元々カナダやウィスラーとも縁が深い三浦雄一郎さんは、1960年代初めにプロスキーヤーとして世界を転戦していた際、ウィスラースキー場の開発に大きな力を注いだジム・マッコンキー氏と出会い意気投合。それ以来何度もウィスラーを訪問している。
大のスキー好きとして知られるカナダの元トルドー首相は、1970年の『人間と科学が一体となった極限への挑戦』と銘打った大阪万博記念行事の一環としてのエベレストスキー滑降を知って「こんなすごいスキーヤーがいるのか!」と感動。大阪万博の際、カナダベイに三浦さんを招待し、芸術家の岡本太郎氏も加わり大変に盛り上がったとのエピソードも語ってくれた。
1975年にカナダでリメイクされたドキュメンタリー映画『The Man Who Skied Down Everest(エベレストを滑った男)』がカナダ映画史上初のアカデミー賞(長編記録映画部門)を受賞。カーター元大統領は、困難に直面した時、ホワイトハウスの映写室でエベレスト滑降の映像を繰り返し観ていたと言う。
2004年、父である故三浦敬三氏の100歳記念に、アメリカのユタ州スノーバードスキー場を親子4代で滑降した時、民主党政治大会で当地を訪れていたカーター元大統領は三浦さんを招待し「命の危険を顧みず夢に向かってチャレンジするということの素晴らしさに感銘を受けた。20回以上観たんじゃないか」と三浦さんを壇上で称えた。
今回のインタビュー場所は、リステルホテルのオドゥールレストラン。タクシーかツアーバスでの到着を待っていたところ、ロブソン通りをスタスタと元気に歩いてこられた。同行したヘリスキーガイド役の柳沢純さんは「歩くの早いんだよ」と三浦さんのことを語っていた。
今回のインタビューはリステルホテルのフロントオフィスマネージャーのアンドレア・クロースリーさんとの再会から始まった。
アンドレア ミウラさんは私が7歳の時に、私たちの牧場に来てくれました。その時に大きなパーティーをしたのを覚えています。こうしてまたお会いできたことは光栄です。あなたは、私の家族の歴史にとってとても大切な人なのです。
このホテルで働き始めたときに、カズ(上遠野)と話をしていて、「カズもスキーヤーならミウラさんを知っているでしょう?」って尋ねたところ、カズは「え!?学生時代、三浦先生のところで修行していて、粉砕骨折をした時には大変お世話になった」と。「なんて世界は狭いんだろう」って驚きました。実は私の亡き父と祖父母の映画会社が、『The Man Who Skied Down Everest』を作りました。祖父が制作、祖母が台本を書き、父が音楽を担当しました。
上遠野 三浦先生が70歳、75歳でエベレストに登られた時、ここカナダで二人でお祝いしました。
三浦 (二人は)本当にここで偶然(会ったの)?
上遠野 本当に偶然です。でも、映画に関して詳しくは知りませんでした。
三浦 クローリーさん(アンドレアさんの祖父)がどうしても欲しいということで、石原プロから『エベレスト大滑降』の版権を買い、僕の日記を元に英語版に作り直した。それでオスカー受賞。カナダの映画界始まって以来のことで、とても大騒ぎになった。僕も何回もトルドー首相に呼ばれてね。いやあ本当にびっくりしたなあ。アンドレアさんに会えて嬉しいよ。
今回のツアー参加者の年齢層は?
三浦 平均して60代後半だね。70代も二人いる。本当はもっと来る予定だったけれど、一番張り切って自分のヨットを売って、ヘリスキーに行くんだと言っていたのがケガしちゃって…。
ほとんどの人たちとは日本で滑っているけど、そんなにガツガツ滑るのではなく「あー滑った」と楽しくできれば。
今回ケガで来られなかった人は、治ったら絶対に来たいと思っているのでは?
三浦 そりゃあ、張り切っているよ。
ところで元五輪モーグルスキー選手の豪太さんは、アンチエイジングや高所に登った人の研究をしているのですよね?
三浦 そうそう今年3月、豪太が順天堂大学の医学博士号を取ったんですよ。われわれは、「ばかせばかせ」って言ってたら本当に取っちゃって。本人も眉につばつけて。(笑)
まあ、研究成果が国際的にトップランクで評価されたんです。BBRCっていう世界の医学ニュース速報があるんです。そこで彼の論文が取り上げられて。日本でも東大の教授連中がびっくりして。
前例のない研究だったそうですね。
三浦 もちろん。うちの事務所の低酸素トレーニング室を使って、われわれみたいにヒマラヤの8000mに行ったグループとそうでないグループとの比較。
ヒマラヤに行っている連中は、単純にいうと若返りのホルモンをどんどん出すんですよ。
極端な比較ですね。標高を下げても効果は期待できるんですか?
三浦 そうそう。要するに低酸素っていう条件なんです。
だからスキーだとか山登りだとか、山岳スポーツには若返り効果があるということが遺伝子レベルで科学的に証明できた。
面白い研究ですね。
三浦 まだまだこれから面白い。実際に医学的に効果が実証されつつあり、うちの低酸素室は常に予約が一杯だ。登山家だけではなくて、ボクシング選手や自転車選手、アスリートがどんどん来ているんですよ。それとヒマラヤに行きたいとかね。キリマンジャロに登るというTV番組で、お笑いタレントで眉毛がこんな(イモトアヤコ)のがいて、こういう連中が行く前に必ず来て練習している。(笑)
話がどんどん広がっていきますね。
三浦 ヘリスキーは蔵王でも撮影をしたことがあるんです。一回山頂まで。その時はちょっとふざけてヘリがホバリングしているときに「007の映画でこんなの見た」ってヘリにつかまってスキーで飛び降りた。カナダでのヘリスキーはバガブース以来40年ぶりぐらい。
今回はぶら下がらないですよね。(笑)
三浦 いやいや(笑)。今回は日本の中高年のお客さんと一緒に楽しみます。
柳沢 僕はヘリスキーのPRに力を入れています。へリスキーに参加するには、ある程度お金に余裕があって時間もあって、それでなおかつ滑れる方。この3つがそろっている方ってなかなかいないんです。そういう中で一番条件に適うのがシニア層の方なんです。
でも、体力に自信がない。だけどパウダーも滑りたい。そうなるとヘリスキーしかないんです。「体力が落ちたからこそヘリスキー」っていうのがあるんじゃないですかっていうのを提案したくて。あまり体力のことは心配されずに。
三浦 そう、また(パウダースノー専用の)ファットスキーという板がある。
柳沢 三浦先生使用モデルのロッカースキー(操作性が高い板)、そういった板を使って楽しめるというのを証明したくて。
三浦 だから、今回K2ジャパンの社長と担当の方に来てもらっている。日本でロッカースキーは人気が高まりつつあり、K2でもいっぱい出し始めている。
上遠野 そこで、お二人が注目しているヘリスキーが低酸素でアンチエイジングっていうのが加わると素晴らしいですね。
三浦 そうなんです。これはものすごいよ。
日本からウィスラーに来られるお客様の中で83歳の方がいらっしゃる。70歳代後半で初めてウィスラーに来てから、何回か病気や手術をしながらも、80歳の目標をクリアした。今度は「85歳まで来ることができたらなあ」という目標をお持ちです。
三浦 おーえらい。僕のおやじを引っ張り出せば、100歳まで大丈夫。
みんな勘違いしているんだけれど、元気だからスキーをやっているんじゃなくて、スキーをやっているから元気なんだ。だからちょっと元気がなくても、あるいは少しぐらい病気しようが障害があろうが、スキーをやっていれば元気になるんですよ。でやっぱり、またスキーできたっていうのがものすごい自信になるんですよ。
そうしたらぜひみんなにスキーをやってもらいたい。
三浦 そりゃあもう、バンクーバーに住んでいる人には、こんないい環境にいるんだからぜひやってもらいたい。
上遠野 桜楓会という日本から退職されて移民された方の会があるんです。日系コミュニティーでは一番大きな団体で、会長をされている山下俊忠さんは、奥様とご一緒にシーズンパスを買われて今年も地元のスキー場には20回ぐらい行かれてスキーを楽しまれています。
スキーを愛されている方やバンクーバーの方へのメッセージをいただけますか。
三浦 僕は、スキーっていうのはあらゆるスポーツの中で最高のスポーツだと思うんですよね。スポーツの王様って言うかね。
考えてみればイギリスの王族でも、ヨーロッパの王族もそうだけれどみんなスキー。世界中の大金持ちたちも最後はみんなスキーですよ。
彼らは専用のジェット機は持っている、専用のクルーザーはあるしテニスコートもある。全部ある中で究極のもの。特に、ファミリースポーツとしてのスキーというのは最高の魅力を持ったスポーツだ、ということだと思うんです。
先生にとってスキーとは。
三浦 そりゃあもう僕の人生そのものでね。ずっと本当に。
3歳ぐらいから滑り始めて80歳になろうとしてもまだまだ楽しいし、まだまだもっと滑りたい。また自分自身のレベル、体力があればまたそこからまだまだ上達できる。
上遠野 大きなケガからも復活されている。
三浦 そうなんですよ。76歳のときに左の大腿骨と右の骨盤が割れて、5カ月の重症だったんです。
でもこれもスキーをやっていたおかげですよ。一週間おきに経過を見て手術をしないで骨がついた。骨密度が20代プラス10%、骨の付き具合は10代の早さだった。2カ月半で車椅子の外出ができるようになり、半年で普通通りに歩けるようになった。普通は70歳過ぎて大腿骨折っただけで、10人のうち3人は寝たきりになってしまうんです。でもスキーをやっていたおかげで骨密度が増えて。
そして重りを付けたり、山に登ったりして筋肉があるから。もし筋肉が少なかったら、折れた骨が飛び出してしまって、出血が多かったりするんだけれど、骨が硬かったからぽっくり折れてまた筋肉で戻したんですね。
そんな訳で、スキーの効果っていうのはすごいですよ。まず、おやじが証明していますけれどね。100歳超えても楽しめるし、100歳超えてもまだ「よし俺はもっとうまくなる」。そんなつもりでやっていましたからね。
ただおやじは、スキーでケガをしたわけではなく、雪の階段が崩れてスキーをかついだまま転んで第2頚椎、首の骨を折ったんです。あれが手や足の骨程度だったら、まだ生きていた。
「110歳までスキーやる」ってそう聞いていたもんですから惜しいことした。そんなわけでスキーは最高のアンチエイジングの効果があるみたいですからね。
今回は、参加するみんなに楽しんでもらって。
三浦 そう、みんなでね。ラストフロンティアでも、ヘリスキーの平均年齢が一番高いグループだから、ちょっとでもいいから楽しんで「よかった」って。
ぜひラストフロンティアヘリスキーを楽しんでください。今日は、本当にどうもありがとうございました。
(取材 野口英雄)
ヘリスキー中の三浦雄一郎・豪太親子の写真はツアーに同行したカメラマン・千安英彦さん(ゴールドウイン)の好意により提供。
三浦雄一郎さんプロフィール
■プロスキーヤー、登山家。
■全国に一万人の在籍者を有する広域通信制高校、クラーク記念国際高等学校校長
■行動する知性派
略 歴
1932年 10月12日生まれ
1962年 アメリカ世界プロスキー協会の東洋第1号の会員となり、プロスキーレースで活躍
1964年 イタリアで開催されたキロメーターランセという競技に日本人として初めて参加、時速172.084キロの当時世界新記録を樹立
1966年 富士山直滑降「映画=富士山直滑降」
1970年 エベレストのサウスコル8000m世界最高地点からのスキー滑降『登山の歴史の3ページ目を開いた男』(注)と評された
1985年 世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成
2003年 エベレストに当時世界最高齢となる70歳7か月での登頂を果たす。
同時に次男・豪太との日本人初の親子同時登頂も遂げた
2008年 75歳7カ月にしてエベレスト再登頂を成し遂げる(70歳代で2度は世界初)
柳沢純さん
ジャパナダエンタープライズ代表、ウィスラー・サーチアンドレスキュー(遭難救助隊)隊員、ACMG(カナダ山岳ガイド協会)認定ガイド、CAA(カナダ雪崩協会)スキー産業雪崩安全対策資格レベル2、CSIA(カナダスキー教師協会)レベル3インストラクター、CSCF(カナダスキーレーシングコーチ連盟)レベル2コーチ、業務用救急士資格レベル3、野外活動ファーストエイド上級資格、BC州カヌー協会フラットウォーターレベル4
上遠野和彦さん
リステルカナダ社副社長、カナダ一般公認会計士・米国公認会計士、日加商工会議所会長、日加ヘルスケア協会副理事長兼財務担当理事
三浦豪太さんの医学論文についてのHP :