キリマンジャロは標高5895メートルのアフリカ大陸最高峰だ。マイク平田さんの興味深い話に、桜楓会会員とゲストを含め、定員の合計40人が集まった。

講演に先立って、桜楓会の山下俊忠会長が紹介した平田さんは、「ニューウエストミンスターでカメラ店を経営していた」そうで、登山家ではない。ただし、ハイキングクラブ3つに参加、ドラゴンボートのメンバー、冬はスキーと、アクティブな生活を送っている。今回の登頂は、ドラゴンボートのメンバーの一人、63歳の元教師が、「キリマンジャロに登りたい」といったのがきっかけという。チームの中から男性五人、女性三人が自分たちも「参加したい」と声をあげた。最終的には、メンバーの友人らも加わり、合計14人のグループとなった。平均年齢67〜8歳、うち日本人は今回の講演を行った平田さんと、松永安巳さんの二人だ。

10年以上、ドラゴンボートを続けている平田さんたちだが、過酷なキリマンジャロ登山。1年半前から計画して、トレーニングを続けてきた。平田さんは週3回のハイキング、ドラゴンボートの練習が週2回、そしてスキーで、身体の準備を整えた。

一番、大変だったのは、高山病対策だという。ウィスラーで2000メートル、グラウスマウンテンで1200メートル程度、北米大陸で高い山はマッキンリー(デナリ)だが、遠い。結局、高地に慣れるための練習はできず、ダイナモという薬を使った。ほかに、マラリア、黄熱病、A型肝炎、破傷風、下痢の予防接種や薬などを用意した。

キリマンジャロへ

平田さんらは1月31日にバンクーバーを発ち、アムステルダム経由でナイロビへ。ナイロビからは6時間、車に揺られてアルシャに到着した。 アルシャからキリマンジャロの登山口、マラングゲートまでさらに車で2時間を要した。アルシャとキリマンジャロの間に有名なキリマンジャロのコーヒー園が続いていた。

キリマンジャロにアタックする前にチーフガイドからの説明があった。彼が何度も口にしたのが「Don’t give up(あきらめないで)」と、「You can do it(登頂できるよ)」の二つ。「14人、全員で成功しよう」「俺がついている」という言葉に参加者も励まされた。そして、高山病対策にとにかく「ゆっくり行く」ようにとのアドバイス。さらに、参加者一人一人の荷物について、ポーターが運ぶのは20キロ以内と決まっていたことから、重さの確認も行った。

1日目 マラングゲートからマンダラハット(2727m)

標高1700mにあるキリマンジャロの登山口、マラングゲートで、入山登録を行った。聞かれるのは氏名、住所、年齢など。キリマンジャロは赤道に近い熱帯にあるため、マンダラハットの辺りは暑かった。

平田さんらはメインガイド1名、サブガイド3名、シェフ2名、ポーター20名、のキャラバン隊で出発。ポーターが20キロまでの荷物と水、食料を担いでくれた。登り始めて最初に出会ったのが、ポータブルベッド(ストレッチャー付き)で4人のポーターが登山者を乗せ、「どけどけ!」というように、全速力で下山して行く光景。さらに、第一キャンプの山小屋は満員のところに、第二キャンプで高山病にかかった40歳代のドイツ人が疲労困憊で下山してきた。3000mぐらいまで登ったものの、断念したらしい。自分たちは大丈夫だろうか、と、平田らに不安が浮かんだ。

2日目 マンダラハットからホロンボハット(3720m)

ジャングルから草原地帯に景色が変わっていく。すれ違う人たちと、「ジャンボ」と挨拶を交わしながら、登っていった。「ジャンボ」はスワヒリ語で「こんにちは」と言う意味だ。

富士山とほぼ同じ高さにあるホロンボハットの山小屋は、20人に対応している。窓が壊れていて、閉まらなかったので、夜間は寒さに震えることになった。持参したマイナス20度対応のスリーピングバッグが活躍する。

3日目 ホロンボハット周辺で高度順応

高山病対策に高度順応するため、ホロンボハットに滞在して、ゼブラロックまで行って下りてくる。第二ピークと呼ばれるマウェンジが見える。草木がなく、月に行ったことはないが、月みたいだなという景色が続く。埃がひどい中、ガイドが常に、ポーレポーレ(ゆっくり、ゆっくり)と声をかけてくれる。

4日目 ホロンボハットからキボハット(4703m)

4日目は15キロ歩き、午後3時半頃にキボハット到着。早めに夕食を取り、夕方6時には仮眠。10時に起きて、いよいよ11時に、ヘッドランプをつけて真っ暗な中を山頂へのアタックに出発だ。

朝6時ごろ、日が昇る頃にギルマンズ・ポイント(5685m)に到着する。さらに平田さんが登頂で一番、過酷、辛かったという、ステラ・ポイント(5756m)へ。疲れや眠さと戦いながら、崖沿いに歩を進めた。登山口から4日かけてたどりついた、氷河の残る山頂では、コキットラムの旗をあげた。

登頂に成功して

「この氷河は国連環境計画によると、地球温暖化により十数年で消滅すると言われている。10年後にもう一度アタックして、氷河の様子を確かめたい。キリマンジャロ登頂に成功して、やればできるという自信がついた。私ができたことなので、皆さんもできる」という平田さん。夢が広がったということで、今度はセントヘレナや700キロのユーコンリバーにも挑戦したいと、意欲いっぱいだ。

胃がんをはじめ3回の手術を乗り越えて

7年前に胃がんで胃の3分の2と胆嚢を摘出したという、日本人のもう一人の参加者、松永さん。その後も2度、手術を受けていたが、その存在を中学生の頃に知り憧れてきたキリマンジャロの登頂に加わった。

食事を十分に取れなかったため、4日目ごろから体力が落ちてきた。アタックは5日目。「もうしんどい。何度もギブアップしよう」と思ったが、みんなの励ましでギルマンズ・ポイント登頂に成功。しかし、それが限界で、さらに200m先のステラ・ポイントは断念したそうだが、5685mのギルマンズ・ポイントを制覇したということでサーティフィケートを受け取った。

講演会出席者の間からは、二人の話に「見習いたい」「やる気がでた」「勇気をもらった」といった声が集まった。


(取材 西川桂子)

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