2018年6月21日 第25号

6月6日から7日にかけて、米国ハワイ州のホノルル市で日系人関連行事が開催された。このイベントには、18の国・地域より、約300名が参加。秋篠宮ご夫妻がご臨席された6日の海外日系人大会と7日の移住150周年記念行事では、東西の人種が通過する南国の島で、祖先がどのような気持ちで社会を形成していったか真剣な議論がなされ、「日系レガシー」と呼ばれる日系人の勤勉さ、協調性を次の世代に伝えようという心構えがあふれ出していた。

 

①参加者と歓談される秋篠宮さまと紀子さま

 

●ハワイ元年者150周年を祝って

 150年という年月の中で、ハワイをはじめ様々な国では日系人たちの活躍が刻まれた。日本から持ち込んだ文化、文字を持たないハワイの先住民が踊りや手先の表情で子孫に残してきた文化。これらの文化は商業や宗教を持ち込んだ白人たちによって否定された時代もある。しかし、封印されようとした文化は不思議なことに、また息を吹き返して命の炎が燃え盛る。1週間ほどの行事が終わった直後に、ハワイへ北朝鮮との首脳会談を終えたトランプ米大統領が立ち寄った。白人主導で政治体制が変えられていった旧ハワイ王国だが、「元年者」と呼ばれる先人たちの活躍を見聞きして、胸を張り白人社会との融和を続ける日系人たちの動きを取材した。

 

●ハワイ日系人の歴史

 まず初日(6日)は、毎年日本で開かれている海外日系人協会主催の大会。59回のうち海外で開かれるのは3回目。ハワイに日本人が上陸したのは150年前の6月20日、この記念日に向けて世界中から日系人が集まる機会とすればと発案され、いくつものイベントが企画された。

 簡単に歴史を振り返ると、江戸幕府とハワイ王国との間でサトウキビ畑の労働をめぐって契約が交わされたが、すぐに明治政府が立ち上がったため実際には契約は不存在とされた。

 日本人を乗せて船は密出国状態でハワイへと向かう。ハワイ側では最初、中国人の移民によるサトウキビの栽培が行われたが、ある意味で商売上手な中国人たちは過酷な労働よりも、街の中で店を立ち上げるようになった。中国人にかわってハワイにやってきた日本人。いくつかある島に別れて生活を始めた。この時代の生活が厳しかったことは、これまでも何度となく話されている。

 今回のイベントで注目されるのは、単に過去の悲惨ともいえる日系人の歴史を振り返るだけでなく、20代から30代の若い世代の日系人たちがどのように工夫して日系人のアイデンティティを確立しているか、国境を越えて発表し理解し合えたことにある。

 

●日系資料館の連携に向けて

 参加者たちは皆きれいなフラワーレイを首にかけ、「アロハ」と挨拶しながら握手をした。ここは観光地の中心ホノルル市のワイキキにあるシェラトンホテルだ。ビーチのすぐそばに立地する巨大ホテルで、ダイヤモンドヘッドの岬に打ち寄せる波の音が聞こえるプールサイドを通り、2階の巨大な宴会場に向かうと、元年者と書かれた大きな看板がいくつも見えてきた。ぱっと相手を見ただけではどこの国の人かわからないが、胸の前にぶらさげた名札には大きめの国旗がプリントされていて、世界18カ国の参加者がわかる。カナダからも13名が初日の海外日系人大会に参加した。主催者側の発表によると298名の参加だが、何しろリゾート地ワイキキの真ん中で開催されるイベント。数日後には近畿日本ツーリストなどが続けているまつりインハワイも同じエリアで開催されるとあって、会場のまわりを多くの日系人、日本人が取り囲んでいるという印象だ。

 日系人大会では「日系資料館の連携に向けて」という討議が行われた。ホノルル市内にも日本文化センターがあり、キャロル林野所長から資料展示が企画されていることが報告された。カナダのブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市の日系文化センター・博物館からは五明明子さんが説明を行い、各地の研究員たちも日系プレースなどの写真を交えたスライドショーを見ていた。五明さんは強制収容とその後の謝罪、補償金交付についても説明。日系カナダ人の歴史と遺産に敬意を表すとともに、日本の文化をコミュニティと分かち合う活動を行っていると報告した。

 

●日系人はグローバリゼーションの先駆者

 秋篠宮ご夫妻がステージに着席されたあとは、独立行政法人国際協力機構の北岡伸一理事長らが記念公演を行った。同理事長は、明治時代初頭の混沌とした日本から海外へと夢を抱いて旅立っていった日系移民の方々が、新しい土地に根を張りながらも日本人としての誇りを持ち、日本と新天地の文化の融合に一役かったことを鑑みたとき、彼らこそがグローバリゼーションの先駆者であり、その功績を語り継ぐ必要があること、かつての日本人が間違った方向に進んでいった歴史を謙虚に受け止め、決しておごることなく、日本人の持つ文化の良さを海外の多くの国々に伝えながら、お互いの文化の融合を推進していかなければならないと語った。

 元年者たちは、150年前に1カ月の船旅を乗り越えてハワイの島に着き、そのうちの一部が永住を決めてくれたから今の自分たちがあると語った。初期の移住者の多くは、先住民ハワイアンと結婚して子孫を残した。そのため、うまく現地社会と融合した人が多いといわれている。会場で元年者を祖先に持つ人々が紹介された。(写真④を参照)

 また、南米の参加者からは若い時代に日系人の歴史を意識せず、自らの立ち位置を探るのに時間がかかったとの発表も。結果として何代も前に移住した祖先の歴史を勉強する中で自分の中に持つ、日系人としての価値を再認識していった。

 ディスカッションの合間にはハワイ側の工夫で、フラダンスや太鼓の演奏などが組み込まれた。地元代表のひとりであるシェリー・タムラ・ハワイ日系人連合協会会長は「自分が首にかけるフラワーレイのひとつひとつの花は、世界各地から参加した日系人の国々を現している。活発な議論を」と挨拶した。

 

●ブランケットかつぎ

 2日目(7日)は、ハワイ日系社会の代表的な組織が合同で立ち上げた元年者の研究会だった。州立ハワイ大学で文化人類学を長年研究するデニス小川教授は、島にやってきた日本人と先住民リーダーのやりとりを、まるでその場にいたかのように笑い話を交えて再現。(写真⑤を参照)

 小川教授は、ハワイの王が日本を訪問し明治天皇と握手をしたことにより、その後の歴史が大きく変わったと話す。また、ハワイの先住民たちは海だけでなく森や地形に含まれるさまざまな物に魂が宿っていると信じており、このような考え方も日本人と共有できる面が多く、日本とハワイの友好関係が樹立されたのではないかと続けた。

 小川教授は1960年代にハワイ大学に赴任したとき、幸いなことに多くの1世たちから情報を集める機会があった。そのときの多くの人たちが自分たちはハワイに来ることができてラッキーだったと話す。一方、本土は状況が大きく異なっていた。アケミ・キムラ・ヤノ博士は、ハワイでは元年者たちが地元民と友好的な関係を続け長期間の農耕作業などに従事したが、本土では短期間の就労で各地を転々とする「ブランケットかつぎ」と呼ばれる日系人たちが多くいたと話す。

 仕事が終われば身の回りの物品をまとめてかつぎ、次の場所へと移動する。それぞれの場所で差別と虐待を受ける。だからこそ日本と戦争になったときに、まともな市民としての扱いを受けていないのに、なぜ志願してまで戦地に出かけるのかという姿勢になる。これはハワイで多くの志願兵が誕生したのとは大きく異なった状況だったと話した。

 

●元年者の子孫たち

 2日間の討議がシェラトンホテルで行われ、続いて総領事館が主催する歓迎レセプションが7日午後にプリンスホテルに場所を移して行われた。 秋篠宮ご夫妻もご臨席された。(写真⑨を参照)

 伊藤康一駐ホノルル日本国総領事はあいさつで、ハワイの150年におよぶ日系人の活躍をたたえた。出席していた元年者たちを祖先に持つ子孫たちは、どのような気持ちでこのあいさつを聞いただろう。当時のハワイの総領事は明治政府に歯向かって153人の日本人をハワイへ拉致されたとも言われた。しかし、その日本人の一部はハワイに永住し先住民たちとの間に子孫を残す。150年経ったいま、今度は日本側の総領事が秋篠宮さまの前で元年者たちは功績があったと認めたのだ。自分たちの祖先を思うとき、これほどのうれしい興奮はないだろう。

 参加者の中にこんなカップルがいた。火山が噴火しているハワイ島、日系人ルーツが多いヒロという街のはずれに、一目見ただけだと日系人には見えにくい、キモという名前の男性が住んでいる。本土の東海岸で軍人として働き、やがて除隊するまでは西海岸に住んだ。今は大自然と深い青色の海が広がるハワイ島で暮らす。先日NHKでも紹介されたが結婚相手に選んだ女性エケラのルーツを聞いていると奇跡的な共通点があった。それぞれ元年者の子孫だった。キモは考える。やがて祖先が旅立った神奈川を訪ねたいと目を輝かす。

 また地元在住で退役軍人のウォルター小沢さんの姿も会場観客席にあった。自身のスマホには数日前、ホノルル市内の公園で秋篠宮さまが植樹された木の写真が入っていた。小沢さんはホノルル市の公園管理局で働いた経験もあり、自身が守ってきた公園に秋篠宮さまが木を植えてくれた事実に感動しているのだ。こうしたハワイ社会がこれまで作り上げてきた融合の成功事例は、今回の150年記念事業の参加者の胸に大切にしまわれ、世界各地でまた日系人の活躍のもとになるのではないか。

 

●日系レガシーを誇りとして

 日系人の熱心な議論を時間をかけて聞いていたハワイ州のデービッド・ユタカ・イゲ州知事も世界中から集まった日系人たちに感謝の気持ちを表した。(写真⑥を参照)

 ちょうどハワイ島で火山噴火による被害が続いており、知事はハワイ島と大会が行われたオアフ島の間を日々行き来しながら積極的に参加した。北朝鮮のミサイル誤報騒ぎで、州政府の体制が整っていないことが露呈され、今後の選挙にも悪影響を与えるといわれたが、今年春のカウアイ島大規模水害、それに続くハワイ島火山噴火の対応では相次いで連邦政府の救済措置決定を受けた。危機対応への改善が見られ、日系人大会の直前には、今年の再選に向けてハワイ最大の労働組合から支持を取り付けた。

 イゲ知事は、様々な非常事態に海外の日系人は日本を助けようと迅速に動いた、そのような日系人の知恵を常に尊重すると語った。

 ハワイのフラダンスは祖先から子孫へ、さまざまな生活の知恵や精神的な結びつきを説いている。知事は150年の節目に、学んだ知恵を、現代の生活に適したアレンジをほどこして活用していきたいと参加者に話す。それは会場の参加者の間を練り歩いた子供たちのフラに象徴されている。

 海外日系人大会の最後に行われた大会宣言は次のように総括した。「正直、勤勉、協調、感謝の心(おかげさまで)私たち海外日系人は、このような価値観や生き方を祖父母や両親から受け継いできました。世界に広がる日系人は農業から、教育、医療、社会福祉、さらにはビジネスネットワークに至る幅広い分野で地域社会に貢献してきました。継承してきた日本文化が居住国の生活や文化にインパクトを与えていることも確認しました。私たちは日系レガシーを誇りとし、次の日系世代や居住国の人びとに伝え続けます」

(取材 弘瀬 隆司)

 

②6月6日 海外日系人大会 シェラトンホテルの壇上(写真右側)秋篠宮さまと紀子さま。(写真左の座席 中央側から)田中克之海外日系人協会理事長、佐藤正久日本政府代表外務副大臣、伊藤康一駐ホノルル日本国総領事、伊藤美砂子総領事夫人

 

③日系文化センター・博物館の五明明子氏(左)とJICA、海外移住資料館館長、横浜国際センター所長の朝熊由美子氏が、日系資料館の連携に向けてのパネルディスカッションのなかで、カナダ側の取り組みを説明した

 

④元年者の子孫は現在では8世までいる。祖先のことをどのように親から聞き受け継いできたか。そして今回の記念行事に臨んで今思っていることをパネルディスカッションとして話し合った。(左から)司会のCarole Hayashino氏。元年者Tokujiro Sato, Sentaro Ishii, Matsugoro Kuwata, Bunkichi Murata, Yonekichi Sakumaの子孫たちが椅子に座って並ぶ

 

⑤ハワイ大学アメリカ研究学部教授・ デニス小川博士の講演

 

⑥あいさつをするデービッド・ユタカ・イゲ州知事

 

⑦バンクーバー及びビクトリアからの参加者

 

⑧あいさつする佐藤正久日本政府代表外務副大臣

 

⑨総領事館主催レセプション 伊藤康一駐ホノルル日本国総領事の挨拶

 

 

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