2017年7月20日 第29号

6月1日、ニューヨーク、カーネギーホール内ウェイル・ホールを沸かせた世界的に活躍するピアニストのサラ・デイビス・ビュクナーさん(米国在住)と舞踏家の平野弥生さん(バンクーバー在住)のコラボレーションに、6月3日発行のニューヨークタイムズ誌が賛辞を贈った。

 

 

本番を控えた練習時のサラ・ビュクナーさんと平野弥生さん(写真提供 平野弥生さん)

 

フランス作品でピアノ演奏とマイムのコラボ

 フランス人、ジャック・イベール(1890 〜1962 年)の作品『Histoires(物語)』。「白いロバ」「年老いた乞食」「お転婆娘」などの10 の小品からなるピアノ・ソロ曲である。サラさんの繊細なタッチで奏でる世界を、弥生さんのマイムがふくらませ視覚化した。その様子をニューヨークタイムズ誌が「10 の小品それぞれ、登場人物の性格を凝縮したかのような仮面をつけた平野の優雅なマイムは、流れるように曲と一体化していた」、そして「彼女はイベールが絵画的に表現したものに生命を吹き込んだ」と賞賛。さらに「その絵画的情景を、あえてユーモラスな現実と不可解な謎との中間物として表現。(マイムの動きが)音楽の表現力の限界を超えて(その内容を)わかりやすく解き明かしたとさえ感じられた」と評した。

 

日本を紹介する曲目でステージを構成

 日本が大好きなサラさん。弥生さんとコラボしたイベール作品のほかは、西邑(にしむら)由記子の『ピアノのための10 のエチュード』、宅孝二の『プーランクの主題による変奏曲』、中田喜直の『ピアノソナタ』という日本の曲だけでコンサートを構成した。どれもサラさんの思い入れのある曲ばかり。特に西邑さんの曲は、サラさんの依頼による作曲であり、サラさんが大ファンである阪神タイガースの応援曲『六甲おろし』のメロディラインが象徴的に取り込まれた茶目っ気あふれる作品でもある。

 公演の成果はすぐに現れた。公演後、アメリカのスミソニアン博物館とブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアで、今回と同様のステージを2018 年に上演する予定が組まれたのである。

 ニューヨーク公演を終え、確かな手応えを得た弥生さんに話を聞いた。

 

—ニューヨーク公演の成功、おめでとうございます。今回発表した作品について聞かせてください。

ありがとうございます。この作品は、ずいぶん前、サラさんと知り合った時に「一緒に何かやりたいね」という話になり、1年以上かけて準備しました。そして2007 年にパウエル祭でジャック・イベールの『物語』を題材とした作品を発表したんです。今回、これをさらに膨らませて作りました。

—ニューヨークで上演しようと決めたことにはどんな流れがあったのですか。

 かつてサラさんが住んでいらしたご縁からです。サラさんは現在フィラデルフィアに住んでいらして、そこのテンプル大学で教えられているので、練習はそのキャンパスで行いました。

—演奏した曲のほとんどが日本の音楽だったのは、サラさんが日本好きであることが理由ですか。

 はい、日本の音楽を紹介したいという思いともう一つの理由がありました。サラさんは、チャイコフスキー国際コンクールでヤマハピアノを選んで演奏した最初のピアニストだったそうです。その後、彼女はアメリカで「 ヤマハ・アーティスト」として30 周年を迎えた記念に、日本のヤマハピアノを使って日本の音楽を紹介したいという思いがおありでした。

 私が共演させてもらったイベールの作品だけは、フランスの作品でした。ですが、私がお面を使って演じたことで、聴かれた方たちからは、このフランスの作品が一番日本的だったとも言われましたね。

—イベールの曲『物語』からどのようにイメージを膨らませてマイムを創作していったのですか。

 この曲を作ったイベール自身、無声映画の音楽も手掛けていて、作品自体が映像と相性のいいものなんですね。小作品にそれぞれテーマがあるので、まずマスク(面)を使って表現を変えたらいいのではと考えました。マスクを取り替えると、がらっと印象が変わるんです「水を売る女」など、今時いませんので、絵で描いているものを探して参考にしました。竿の両端に水桶をぶらさげて歩いていたんですね。

—観客の反応はいかがでしたか。

 とても反応がよかったです。老婆の後にキャピキャピした若いおてんば娘を演じたときなど笑いが起きて。面をつけるごとに身体の動きが変わることに驚かれたようです。

—サラさんとステージに立つ魅力は。

 サラさんはある意味天才なので、こんな贅沢なことやらせていただいていいのかなと感じています。とてもインスパイヤされますね。ところで一緒のお稽古の時、「白いロバ」の演技を始めたらサラさんが吹き出しちゃって。「本番で笑わないようにしなきゃ」と言ってらしたんです。

—これまでたくさんのアーティストに接してきて、芸術の世界でのプロとアマチュアの違いはどんなところだと感じていますか。

 命かけてるかどうかですね。サラさんほどの方でも、公演の前は8 時間くらいお稽古していらっしゃる。24 時間どんな時でも自分の芸のことを考えている感覚でしょうね。

—そうですか。自信がなくなったり、あきらめたりと移ろいやすいのが凡人の心だと思います。弥生さんもずっと一つのことを努力し続けられることが素晴らしいですね。

 私はしつこくて、あきらめない性格なんです。あきらめないというよりも、あきらめられない。

 私が子供の頃、親の転勤が多くて、小学校1年生で浜松に引っ越したのですが、まだ越して間もない時に学芸会で主役をもらったんですね。そして当日に風邪で39度の熱が出たんです。親は休ませようとしたんですが、自分からお願いして、病院で注射を打ってもらって劇に出ました。

 そんなことですとか、中学の演劇部で1年生だった時、下っ端の役しかもらえなかったんですが、人のセリフも全部覚えていましてね。発表会前日に、主役の人が熱を出して出られなくなり「誰かやれる人がいないか」と先生から声がかかって、自分がその役をやらせてもらいました。自分はそういう人間なんですね。

—演じることがまさに天職と。

 (人物を演じる際)あるときスイッチが入る。すると自分ではなくなるんです。そして1度その人物に入ったら、いつまでもその人でいられるんです。

—ステージに立って観客の前で演じるのは至上の快感なんでしょうね。

 それは快感というのとは違いますね。お客様の反応を感じたときに、「私が今、生きている」と思えるんです。

 

二人のコラボ、来年鑑賞のチャンス

 今回のサラさんとのコラボによるニューヨーク公演と同じ内容の公演は、ワシントンD.C. のスミソニアン博物館群の一つ、フリーアギャラリーで2018 年4月19日実施と決まった。ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアでも同様の公演を予定している。

 二人が2017 年3月、歌舞伎の創始者をテーマに『オクニ(阿国)—マザー・オブ・カブキ』の公演でバンクーバーを沸かせたことは記憶に新しい。何もない空間に次々と見えないものを見せていくマイムの動きの巧みさ。語ることなく人物像を描き出す身体ムーブメントの極み。きめ細やかでダイナミックなサラさんのピアノの音色。二人が創造するユーモアあふれる芸術は、多くの人の創造性をこれからも刺激していくことだろう。

(取材 平野 香利)

 

平野弥生さんプロフィール: 1972 年、桐朋学園大学演劇コース卒業と同時にマイム公演活動を開始。'89 年、マイム界初の文化庁在外研修員としてドイツ、カナダでマイム、ダンス等を研修。帰国後の'90 年YAYOI THEATRE MOVEMENT を創始。 2002 年よりカナダを拠点として活動。
パフォーマンスのみならず、作品作り、構成、振り付け指導から能面制作まで活動範囲は幅広い。
これまでカナダ国内の数都市、ヨーロッパ7都市での公演ほか、シンガポール公演など日本国内外で、数多くの公演経験を持つ。
サラ・デイビス・ビュクナーさんとは今回の『物語』を含め、これまで4作品を共演。

 

 

すべてのマスクは、平野弥生さん自身が彫り込んで制作したもの(写真撮影 由紀子オンリーさん)

 

 

左からサラさんのアシスタントの勢川加代子さん、サラ・ビュクナーさん、平野弥生さん、平野さんのパートナーのダグ・オーウェンさん(写真撮影 由紀子オンリーさん)

 

 

「能スタイルのお面を着けての卓越したマイム」、その精緻な動きによって「イベールの音楽の深みや風変わりな様子がよりよく表現されていた」とニューヨークタイムズが報じた(写真撮影 由紀子オンリーさん)

 

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