2017年9月21日 第38号
ことしの7月1日から3日、バンクーバー市内のプライベート・スクール、クロフトン・ハウス(Crofton House)で、第40回・囲碁カナダ大会が開催された。この大会で見事優勝に輝いた野口航一さん(20歳)に話を聞いた。
第40回・囲碁カナダ大会(カナディアンオープン)表彰式で優勝に輝く野口さん(中央)
知略と戦術性が試される囲碁
今、囲碁をはじめとしたマインドスポーツが世界中でブームになりつつある。もともとは主に中国や日本などの東アジアで盛んだったが、今それが世界中に知れ渡り始めている。そもそも囲碁とは碁石と呼ばれる丸い石を盤上に交互に置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを競う。将棋の発祥はインドといわれているが、囲碁の起源は中国の天文学とされている。少なくとも中国の春秋戦国時代にはあったとされ、「論語」や「孟子」などにも話題が登場する。5世紀に朝鮮半島へ渡ったとされ、日本に入って来たのは7世紀頃であり、紫式部や清少納言も嗜んでいたとされ、「源氏物語」や「枕草子」にも囲碁と思われるものが登場している。室町戦国時代では特に盛んであり、武将が戦略的思考を鍛えるためによく囲碁を打ったといわれている。織田信長も名人の資格を取得している。江戸時代には家元制度も確立され、全国的に武家から庶民にまで人気が広がった。
それ以来人気は続き、1999年に連載されていた漫画「ヒカルの碁」(原作:ほったゆみ \作画:小畑健 \ 出版:集英社)の影響で、日本だけではなく世界中の若者の間で囲碁が流行るという社会現象が起きた。現在では80カ国で打たれ、世界大会も開催されている。最近ではグーグル社の開発した囲碁を打つAI(人工知能 )「 AlphaGo」 と、世界ランキング1位の棋士である中国の柯かけつ潔九段との対戦のニュースもまだ新しい。
囲碁の普及に尽力する若き青年
囲碁がこれだけ世界中で広まったもう一つのきっかけとしては、2008年のオリンピック後に開催されることとなった「ワールドマインドスポーツゲームズ」、通称「頭脳五輪」の影響があると考えられる。2008年に中国の北京、2012年にフランスのリールで開催されたこの大会は、囲碁やチェス、将棋、チェッカーズ(ドラフツ)などの頭脳を生かしたボードゲームの競技大会である。2012年のフランス大会で野口さんは日本代表のキャプテンを務めた。
大学生としての野口航一さん
野口さんは神奈川県の平塚市生まれ。現在は東京在住で、祖父と父の影響で囲碁を始めた。
5歳の頃にはルールを把握し、本格的に囲碁をやり出したのは小学2年生の頃からである。中学生の頃まではプロの棋士を志していた。囲碁のプロになるにはプロ試験に合格する必要がある。しかし、プロ棋士となると、高校との両立はとても難しい。中学3年の時、プロ棋士になるか、高校へ進学するかの選択を迫られ、高校進学の道を選ぶ。東京農工大学農学部地域生態システム学科で農業環境工学を専攻し、そこで人生の新たな目標を見つけた。
昨年から1年間カナダへ渡り、こちらのカレッジで国際貿易を学んでいる。今、カナダのカレッジで取り組んでいる研究は、地球温暖化やその対策で、現在全世界が抱えている共通の問題解決のための研究ともいえる。例えば地球温暖化対策として「京都議定書」や「パリ協定」などがあるが、全ての国が参加しているとは言い難い。野口さんは全世界が一丸となって地球温暖化対策組織を作らなければ問題を解決するのは難しいと考え、そのためには国と国が協力し合う必要があると語る。全ての国がこの問題に取り組む糸口が国際貿易にあるのではないかと考えている。将来は国際貿易などに携わり、その橋渡しを担いたいと思っているようだ。
囲碁の普及にカナダへ
野口さんがカナダに来た理由はもう一つある。囲碁の普及である。プロにはならなかったが、囲碁への情熱が冷めることはなく、その腕を磨き続けていた。そして文部科学省の日本化を海外で広めるプログラムに選ばれ、カナダで日本の伝統的な競技である囲碁を広める使命を背負って来ている。
野口さんが海外に目を向けるきっかけとなったのが、2012年の「ワールドマインドスポーツゲームズ」のフランス大会だった。日本代表のキャプテンとして様々な国の選手と対戦し、囲碁がこれだけ世界で知られていたこと、そして皆が英語に堪能だったことに驚いたそうだ。その思いと海外留学の目的が重なり、カナダへ来た。
ことし7月に行われた「第40回・囲碁カナダ大会」で見事優勝を果たし、 史上初の日本人チャンピオンとなる。野口さんは大学での勉強の傍ら、ブリティシュ・コロンビア大学(UBC)やサイモン・フレーザー大学(SFU)の囲碁部や、一般の囲碁クラブなどに積極的に参加し、囲碁を広める活動を行っている。すでに囲碁を嗜んでいるカナダ人だけではなく、これからは、まだ囲碁を知らない人たちにも広めていきたいと考えている。
ずばり囲碁の魅力はと聞くと、ルールが少ない故に要求される頭の柔軟さだと語った。駒の一つ一つの動きが限定されている将棋とは違い、囲碁ではほとんど自由に石が置ける。ルールが少ない故に自由であるが、その分難しいと野口さんは語る。知識だけでは勝てず、時には直感や感覚的な判断が要求されると。
日々腕を磨き続けている野口さんに強くなるコツを聞いてみた。一つは詰囲碁や棋書を使うこと。これは様々なシチュエーションの盤が表示されており、どうやったら自分の石を生かす、どうやったら相手の石を殺せるかを考えるための問題集のようなものである。これで様々なシチュエーションやパターンを覚え、実戦で即座に対応ができるようになる。いわゆる「読み」の力を養う方法である。同じくプロの対戦の棋譜を手に入れて分析することで、プロがどのように考え、どのように着手したかがわかり、戦略的な思考を養えるそうだ。野口さんから見ると、バンクーバーには囲碁を打つ、そこそこの人口があり、かなり強い人が多いそうだ。中国系の囲碁を広める団体などもあるらしく、囲碁の認知度は広まりつつあるようだ。
最後にこの先の囲碁の普及活動について聞いた。現在、まだ適切な囲碁用語の対訳本がないのだという。将来はこの対訳本を作るのが野口さんの目標の一つである。対訳本があればより囲碁の普及ができると考えている。チェスや将棋だと、歩やポーン、桂馬やナイトなどといったそれぞれ違う形の駒が必要となる。囲碁なら白と黒に限らなくとも、色の違う二種類の石があれば可能であり、囲碁盤も地面に線を描けば完成する。なので野口さんは、アフリカや東南アジアなど、日本と比べれば教育などがまだ行き届いていない場所がある国で、教育として囲碁の普及が役立つのではないかと語る。発展途上国で囲碁を広めることにより、発展に繋がることを望んでいる。歴史の長い囲碁、まだ数百年しか歴史のない工学や科学、この二つを使い、過去から受け継いだものを未来へ繫げていく活動をしている。
囲碁の将来とAIについて
インタビューの最後にグーグル社の「AlphaGo」について聞いた。世界チャンピオンにも勝利する程の進化を遂げたAIを脅威と考えているのかと。だが野口さんはどちらかというと、これからのAIがどうなっていくのか楽しみだと答えた。AIは何万とあるパターンの中から最も勝率の高い手を選ぶが、それは必ずしも最善の手だとは言えないと答えた。AIがどれだけ強くなっているとしても、所詮は機械であり、機械にはできないことがあると。例えばAIには囲碁を他人に教えることはできない。人間の棋士がいて初めて囲碁を他人に教え、その面白さや魅力を伝えることができるのだと。これからAIがどう進化していくのかも楽しみだが、これからの野口さんの活躍も楽しみである。
(取材 榊原理人/写真提供 野口航一さん)
第40回・囲碁カナダ大会で。Peter Zhangさんと対戦中の野口さん