開会にあたり、伊藤秀樹在バンクーバー日本国総領事は、今回の講演が、バンクーバーからの支援を続けていく、新たな決意のきっかけになることを願っていると挨拶。また、引き続き被災地への末永い支援、協力を呼びかけた。

第一部「危機管理・防災対策」について(志澤公一氏)
志澤氏は現職の横浜市消防局消防吏員であるとともに、日本警察消防スポーツ連盟の事務局長を務める。同連盟は国内外の災害支援活動に対し、非番日や公休などの公務時間外において、プロであるボランティア集団として現場に隊員を派遣している。
行政手続き抜きに行動を開始できる、機動性に富んだボランティア活動の利点を生かし、志澤氏は数々の震災の救援・支援に活躍してきた。
被災地の現場で得られた教訓とは
今回の震災で志澤氏は、ボランティアとして被災地の救援活動に参加。また危機管理のプロの視点から被害の起こった状況にも目を配り、そこで得られた教訓のいくつかをここで紹介した。
石巻市を流れる北上川の下流にある小学校では地震発生直後、防災マニュアルどおりに行動(校舎から出てグランドに集合、点呼をとる。そのまま親が迎えに来るまで待機)。そのため高台に逃れるタイミングを逸して津波にのまれ、全校生徒と教職員の7割にあたる76人の犠牲者を出した。ところが川の対岸にある別の小学校では、津波の知識を持った教師が、それもあわせて状況を判断、マニュアルにはなかった高台への避難を独自に行ったため難を逃れていたことがわかった。
しかし結果的には助からなかった、マニュアルに従うという判断が悪かったとは言えないと解説する志澤氏は、次の例を紹介し、判断より前の、普段からの心構えの重要さを示唆した。
「地震に慣れている」心に潜む油断
今年9月にバンクーバー島西海岸を震源とする地震が起こり、バンクーバー地域でも若干の揺れが観測された。志澤氏はインターネット上で、当地に住む日本人の次のような書き込みを発見。周りのカナダ人が大騒ぎして過敏に反応するのを見ての書き込みだが、「私は日本で数多くの地震を体験していて、慣れている」というものだった。
これは、今まで生命に関わるような大地震には遭遇してこなかったから出てきた言葉で、このような感覚では、いざという場面では助からなくなる恐れがあると氏は指摘する。新潟中越地震を経験した人々は、防災グッズなど災害への備えをしっかりしていたので、2年後の新潟中越沖地震に再び襲われた時には、数日間を自力で過ごすことができた。その現場を目の当たりにして、多くのことを学んだと氏は語る。
最終的に明暗を分ける一瞬の判断は、結局、普段からの危機意識の長い積み重ねによって決まることを肝に銘じるべきだと記者は感じた。
被災地に今、本当に必要なもの
被災地の現状について、氏はボランティアの数が激減していることを危惧している。これから雪の時期を迎えるが、鉄板一枚の仮設住宅の屋根はその重みに耐えられない。雪かきの支援は喫緊の課題で、まだまだ多くのボランティアが必要と氏は訴える。また身内を亡くしたり、慣れない環境下で暮らす子どもたちの、心のケアが非常な問題になってきていることにも触れ、これからも息の長い支援活動の必要性を重ねて強調。
さらにボランティア以外でも、普通の旅行で東北地方を訪れて、現地の人と言葉を交わすだけでも彼らの心の大きな支えになると、様々な支援の形があることを紹介した。

第二部「東日本大震災復興支援活動」について(有森裕子氏)
有森裕子氏は、1996年にカンボジアで行われたチャリティマラソンに初めて参加したのをきっかけに、対人地雷被害者の自立支援や、障害を持つ人々のスポーツへの参加促進支援のNPO法人を設立、スポーツを通じた支援を継続、拡大している。
そして東日本大震災では発生直後から、石巻市を中心に被災地の子どもたちへの支援を行っている。
スポーツを通じた、息の長い支援活動を
壇上に立った有森氏は、今回のバンクーバー滞在中に、日本語学校の子どもたちと話をした時の感想を「どこの国でも子どもの笑顔というのは同じですね」とうれしそうに語り、講演を始めた。
自らのマラソン選手としての経歴と、カンボジアへの支援を始めるに至った経緯を紹介する中で氏は、ポルポト政権時代の自国民大量虐殺に代表される悲惨な体験や、今も埋められたままになっている1000万個という地雷の恐怖のため、生きる力を失っていたカンボジアの人々、特に子どもたちがスポーツを通して笑顔を取り戻していく様子に「スポーツってこんな力があったんだ」と自らも励まされ、支援を続けてきたと語った。
東日本大震災の被災地の状況を見て「何ができるだろうか」
東京の自宅にいて地震に遭遇した有森氏は「自分は大丈夫と思っていたのに、動けない、震えが止まらない。何をどうしたらいいか、何も分からなくなった」と、その時の状況を振り返る。日本全体が混乱する中、翌週には氏のNPOを支援するチャリティマラソンが大阪で予定されていた。誰もがまず、自分の生活を何とか元にもどすことに手一杯だったし、津波被害の惨状が明らかになるにつれ、イベントの自粛ムードも広がっていた。
しかし「中止して、何かが生まれるわけではない。だったら、動いて何かを生み出そう」と開催を決定、チャリティを東日本大震災の被災地支援に変更した。さらに大会記念として配ったTシャツを、任意で返してもらうよう参加者に呼びかけて被災地へ送るなど、マラソン大会を通じてできる支援を行った。
自分たちができることを、できるかぎり
さらに支援方法を模索していた氏は、カンボジアの子供の里親プロジェクトのメンバーの、石巻の小学校教諭と連絡を取ることに成功。その先生を通じ、学校の子供たちのメンタルな面の支援と、学校の復旧復興支援活動、名づけて「3・11子どもanimoプロジェクト」を始める。
8月には被災した子供たちを迎え、山形で二泊三日のサマーキャンプを開催。被災地では十分に遊べない子供たちに、思う存分遊んで楽しい思い出を作ってもらおうという企画だ。これからも被災者が主体となった、現地からの要望やアイデアを実現する支援を行っていくと氏は語る。またバンクーバーの協力者と、今年3月中旬に小学校で植樹を行う計画を進めているとのこと。
子どもたちが、泣かずにがんばっている
氏が現地を訪れたのは4月。その惨状を目の前にして「何を言えばいいのか、全く分からなかった」と有森氏。そんな中で子どもたちは「大人たちが泣くから、僕は泣かない」と言い、感情を抑えて心の奥に押し込んだような表情をしているのが気になった。
前出のサマーキャンプに参加した子供が、リーダーへ宛てた感想文には「とても楽しかった」とともに、普段は子供からは使わない「ありがとうございました」の言葉が必ずあった。これを見た時、有森氏はうれしさを感じるとともにショックだったと語る。こうした、歯を食いしばっている子供たちの頑張りが途絶えないように、いつもどこかで「君たちはひとりじゃないよ」と言ってやれる存在を増やして支援を続けていきたいと有森氏。そして、いつか彼らに心の底からの笑顔がもどり、キャンプの感想文に「また行こうね」といった、ごく普通の感想が書かれる日が早く来るように願っていると語り、講演を締めくくった。
冒頭の挨拶から終了まで、有森氏の話には子どもたちの笑顔の話がつきなかった。おそらく話しながら、氏の脳裏には子どもたちの顔が次々と浮かんできたのだろう、その子どもたちが記者の心にも語りかけてくるようだった。
バンクーバーから、メリークリスマス
両氏の訪問に合わせ、当地からも被災地の子どもたちを応援しようと、被災地の小学校の子どもたちにクリスマスカードを送るプロジェクトが進められてきた。およそ700通が集まったこのカードにはメッセージのほか、書いた本人の名前と学校名も添えられてあり、被災地の子どもたちが直接文通を始められるように工夫されている。自分の通う地元校にも協力を呼びかけた、キャピラノ小学校の成田エイジ君とエイデン・ゲイト君が志澤公一氏にカードを手渡し、氏は自らが必ず現地の小学校の子供たちに届けますと、力強く約束した。
また、今回の講演のために寄せられた寄付金が総額1万49ドルに達し、全額が3・11子どもanimoプロジェクトに寄付されることがアナウンスされ、ふじ屋グループ代表の平居茂氏から有森裕子氏に小切手が手渡された。


(取材 平野直樹)
(写真 野口英雄)

 

ハート・オブ・ゴールドのウェブサイト:http://www.hofg.org/jp/

日本警察消防スポーツ連盟カナダ支部の問い合わせ先:(メール)This email address is being protected from spambots. You need JavaScript enabled to view it.

 

有森裕子(ありもりゆうこ)氏  プロフィール

1966年岡山県生まれ。日本体育大学卒業後、(株)リクルートに入社。女子マラソン選手として、バルセロナオリンピック、アトランタオリンピックの2大会連続出場を果たし、それぞれ銀メダル、銅メダルを獲得するという、日本女子陸上選手初の快挙を成し遂げる。その後、アスリートのマネジメント会社「ライツ」設立、取締役就任。1998年にNPO法人「ハート・オブ・ゴールド」を設立、カンボジアの人々への支援を続けている。
2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞。
2010年10月、カンボジア・ノロドム国王よりロイヤル・モニサラボン勲章大十字を受章。

 

志澤公一(しざわこういち)氏  プロフィール

1965年神奈川県生まれ。1985年横浜市消防局に入局。現役消防士でありながら、危機管理の専門家として多くの講演会をこなす。
主な災害出動経験:
<公務>阪神淡路大震災、オウム事件関連横浜駅異臭災害、横浜日石コンビナート火災、他
<ボランティア>米国同時多発テロ事件救援支援、新潟中越地震、新潟中越沖地震、東日本大震災、他
また、NPO法人ハート・オブ・ゴールドの一員として、カンボジアに渡り復興のための活動を行う。
これらの活動が認められ、青年版国民栄誉賞と呼ばれている、日本青年会議所のTOYP「人間力大賞」を2002年に受賞。

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。