2019年4月25日 第17号

学校で大好きな友達と喧嘩をしてしまった。仕事で同僚と意見が合わず、ぎこちない関係になってしまった。家で、なんでもないことで、妻(あるいは夫)と言い合いになってしまった。

こんな時、「ごめんね」と一言、言えたらすんなりと事が進むのかもしれないが、なかなか「ごめんね」が言えなかったり、言いたくなかったり。また相手が謝っても、すんなりと「いいよ」と許せなかったり。謝るほうの立場であれ、許すほうの立場であれ、「もっと素直になれたらな〜」「いっそのこと忘れることができたら〜」など、歯痒い思いを誰もが経験したことはあるだろう。だが、そもそも、「謝ること」「許すこと」とは、どういう意味を持っているのだろうか。また、自分の中にある「謝ること」「許すこと」の概念は、相手の概念と同じなのだろうか。

 

「ごめんなさい」と謝ること

 子供の頃、「悪いことをしたから相手に謝りなさい」と、親や学校の先生から言われた記憶がある。この場合、「悪いこと」をした立場の人間が、「悪くない」立場の人間に謝るといった関係が築かれ、謝る側は「悪」、相手側は「善」といった極端な構図ができあがってしまう。「相手にも非がある。自分は100%悪くないから謝りたくない」と思ってしまうのも、やはりこの「ごめんなさい」という言葉で善と悪の立場に区別されることに、納得できないからだろう。

 だが、最近、心理学者のD先生と謝罪とは何かと話した際、彼女は「謝罪とは自分の行動が、相手に対して、ネガティブな影響を与えたことを認めること」と言った。例えば、デートに遅刻して相手を待たせてしまった際、自分が相手を待たせてしまった事実を認めること、それが謝罪である。謝っている立場の人間が悪いことをした、相手は正しいことをしたと、善悪をジャッジするものではない。

 それが本来の謝罪であるとしたら、どれだけの人がその意味を理解できているのだろうか。謝罪する側が謝る時に流す涙を目の前にして、それは自分の行動が相手にネガティブな影響を与えてしまった「事実」に対する涙なのか、それとも自分には悪のレッテルが貼られ、相手には善のレッテルが貼られてしまったという悔し涙なのか。私が子供の頃、兄弟喧嘩の際に謝罪で流した涙は、やはり後者であったことが多いと思う。心理学者の説明する謝罪の意味など、最近になるまで知る由もなかった。

 

「いいよ」と許すこと

 「相手が謝っているのだから、許してあげなさい」。このセリフもやはり子供の頃、親や先生から言われた記憶があるし、子供を持つ親の立場になった今でも、公園など親や子供が集まる場所に行けば、耳にすることがある。

 私を含め多くの人が理解する「許す」ということは、「無かったことにする」「相手にされたことを忘れる」という意味合いを持っていると思う。だが、相手に嫌なことをされ、謝られたからといって、その場で「はい、では、忘れます」と、簡単に忘れることができるのだろうか。もちろん内容にもよるが、なかなか難しいのが現実だ。心理学者のD先生は、許すことに関してこう説明する。「私がいう『許す』ということは、相手にされたことを忘れるということではありません。その逆で、されたことは覚えておかなきゃいけない! 例えば、この人と喧嘩したら、また殴られるかもしれない。だから、同じような状況に陥って殴られないようにと覚えてないと。覚えておくことは、危ない状況を見極めるのに、大切なスキルです。忘れていいのは、この『されたこと』に付着した感情。このネガティブな感情を手放すのが『許す』ということです。自分のために、ポジティブな感情を受け入れるスペースを心に作るために、許すのです」という。

 二人の僧が修行の旅に出ていた。立ち止まらないのが二人の間での約束事だったのだが、旅の途中、一人の僧が川の麓で困っている女性を見て、立ち止まってしまった。女性は川を渡らなければならないのだけど、橋もないし川の流れも速いので、どうしようかと悩んでいるという。この僧は、「私も川を渡るところですから、背負ってあげましょう」と、女性を背負って川を渡った。女性を対面側へ無事下ろすと、何度もお礼を言う女性に「私は急ぐので」と、先に行ってしまった僧に追いつこうと、サッと去っていった。立ち止まった僧が、ようやく先に行った僧に追いついた。だが、先に行った僧は、なんだか怒っている様子だ。そして、立ち止まった僧に対して「お前は立ち止まって、人を助けた」と、自分は悶々としていたことを告げた。立ち止まった僧は「お前は、ずっと背負っていたのか。私は、河原で下ろしてきたぞ」と言った。

 立ち止まった僧の方は、女性を河原で下ろした際に、「立ち止まってしまった」という荷も下ろして、気持ちはもう前進している。だが、立ち止まらなかった僧の方は、まだその荷を引きずっている。彼の心は、ネガティブな気持ちにずっと支配されていたのである。許すということは、相手のためにではなく、自分のためである。ネガティブな感情とお別れをする、それが許すということである。そうすることで、新しい感情を受け入れる余裕が心にできる。

 

ネガティブな感情を手放す

 それでは、どうすればネガティブな感情を手放すことができるのだろうか。BC州の認定臨床心理カウンセラー(RCC)として活動する加藤夕貴さんは言う。「先ほどの僧侶の話を例にすると、立ち止まらなかった僧には、ネガティブな感情が起こり、継続する時の要因として、『囚われ』『縛られ』『拘り』があります。まずは、その『拘り』『縛り』を探る必要があると思います。なぜ自分はまだ怒っているのか。このネガティブな感情との対話が、ネガティブな感情を手放す一番の早道だと思います」と言う。

 「ネガティブな感情は、様々なメッセージを持っています。そのネガティブな感情に目を向けることで、その感情に隠れている欲求を探る必要があります。満たされないものが何か、必要なものは何か、一番聞いてもらいたいことは何かを見つけ出す。そして、それが安全な形で適切に表現できた時に、ネガティブな感情は離れやすくなります。ネガティブな感情を手放すことがゴールではありません。ネガティブな感情の下にある欲求やニーズを明らかにすること。それが分かったうえで、その感情と自分の欲求を受け入れ始めると、拘りや、(自分や他者に向けられた)ジャッジメンタルな厳しさは自然と緩み始めます。結果的に、そこに付随する感情も減り、手離れるのです。逆説的ですが、受け入れ(ネガティブに聞いてみる)から始めると、ネガティブな感情が手離れる、そんなプロセスになっていると思います」。

 また加藤さんは、ネガティブな感情が嫌だったら、その雰囲気を外に出すのも良いと言う。ノートの上に色や線で表現してみる。それがどんな色でどんな形をしているのか、スピードは早いのか、遅いのか?線は細いのか、太いのか?描けたら、最後に名前をつけてみる。このように自分の外に(ノートなど)出したら、その感情と対話がしやすくなる。自分のセリフ、相手のセリフ、というように、ノートに会話を書いてみるのもいいかもしれない。これだけでも、見えなくなっていたものが見えてくることがある。そうすると、気持ちのシフトも起こりやすくなると言う。

 もちろん、問題の内容や大きさにもよるので、そこに伴う感情も様々である。また過去からどれだけの感情がこれまでに溜まっているかも影響するので、これですぐに手放せるとは一概には言えない。あくまでも、自分自身を見つめるプロセスの一つの入り口だと言う。

(取材 小林昌子)

BC州認定臨床心理カウンセラー(RCC)の加藤夕貴さんの連載が5月より開始予定!

 

 

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