人柄の良さと向上心の強さ

40年、とひとことで言えばそれまでだが、毎週金曜日の夜の練習、そのための準備、必要であれば団員の個人指導、定期演奏会やコミュニティのイベント出演など、さくらシンガーズを継続していくにあたり、大変な忍耐力があったことは言うまでもない。
あるメンバーは「鈴木先生は単に人柄が良いというだけでなく常に前向きで、どんな困難にでもそこから学ぼうとする向上心の強い方です。私たちを40年余り引っ張って来られたのは、本当に先生の強い意志から来ることだと思っています。いろいろその他のお忙しい用事もおありでしょうが、さくらシンガーズの歩みに思いを集中されていらっしゃることは確かです」と語る。
音楽性と指導者としての素晴らしさに加え、必ず聞かれるのがその人柄の良さだ。「先生は謙虚な方なので私たちに対しても対等に、そしていろいろな良い情報、例えば健康に関することなどまめに教えてくださり、私たちの話にもとても良く耳を傾けられます。あらゆる面で先生から学ぶことがたくさんあります」
鈴木さんの人柄の良さ、向上心の強さは、基本的には親から受け継がれたクリスチャンとしての生きた証から来るものではないかとも言われている。

台湾からカナダへ

日本統治下の台湾で生まれ、現地の『公学校』でなく、日本語で授業が行われる『小学校』に通った。終戦後、日本語禁止という時期でも、日本の教育を受けた父の意思で、一家はずっと日本語で通してきた。
師範卒で学校の教員だった父からオルガンを習い、10代で教会の聖歌隊に入ると独唱の機会も多く与えられ、アメリカ人宣教師によるラジオ番組からは鈴木さんが歌う賛美歌が流れるなど早くからその才能を発揮。本格的に武蔵野音大卒の先生から指導を受けるようになり、高校生でオペラのアリアを独唱し、台湾放送局のコンクールでは1位優勝。日本から訪れた声楽家の五十嵐喜芳氏と『椿姫』の二重唱もした。
声楽家として着実に歩み始めていたものの、カナダへの移住という転機が訪れた。日本人の夫と相談の結果、将来の子どもたちの教育を考えての決断だった。
1967年に家族でカナダに移住。その1年後に3人めのお子さんを出産すると、ナニーや日本の義母に来てもらい、秘書の仕事をしながら、声楽の勉強を続けた勤勉家でもある。「こちら流の教え方がありますし、プロとしてマネージメントの方法などを習いました」
1968年、バンクーバー・オペラのコーラスに入り、1972年には『トゥーランドット』のリユー役に抜擢され、その歌唱力が評価された。その後1979年からの23年間はダグラス・カレッジで声楽を教えることになる。

日本の歌を歌いたい

日本から新移住者が増え始めた1970年、当時のJCCA理事、故・アルフレッド荒川武夫氏は日本の歌、懐かしい歌を歌いたい人がいるのではないか、とコーラスグループの結成を提案した。この呼びかけに約100人が集まり、中にはカラオケのみで歌いたいという人もいたため、最終的にコーラスに興味のある人たちの間でJCCA傘下の混声合唱団が発足。鈴木さんの指導で歌の練習が始まった。
混声合唱としてのパート分けをし、手持ちの楽譜で練習を始めると、1年後にはJCCAの敬老会からお呼びがかかった。「会場はバンクーバー日本語学校。それがデビューでした(笑)」と40年前の写真を見せてくれた。セピア色の写真には、70年代を物語るように、カールした髪やミニのワンピース姿で歌う人たちの姿が写っている。皆さんの若かりし日の初舞台の様子がなんともほほえましい。

さくらシンガーズ誕生

1973年に『さくらシンガーズ』と名称が決まった。当初は鈴木さんが持っていた楽譜の歌を歌っていたが、日本から合唱曲の楽譜を持ち帰るなどしてレパートリーを増やしていった。「ただ思い出の懐かしい歌だけを毎週歌うのは飽きますから、ちょっとお勉強しなきゃいけないということで新しい曲を入れていきました。本格的な組曲は『蔵王』。全部で7、8曲入っていたものをこなしました」。こうした計画性も、団員が長く続けてこられた理由なのだろう。
男性の団員は、一番多かったときには商社や留学生も含めて12人。中には大学のグリークラブ出身という経験豊富な団員も。
さくらシンガーズはその後、日系コミュニティーのイベントや病院、シニアの施設を訪問するなど活発な活動を続け、現在そのレパートリーは250曲を越える。2006年にはBC州認可の非営利団体として登録され、2010年には40周年記念コンサートを開いた。

40年間続いている金曜日の稽古

発足以来続いているのが金曜日の夜の練習。全体練習のほかに、各パートごとが事前に練習して音合わせに臨むこともしばしば。特に高音と低音に挟まれたアルトは難しく、パート練習にも力が入る。
コンサートの2カ月前からは、本格的な練習に入る。1カ月前からは毎週練習に出席しないとコンサートに出られないという規則がある。定期演奏会は2年に1回。毎回コンサートに出演するメンバーは約45人ほどだ。その間にも、さまざまな団体からイベント出演へ声がかかる。
「出来るだけ歌った感じを覚えるように教えています。お稽古しているときにどういう風に声が通るか自信を持つと、どんなホールでも場所でも、恐れず歌えるようになります」
初めての曲を紹介するためには準備に時間がかかったり、場合によっては個人的にレッスンをするなど忍耐力も必要だが、鈴木さんはそこに楽しさを見出しているようだ。
「声はある程度生まれつきもありますが、基礎を教えればだいたい歌えます。素質があれば音感がよくなります。興味を持って楽しむことが大切ですね」

君が代を4部合唱で

『君が代』をコーラスで斉唱で歌えないかとの提案を受けて、コーラスなら合唱で歌いましょうと始めたのが、ソプラノ、アルト、テノール、ベースの4部合唱。こうして国歌合唱団NAV(National Anthem Volunteers)コーラスが誕生。外国の国歌やその国のクリスマスソングなどを練習し、イベントやコンサートに出演するようになった。
10月1日に行われた8台のピアノ・アンサンブル・コンサートでは、さくらシンガーズ、NAVコーラスが他の合唱団と一緒に出演し『フィンランディア』を歌った。メンバーたちに、クイーン・エリザベス劇場という大きな舞台を経験させたかったことから出演依頼に応じたそうで、団員思いの鈴木さんの気持ちが伺える。
「私はみなさんが(練習に)来てくださることをありがたく思っていますから、出来るだけみなさんと公平におつきあいしています。みなさん、歌が好き。楽しくやっていくのがプライオリティーですね」
そんな鈴木さんのかろやかな口調を聞いていると、こちらも歌いたくなる。誰にでも暖かく手を差し伸べるような雰囲気の鈴木さんには、まだまだたくさんの魅力がありそうだ。
(取材 ルイーズ阿久沢)

 

ルース・麗子・鈴木さん (Ruth Huang-Suzuki)

プロフィール:
1936年、台湾生まれ。声楽のレッスンを受け、数々のコンクールで優勝し、独唱会、声楽、五十嵐喜芳氏との二重奏なども行った。台湾で知り合った日本人のご主人(故人)と1967年、家族でカナダに移住。バンクーバー・オペラに参加。ダグラス・カレッジで23年声楽を教えた。日本人移住者とともに『さくらシンガーズ』を結成。現在、音楽監督および理事長。NAVコーラスのディレクター・指揮者としても活動している。バンクーバー在住。3人のお子さん、5人の孫がいる。

 

 

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