2018年6月28日 第26号

6月16日、ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー市ダウンタウンのコーストコールハーバーホテル・バイ・アパで「盛和塾」の講演会が行われた。第一部は、コーストホテル社長の小茂田勝政氏の『サラリーマン人生棚卸し』、第二部は、ニューヨークから招いた特別ゲスト、大坪賢次氏(駐日モンテネグロ名誉総領事、ビジネスコンサルタント、リテーラーなど多数の顔を持つ)による『人生は、出会いなり』と題した盛和塾講演会。参加者は、企業家42名。二人のスピーカーが、なんの飾りもなく、我が人生、我が経営について洗いざらい述べる姿に、感嘆と笑いの渦で包まれた。受講者一人ひとりが我が身に痛切に感じ、また、背中を押された2時間の講演会であった。その概要をリポートする。

 

 

「サラリーマン人生棚卸し」小茂田勝政氏 (Coast Hotels Ltd社長、岡部株式会社顧問)

小茂田勝政氏

 

 東京生まれで、埼玉県の深谷で幼少時代を過ごす。酒豪で豪胆な父に反発した少年時代であった。高校卒業後、ペンキ屋でアルバイトをしながら英語学校に通い、日本大学の夜間部に行った。卒業後、その時の恩師の紹介で、岡部株式会社に入社したことから、サラリーマン人生が始まった。

 日本国内営業で3年間勤務し、28歳のときアメリカ・シカゴのOkabe Co., Incへ出向。小さな子会社だったが、上司がゼロから立ち上げた、独立採算の会社だった。そのおかげで輸入業務、購買、経理などさまざまな経験ができた。11年間の勤務の後(1996年)、日本へ帰国。日本のバブルは知らず、浦島太郎状態だった。日本帰国後は、岡部本社営業部、国際部、岡部建材海外部長、経営企画グループなどに配属される。2004年、日本大学社会人大学院グローバル・ビジネス研究科(MBA)修了。2005年、再度、アメリカへ。Okabe Co., Inc/OCM,Co,Inc社長に就任。このときが、人生最大の転機であった。社長とはいえ、サラリーマンで会社の歯車でしかなく、社長になっても何をして良いのかわからず、目の前のことを追いかけるだけだった。しかも、当時の売上が22億円のとき、6億円の大口顧客をなくすという直後だった。「自分はなんという不運な人間だ」と嘆くばかりだった、という。具体的な事業戦略はなし、あてにならない運だけが頼りだった。自己の成長も事業の成長もなかった。そんなとき、2010年、シカゴの『盛和塾』に出会い、「企業の器は、社長の器で、それ以上も、それ以下でもない。仕事は、専務や常務ではなく、社長がするものだ。社長が成長しない限り、会社は成長しない」という言葉が胸に響いた。人のせいにしかしていなかった自分を恥じた。稲盛塾長の人生の方程式、「マイナス100からプラス100までの考え方x努力x能力が仕事の結果、人生の結果である」ーーその時の現状は、何もしなかった自分を映している、とわかりとてもショックだった。それからはすべてが自分のせいだと思うようになった。塾長の教えがなんとすごいことか。『経営の原点12ヶ条』を学び、少しでも実践しようと自己改革に目覚めた。そのおかげで特にOCM,Co,Incでは、固定費を上げることなく、大幅な売上増と利益増を果たせた。

 2012年に帰国後、国際部長、本社執行役員に就任。上海建材子会社は董事長として兼務、アジアの海外建材事業を推進する役割を得た。その2年後にはここバンクーバーのコーストホテルの当時の副社長が難病におかされていたため、そのサポートをするため、もう一人の副社長として赴任して来た。彼が亡くなり、社長の辞任もあり、コーストホテルの社長に就任し、アパホテルグループへの岡部のホテル事業売却にかかわった、事業売却後も社長を継続し、4年半の駐在でこの夏、帰国の途につくという。岡部株式会社では顧問に就任。残り3年で、岡部のサラリーマン人生40年という節目で卒業となる。一つの会社に勤めるサラリーマンながら、4つの海外の会社の社長を経験させてもらったことへの感謝の念は忘れてはならない。自分は本来、怠け者で、自我が強く、傲慢で、悪い欲望に満ちた人間であることを自覚している。本社の執行役員にまでなれた数少ない社員でありながら、まだ他の人を妬み、羨む自分がいる。そんな自分をいつも戒めるのは稲盛塾長の教えだ、といい切る。「強い勇気、強い思いがあれば、そしてそれをあきらめることなく持続すれば、未来は必ず変わってくる」。父母、上司や友人、身勝手な自分に付き添ってくれている妻に心から感謝する、と締めくくった。

  

 

「人生は、出会いなり」大坪賢次氏 (駐日モンテネグロ名誉総領事、ソムリエ、新潟清酒配達人、ビジネスコンサルタント、 リアルター名刺に表記されているもののみ。他多数の顔を持つ)

大坪賢次氏

 

 1944年、新潟県旧南魚沼郡中之島村生まれ。雪深い田舎が嫌で、早く東京へ出て行きたくて仕方がない少年時代であった。高校卒業後、日本大学法学部に入学。東京に出たその日から、中野の新聞販売店で住み込みで働き始めた。毎朝3時に起きてリヤカーを引いて中野駅前で新聞を受け取り、販売店に持ち帰り、配達員ごとに仕分け、7時半ごろ大学へ行き、3時ごろ帰り夕刊の仕込みをするという毎日だった。これでは、大学の勉強はもとよりゼミにも参加できない。そんなとき、世田谷の牛乳店で配達の仕事が見つかった。牛乳配達は、朝早いのは新聞配達も同じだが夕刊がない。何より、当時大卒者の給料が2万円ぐらいのとき、2万5千円と厚遇だった。大学は勉強はもちろん、それ以上に学内外を問わず社会の多くの人とも付き合いたいと考えていた。

 そんなとき、当時NHKの日曜討論会の司会をしていた政治研究会に入れてもらった。いずれも若い頃の河野洋平(元衆議院議長)、江田五月(元参議院議長)、竹下登(元総理大臣)、大平正芳(元総理大臣)などの政治研究会だったが、いつも部屋の片隅で話を聞いていた。1963年、ケネディ大統領が暗殺されジョンソン大統領が就任。それまでくすぶっていたベトナム戦争が本格化した。大学1年生のときだった。人は、なぜ戦争をするのか、戦争の現場を見てみたくて、ベトナムへ行こうと思った。政治研究会の人たちも全員が賛成、何より牛乳配達店の親父さんが、行っている間の配達は俺がやる、給料も払うとも言ってくれたことで、実行に移した。2ヵ月間ベトナム戦争の現場を見て回った。その帰りの船の中で考えた。「よし、これからは国際社会に貢献できる人間にならなければならない」という思いがむくむく湧き上がり、アメリカへ行くことを決心。それには英語を勉強しなければならないが、牛乳店にいてはそれもできず、なんとなくジャパンタイムスの新聞を見ていたときアルバイト募集の広告を見つけ、何もわからず応募した。しかしそこは、同時通訳の会社だった。ちんぷんかんぷんの面接だったが、面接官の横にいた日本人の人が、「なぜ、ここに面接に来たのか」という問いに、必死で「新潟から出てきて、牛乳配達をしながら日本大学に通っている。これからは国際貢献のできる人間にならなければと思い、英語の学べるアルバイトをしたいと思って応募した」といったものの、帰るときはかなり落ち込んだ。しかし翌日、その会社の社長が会いたいという知らせがあった。行ってみると、「牛乳配達もそのまま続けてよい、わたしはいろんな人に会いに行くので、その時カバン持ちとしてついて来てくれればよい、給料も牛乳配達と同額を払う」ということで、計5万円の給料をもらうことになった。牛乳配達の区域は世田谷区で、いろんな有名人の自宅があり、「いつかはこんな家に住める人間になりたい」といつも思っていた。通訳会社は1964年の東京オリンピックのときに、財界の2世の人が作った会社で、三井銀行の頭取、昭和電工の社長などに会いに行くときカバン持ちで同行した。また、あるときは、学術会議をやるための資金集めにカバン持ちをやることになった。各業界団体から分担金の仕分けをしてもらい各企業から寄付金を集めることになった。アポイントを取って先生方と一緒に会いに行くと、ちゃん付けで呼び合っている。こんな人間関係づくりのできる人間になりたいものだと思ったという。

 そして、いざアメリカへ。英語の勉強をするなら日本人の少ない南部がいい、ということでルイジアナの田舎の大学を選んだが、同室者3人のうちの一人はベトナム戦争帰還者で、もう一人は、ヒッピーでギターばっかり弾いている。そんな状態で英語の勉強もはかどらず、サンフランシシコに行った。アメリカへ来るときの船の同室者が、サンフランシスコにいたので、そこに転がり込んだのだった。はじめは皿洗い。そして、観光ガイドがカネになると聞いて運転手兼ガイドをやった。領事館担当になり、最初のお客が当時の佐藤栄作首相、そして、田中角栄通産大臣。ワシントンDCへの日本からの直行便はなく、サンフランシスコに寄って1日、2日体調を整えてからというのが通例になっていた。1979年繊維交渉で来た田中角栄通産大臣を空港へ迎えて市内観光に行った。その時、「君はどこの出身か?」「新潟県南魚沼郡塩沢です」「そうか、明日めしを食いに行こう」ということでサンフランシスコの高級料亭に行った。奥様もいっしょだった。緊張で食事も喉を通らなかったが、お小遣いまでくれた。翌日、空港へ送ったとき、居並ぶ要人の人たちの列のなか、つかつかと歩み寄ってくれ、握手をし「日本へ帰ったら訪ねて来なさい」といってくれた。その後もいろいろな政治家が来たが、あんな人はいなかったと述懐する。そんな時代、新潟から女性がサンフランシスコに来ている。会ってみると妹のような感じがして何回か会ううち、結婚することになった。結婚式は昔から決めていた明治神宮で行い、しばらく日本に滞在、子供もでき、アメリカの法律事務所ベーカーマッケンジー東京事務所にいた。日米間の法律問題をやっていたが、国際問題に取り組みたいと思いハーバードやコロンビア大学の申請書を取り寄せた。ところが、その申請書をコピー機の中に忘れていた。それに気づいたのが同じ事務所の弁護士で、おまけに、「ロースクールへ行くなら日米法学会本部があるシアトルがいい、ワシントン大学には俺の親友が学部長をしている」とすべての手続きをしてくれた。そしたら妻が「人生何が起きるかわからないから、アメリカのグリーンカードを取っておきなさい」という。それもそうで、申請手続きをすすめているとき、またしてもコピー機の中に書類を忘れた。そして、またしてもアメリカ人弁護士が見つけ「私に任せなさい」といって解決してくれた。

 ワシントン大学のロースクールを終え、ニューヨークへ行き、自分で何かやろうと決心。まず、ビジネスコンサルタント会社「大坪インターナショナル」という会社を作って、ソニーやパナソニックへ挨拶に行ったら、いろいろ手伝ってくれと頼まれ、法律関係と同時にアパート探しなどもやったことから不動産の会社も設立した。これが35年前のことだった。このとき、妻に「日本との関係の仕事をするなら、麻雀かゴルフをやったほうがいい」とすすめられ、ゴルフを始めた。同じやるならと、プロに教わり、1年ぐらいの間ほとんど毎日ゴルフをした。1980年、日本もバブルが来るころで、いつの間にか従業員も100人を超えていて、そんなことをニューヨークタイムスなどが取り上げた。その記事を読んだといって、アメリカ人が会社に訪ねて来た。また、その人から、メンバーのロングアイランドの『シネスコットヒルズ』へ自家用ジェット機でゴルフに招待された。10人乗れるので友人を誘ってもいいというので、日本の銀行の支店長を誘った。その後、彼の自家用ジェット機で銀行の支店長とゴルフに何度か出掛けたら、その銀行が社宅として30軒もの住宅を買ってくれたりした。ニュージャージーにできた新しい名門のゴルフ場へも誘われ、メンバーになり理事にもなった。理事にはニューヨークタイムス社長、ゴールドマンサックス会長、共和党委員長等アメリカを代表するビジネスマンが多くいて、彼等の推薦で大学、病院、警察協会の理事や委員になった。私の人脈は全てゴルフである。このゴルフクラブにゲストとして時々来ていた現アメリカ大統領のトランプ氏と知り合い、彼とゴルフをしたりマンハッタンで食事したりして、一時は親しく付き合っていた。

 最初の15年ぐらいはゴルフ漬けで、70台前半のスコアでいつも回るようになっていて、これでもういいか、と思い、次は何にしようか…と見つけたのがワイン。これはほんとうに難しい。1つ勉強すると2つの疑問ができ、それが解決すると4つの疑問が生じる…。

 本格的にと、フランスのボルドーなど世界中のブドウ畑に行ったり、カリフォルニア大学ディービス校で白衣を着て、フラスコにワインを入れ酸味と甘みのバランス、二酸化硫黄をいかに調整するかなど勉強をした結果、ワインの本を書けるぐらいになった。ゴルフとワインももういいか、ということで、65歳になった9年前、本格的に仕事をしようと決心した。年を取ってから仕事をすると非常にいいこともある。官公庁や、会社の幹部の人も大臣でも気楽に会ってくれる。今の仕事は「いかに日本を良くするか」をテーマに取り組んでいる。日本には、食べ物にしても伝統工芸にしても素晴らしいものがある。新潟へ帰るたびに市長や知事、新潟日報の社長などと会い、「国連本部もあり、世界中の人が集まるニューヨークにもっと目を向けてください」と説得。新潟日報へニューヨーク在住の新潟県人が代わり番こで記事を送ったり、ロックフェラーセンター前に90社の新潟物産の展示即売場を造った。これを47都道府県オールジャパンに広げていきたいという。

 また、今はモンテネグロの駐日名誉総領事をやっていて、アドリア海に面したこの海域に適したマグロやうなぎの養殖を行いたいと思い、モンテネグロ政府と日本政府と交渉を行っている。不足する海洋資源の開発に一役買おうと奔走している。どこまで人脈のチェーン化が進むのだろうか。アメリカ在住50年の経験を生かして、国際社会の間ですっかり存在感を失っている日本を高めていきたいと、さまざまなボランティア活動を行っている。

 

 両氏ともに、肉声ならもっと心に響く言葉が多々あった。出会った著名人は、ざっとカウントしても30名以上、多士済々の人脈だ。また、奥様の内助の功もさり気なく散りばめてあり、愛妻家ぶりが印象的だった。

(取材 笹川守)

 

 

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