早い時期から多彩な才能を発揮

中3でラジオ番組の原稿を書いたそうですね?

当時、少年少女向けの小説雑誌『小説ジュニア』というものがあって、その短編小説賞に入賞すると、そこから選ばれてTBSラジオでドラマ化されるというコンペティションが毎月あったのです。そこに当時中学3年生だった私の書いた短編小説が入賞して1度ラジオドラマになったということで、レギュラー番組を書いていたわけではありません。

高校のときから漫画家を目指していたのですか?

漫画は、物心ついた頃から描いてました。私の祖父がアニメーション映画監督だったこともあって、東京新宿にあった祖父の実家に行くと、それは見事に美しいアニメーションの原画があちこちにあったんですね。今のようなコンピューターではなくて、職人としてのアニメーターが手描きで丁寧に仕上げていたもので、セルロイドや紙に書かれた動画や原画は、1枚1枚が芸術品のような綺麗なものだった。それで『絵』ということに影響されたんでしょうね。絵画ではなく漫画だったのは、原体験がアニメーションだったからです。
高校生のときに、漫画家の柴門ふみさんにアルバイトの助手で使ってもらうようになり、柴門さんが講談社の担当編集者を私につけてくれて、それで描いた1本目の漫画が『ちばてつや賞』入賞作のひとつに選ばれたわけです。

 

撮影所に入り映画の仕事へ

撮影所入りしたのは、映画監督だったおじいさまの影響もあるのでしょうか?

あとから思えば祖父のDNAということでしょうが、撮影所に行ったのは、単にアルバイト募集で採用されただけなんですね。祖父の経歴も、後年に自分がプロの演出家になってから詳しく知るようになったんですが、祖父は戦後に東映のアニメーション勃興期を指揮しましたが、戦前は実写映画の監督として文部省の映画部や松竹撮影所でもいろいろ撮っていました。だから、撮影所に行ったこと自体は影響ではないけれども、映画人になったことは影響というより必然的だったんじゃないですか。

フィルムメーカーとしてこれまで続けてきた理由は何でしょうか?

日本では、すでに30年以上前から映画界はほとんど『耐久レース』になっています。つまり、映画人としての個人の才能が認められてスタジオに採用されるということが、ほとんどないんですね。まず、企業としてのスタジオがテレビや出版業界や芸能エージェンシーと組んで、市場性のある有名タレントを主演に想定してから何を作るのか決める。監督なんてのは、資金的な枠組みを作ってから、最後に「誰にしようか?」ということになる。
スタジオ映画では、主演俳優さえ監督が決められません。まあ、全部とは言いませんが、8割はそんなものです。すると、私のようなインディペンデントの演出家なんて、自分で借金して映画を作っていることで生き残りレースをしているようなものです。

 

警察や社会の裏側を探る『ポチの告白』

『ポチの告白』を制作したきっかけ、警察や社会の裏側を探っていった過程について教えてください。

私自身、若い頃に俗にいう右翼とかヤクザ社会の友人とつきあいがあったこともあって、警察腐敗や警察犯罪は日常の経験として見ていたわけです。自分の知ってる世界を書いただけですから、脚本も10日かそこらで書いてますし、撮影も20日程度です。だから、映画を宣伝するときによく使う『構想10年!』などという特別な感じではない。
当時あるプロデューサーから、何か企画があるか聞かれ、手元にあった5本くらいの映画企画を預けたら『ポチの告白』が一番おもしろそうですって簡単に出資が決まった。最初の出資者には、刑務所に入った元・ライブドアの堀江貴文もいましたよ。ただし、映画化の準備を進める中では専門的なバックアップが必要だったので、日本のフリーランスジャーナリストで警察犯罪の専門家でもある寺澤有(てらさわ・ゆう)に参加してもらった。寺澤君のおかげでリアリティの裏打ちができて内容の質も上がったと思います。

日本ではどういう映画館で上映されたのですか?どのような反響がありましたか?

ミニ・シアターと呼ばれる、客席50席くらいから300席未満のきわめて小さな映画館があって、そういうところでしかインディペンデント映画は公開されません。要するに、普通の映画館ですが、メジャーではないところでの上映ですね。
観客の反応は、警察の実態をよく知っている人からは賛同、マスコミ報道しか信じないような人は拒否感、あとは本当にこうなのか?と戸惑う人。そんな感じでしょうか。

 

事実から映画の着想を得ることが多い

インディペンデント・フィルムとは、どういうものなのでしょうか?

インディペンデント・フィルムというのは、制作資本がスタジオから独立しているという意味です。創作的な自由が手に入るかわりに、全国配給が難しい。配給が困難だから、資金調達も困難になります。
スタジオ映画は配給は一定に保障されていますが、まあ、誰が監督でも関係ない世界で、作られるのはあくまでも『商品』です。私はそういのは興味がありません。もちろん、私自身がスタジオ出身ですから経験的に言っているのです。

映画のテーマはどんな風に、どんなところから発想しますか?

映画を作るときには、日常で目にする権力犯罪だとかマイノリティの埋もれた声といった「誰かが、何かの形で言っておかなければ」という題材からスタートすることが多いですね。テーマと題材というのは違う。
たとえば『ポチの告白』のテーマは『差別』です。あの映画の題材は警察犯罪ですけど、主題としては差別とは何かを言ったつもりです。ですから、私の場合、小説よりもノンフィクションや事実から映画の着想を得ることが多いです。

インターネットなどで映画を観る人が増え、これから映画産業はどうなるのでしょうか?

フィルムで作られていた映画はすでに世界的にデジタル化していますが、素材が変わっても映像生産業という意味では映画会社も続くんじゃないでしょうか。レコードがCDになっても音楽出版会社があるみたいに。ただ、日本では配給制度を変えない限り、日本の映画界全体がひとつのテレビ局みたいになっているのでMovie は続いても Cinema は消えるんじゃないかとも思いますね。
日本の優秀な映画人は、どんどん国外に流出したほうが良いと思いますよ。日本映画、日本語映画はハリウッドでも作れるわけですから。

今後の予定を教えてください。

今年の11月は日本で裁判所を舞台にした『ゼウスの法廷』(仮題)という映画の撮影です。これも私自身のプロダクション・カンパニーによるインディペンデント映画ですが、全国公開になります。日本の司法批判の物語ですが、今度は一般大衆に多く広めるためにラブ・ストーリーにもしてあります。
現在脚本の作業をしているのは、トロントを舞台にしたもので、2012年に撮影に入りたいと思っています。

(取材 ルイーズ阿久沢)

 

プロフィール

高橋玄 (たかはし・げん)

1965年 東京・新宿生まれ。祖父は東映動画の創立者のひとりであり、日本アニメーション映画のパイオニアで戦後初の日本長編カラーアニメーション映画『白蛇伝』の脚本・監督を手がけた藪下泰次。宮崎駿の師匠でもある。漫画家を志し、高校在学中に講談社ちばてつや賞入賞。以後、柴門ふみ、弘兼憲史に師事、アシスタントを務め、1985年、映画界に転向。東映東京撮影所の装飾助手として松田優作監督・主演『ア・ホーマンス』の現場からキャリアをスタートさせる。代表作『嵐の季節』『CHARON』『ポチの告白』。監督最新作『GOTH』は北米、イギリスなど各国でDVDリリースされている。

 

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