肺の解剖と働き
講演は、肺についての基本的な説明から始まった。
肺はカリフラワー状で、その末端はスポンジのようにきめ細かい穴が空いた構造をしている。この末端部分は肺胞と呼ばれ、その一個一個のまわりに毛細血管が分布している。この毛細血管内を流れる血液と肺胞内に取り込まれた空気との間で、酸素と二酸化炭素の交換が行われている。
【胸部X線検査】
私たちには最もなじみのある画像だが、輪郭のはっきりしない白黒の濃淡で臓器や形状を判断するのはなかなか難しい。先生の解説を聞けば、そこが骨なのか臓器なのか、どんな状態なのか分かってくるが、診断には経験が必要という印象を受ける。
【胸部CT検査】
肺を輪切り(断面)で見られるのが特徴。近年どんどん性能が良くなってきており、肺の診断に非常に役立つ。デジタルカメラと同じ技術の画像なので、撮影後にコンピューターで処理ができ、例えば血管だけ、肺の表面だけ、骨だけといった、多様な画像を得ることが出来る。
【胸部MRI検査】
空気のあるところは黒くなってしまい、肺の状態を把握するのには適していない。
心臓、食道などの臓器は詳しく映るので、肺よりもこれらの臓器の診断を目的として胸部MRIを撮ることが多い。
【気管支鏡検査】
気管支を通して内視鏡を入れ、肺の中側からその状態を見る。
【胸腔鏡検査】
胸に小さな穴を開け、そこから小さなカメラを胸腔(胸の内側の空間。この中に肺や心臓といった臓器が格納されている)に入れ、肺を外側から見る。
【肺機能(活量)検査】
昔、学校で行った身体測定を思い出す人も多いのではないだろうか。肺活量(肺いっぱい吸い込んで、一気に吐き出すときの量)のほか、1秒間にどれくらいの量を吐けるか(1秒量-FEV1)も測定できる。肺を車のエンジンとするならば、肺活量はエンジンの大きさ(排気量)に、1秒量はその性能(加速性能など)にたとえられる。特にこの1秒量は、後述する肺年齢を診断する際に役立つため、重要な検査項目となっている。
【動脈血ガス検査】
動脈中の血液は、肺胞でガス交換された後の状態なので、これを検査することで肺胞の能力(どれくらい酸素を取り込んで、どれくらい二酸化炭素を排出したか)が調べられる。
肺に関する指標(マーカー)
体脂肪率など、自分の健康状態を知る手がかりになる指標は色々あるが、肺機能に関しては二つの指標がある。
【喫煙指数(Smoking Index, SI)】
計算式は簡単で、「1日の喫煙本数 × 年数」。例えば1日20本の喫煙を20年間続けていた場合、20 × 20で400となる。一般に、この値が400を超えると肺の健康に要注意となる。また統計より、タバコ一本で12分寿命が縮むと言われている。上記の例では3・54年短くなる。一見、それほどでもないようだが、それに先立ち5〜10年の呼吸苦(息が苦しく、つらい)期間が伴うので、軽視することは出来ない。
【肺年齢】
前出の1秒量と、身長、年齢を算出式に代入して得られる肺の年齢。計算された肺年齢をもとに健康上のアドバイス、診断などに役立てる。
また、表2のような呼吸チェックシートを利用しても、自分の肺の状態を簡単に知ることが出来る。
慢性閉塞性肺疾患(Chronic Obstructive Pulmonary Disease - COPD)について
COPDとは、気管が狭くなり、肺が全体に膨らんで柔らかくなっていく症状のことで、「タバコ煙を主とする有害物質を長期に吸入曝露することで生じた、肺の炎症性疾患」と定義されている。喘息、慢性の気管支炎、肺気腫の3つを総称してこのように呼ぶ。
肺胞は本来、スポンジのようなきめ細かい穴の集まりだが、これが壊れてくると互いにくっつき、大きな穴が空いたような、ヘチマか蜂の巣のようなスカスカの状態になる。またCTの断面画像では、肺が前
後方向(胸と背中の方向)に膨らんでいるのがわかる(図2)。流入した空気がうまく排出できないために肺の内部に溜まっていくためだ。
COPDの治療方法
肺の細胞には再生能力がないため、壊れた肺は戻らない。この点を踏まえて、以下のような治療方法を検討する。内科的治療としては、
1 これ以上悪くしないように原因を取り除く(禁煙など)。進行を遅らせる。
2 咳や痰を薬で抑える。
3 狭くなった気管支を薬で広げる(ステロイドなど)。
4 酸素が足りない時は酸素を投与する(在宅酸素療法)。ただし、やりすぎると酸素中毒(フリーラジカル、オゾン、酸化作用)となり弊害が出るので注意が必要。酸素も薬のひとつとして扱い、適正量を守ることが大切。
という方法がある。また外科的治療としては
1 機能していない部分を切除する。(Volume Reduction Surgery)。残った肺は、全体量は減るが、酸素を取り込む効率は相対的に良くなる。
2 肺移植を行う。
がある。
ここで、栗原先生が執刀した胸腔鏡手術の様子が動画で紹介された。患者は中程度のCOPDの患者で、肺にあいた穴を塞ぐ手術である。
体にあけられた穴から、肺と体の内側(胸壁)の隙間に小型のビデオカメラが入って行く。画面に映し出されたのは、ピンク色に黒い縞模様(前述のタール)が入った肺の表面。そこに電気メスが入れられ、癒着部分が焼き切られていく様子がスクリーンいっぱいに映し出される。普段は見ることのできない最先端の治療の様子に会場は釘付けとなり、患者の経歴、病状といった病気に関する質問から、手術の手順や様子、所要時間といった治療に関する質問まで、幅広い質疑応答がなされた。
喫煙の影響
【能動喫煙】
肺の病気と喫煙には深い因果関係がある。統計によると、日本における能動喫煙が原因の死亡者数は2006年で11万4千人にのぼり、その数は増加傾向にあるという。
また加齢による機能低下の推移を肺年齢から見ると、肺機能が最も高いとされる25歳を規準(100)とした場合、正常とみなされる下限の75を下回るのは、非喫煙者では65〜70歳ぐらいだが、喫煙経験者では45歳前後でその値に達する。しかし喫煙をやめれば、その低下率は加齢による低下のみに落ち着くので、タバコをやめる利点は大きい。
【受動喫煙】
他人のタバコの煙(副流煙)には、がんの誘発物質がより多く含まれているため、肺がんや乳がん、心疾患やCOPDの危険性が高まる。また乳幼児の突然死のほか、子供の健康にも種々の悪影響を及ぼしていることも明らかになっている。
先に述べたとおり、壊れたら戻らないのが肺の病気の特徴。進行してから治療するより、定期健診を受け早期に対処することが、健康な人生をより長く送る最善の策になるというのが、栗原先生のアドバイスだ。
質疑応答
講演の最後にも活発に質疑応答が行われた。以下はその一部。
Q 喫煙をやめれば、それまで溜まったタールとかも薄れていくのか?
A そのまま残る、つまり回復はしない。それ以降の機能低下が通常にもどるだけ。
Q かなり前に禁煙したのだが。
A 約10年は喫煙の影響が残っている。また中途半端な禁煙(断続的な禁煙)の悪影響は、喫煙を継続した場合の悪影響とほとんど変わらない。
Q 内視鏡手術の術後の回復は?
A 翌日からトイレに歩いていけるぐらい。順調であれば一週間で退院できる。
Q ビタミンCは有効か?
A 肺の弾力性がある程度戻ることを、私も確認している。
(取材 平野直樹)
栗原正利(くりはらまさとし)
医学博士プロフィール
日産厚生会玉川病院呼吸器外科部長。気胸研究センター長
1953年東京生まれ。79年千葉大学医学部卒業。NHKきょうの健康にも出演し、年間300回以上の手術をこなす、肺の外科治療の第一人者。趣味は高校2年生の時から始めたチェロ。楽器は病院に置いてあり、時間が空いたときなどに弾いているとのこと。好きな作曲家はバッハ。