつなげるところを重視すべきだという話がその通りと思いました」(山本将也さん)。「自然の中に真理を見出し、朽ちてゆくものに美しさを映す。そんな日本人の感性、多様性、創造性にこそ、『IKIGAI』の鍵がある。この世界を美しく切り取る茂木さんならではの視点で、新しい生き方について、静かにワクワクするような刺激をいただきました!」(船戸愛さん)。  

 

*今回の講演を無償で引き受けた茂木さんが、収益の寄付先には日系文化センター・博物館と隣組を選定した。

(取材 平野香利)

 

JWBA メンバーと一緒に(写真右側、白いジャケットのハイディ浜野さんが司会を担当)

 

高校生からシニアまで幅広い年代の人たちが集まった

 

「みんな個性においては平等なんですよ!」と力強くメッセージを送った

 

講演後半にはAI時代の人間の役割を語った

 

JWBA メンバー通円悠花さんから花束を贈呈

 

一人ひとりと気さくに対話しながら本にサインを

 

JWBA 会長・黒住由紀さんが歓迎の挨拶を

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。