2017年6月29日 第26号

フィロソフィ教育は惚れさせよ!から正直が一番!

6月11日、バンクーバー・ダウンタウンのコースト・プラザ・ホテルで、盛和塾シカゴ・バンクーバー支部主催による講演会が開かれた。盛和塾千葉の代表世話人を10年間務めた、ゼットエー株式会社代表取締役の扇山信二氏が、自身の経営観や従業員教育に焦点を当てて講演した。軽快な語りの中に、揺るぎない信念と情熱を感じさせる話に、会場に訪れた約35人の参加者が熱心に聞き入っていた。講演会後は、扇山氏を囲んでの交流会も行われた。

 

 

講演中の扇山信二氏

 

 始めに、日本航空バンクーバー支店長の安部省志氏が開会の挨拶をした。今年3月の就任後、盛和塾の勉強会に参加するようになり、一企業の従業員であったとしても、経営に携わる一員としての責任や覚悟を持つことは大切なのではないかと感じていると述べた。

 

おみくじに導かれて 27歳で独立 

 家庭が貧しかったため幼稚園に通えず、自分も行きたいと漏らすと、父が「幼稚園は頭の悪い子が行くところ、お前はおりこうだから行かんでよい」と言いました。「おりこう」と言われたことが効いたのか、学校では勉強も頑張り地元の名門進学校に合格しました。ところが、高校入学直前に父が事故で失明し、家庭もますます厳しくなったため千葉県に住んでいた兄を頼って高校卒業後に就職しました。父は、それからしばらくして逝去しました。

 27歳の時、初詣に出かけた折に100円のおみくじを引くと、「あなたは27歳で独立します」と書いてあったんです。もともと独立したいと考えていた時にこのようなおみくじを見たので、4月に誕生日が来て28歳になってしまう前に独立しなくては、とすぐに勤め先に辞表を出しました。さて、何をするかと考えていた時に目に入ったのが「洋服直し」の看板。技術を持ったスタッフを雇って切り回しながらなんとかできるだろうと考えて、「リフォームランド」という店をオープンしました。その後、7年の間に138店舗までフランチャイズ(FC)店を増やしました。そのうち、価格の安い洋服が出回るようになり、洋服は直すより新しいものを買った方が割安、という時代になっていきました。洋服直しの業績は伸び悩み、FC店の多くを開放しました。

 この事業に変わるものとして、新たにリサイクル店「ゴルフランド」と「つり具ランド」をオープン、現在では千葉県内を中心に直営大型店が合計14店舗あります。この他に、オリジナルプリントTシャツの製作事業なども手がけています。また、自分自身の英語学習がきっかけで、セブ島(フィリピン)にある語学学校の運営にも携わっています。

 

正直であることが一番

 経営をするうえで、偉大な経営者の真似をすれば同じように成功するかというわけではないですね。人間を1冊の本にたとえれば、最初の1ページから最後のページまで全く同じという人はいないわけです。盛和塾の稲盛塾長のフィロソフィに、経営の原点12カ条というものがあり、それを掲げている企業さんも多いです。しかし正直に申し上げると、稲盛塾長には叱られてしまうかもしれないのですが、私のところではすべては掲げていません、というか掲げられないのです。確かに全部できることが理想ではあるけれど、自分にできないことを掲げてしまっては社員たちに堂々と嘘をついていることになり、迫力が出ないと思うからなんです。インターネットで検索してみると、「盛和塾に入った社長が、うちはうまくいっていると満足しているけど、事務所に全然顔も出さないから実態を何もわかっていない」など、従業員の生の声が見られることがあります。実は掲げるものは立派ですが、「現場が大切」という塾長の教えをまったく実践していないのです。また、他にも社長の思いと従業員のそれとのギャップがなぜ大きく生まれるのか考えてみると、それは正直ではないからでは、と思います。成人君子ではないのだから格好つけすぎず、最初から正直に全部出してしまった方がいいと思うんですね。稲盛塾長は子供に事業承継をさせる時など「仁義を切れ」と仰います。それと似たところがあるかもしれません。

 私は自分自身が社員時代は理屈っぽくて扱いにくいタイプだったので、そういう社員の気持ちはよく分るんです。自分が社員だったころの気持ちを忘れてしまっている人が多いのではないかと思います。また「構想は楽観的に、計画は悲観的に、実行は楽観的に」という塾長の言葉があります。悲観的なタイプの人は、計画を慎重に立てることができるので任せられる。そういうふうに考えて仕事を振ることも大事だと思います。社員と社長のベクトルの向きが同じであることも非常に大事です。この向きが合わない人は辞めていただく、または最初から入ってもらわないようにする。それは会社としてやっていかなくてはならないことです。無理して合わせていこうとしても、長い目で見るとどこかでボロが出て、お互いにとって良くないのではないかと思うのです。

 稲盛塾長の「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉があります。動機が善であり私心がないかと自分に問えということなのですが、入塾当初、私はこの言葉になかなか馴染めず、理解するのにずいぶん時間がかかりました。ある時、松下幸之助さんが80歳の時のビデオを見る機会があり、松下さんが「私はこの年になっても私利私欲の塊だ。それを毎晩反省している」と話していたんです。それが自分の腹にすごく落ちたんです。私心を持つことは当たり前、それを戒めようとする気持ちが大切なのだと塾長も仰りたいのではないかと。要するに稲盛塾長の言葉は「そうありたい」という完成形の言葉だと解釈したら、非常に納得できました。

 思いの力を伝える大切さということも強く感じてます。最初からできると思ってやっている人と、最初から無理だと思っている人では、結果はおのずと決まってくるのです。限界は人が作ってしまうものなんです。

 

社員に惚れてもらう 

 人にものを教えるときに忘れてはならないことは、わかりやすく伝えることです。そして、仕事を好きになるためには、楽しく仕事ができることですね。義務感だけで働くということはつまらないし、人のためになるようにという使命感に燃えて、というだけでは足らないと思う。大切なのは「ワクワク感」だと思います。「あのお客さんはなかなか難しかったけれど、最後には褒めてくれた」などといったワクワク感、これが大事だと思うんですね。目標を達成した時、脚光を浴びた時、他人に喜ばれた時などに人はうれしい気持ちになります。そうしたことをうまく活用して、社員に課題を与えたりすることで、社員も仕事が楽しくなってきます。

 経営者としては社員に好かれているかどうかも大切です。私は、新入社員が入るとき、必ずその社員の両親の元に挨拶にいきます。全国どこでも行きます。千葉県の大多喜町という所で古民家を買い取り、社員の研修所を作りました。ご飯もかまどで炊いて、お風呂も薪で沸かすので、薪割りも社員たちにしてもらいます。新卒だけでなく社員には定期的に、ここで研修を受けてもらってますし、他の企業の方にも研修の様子を見に来てもらってます。私は任侠映画が好きなんですが、任侠映画には組織づくりのヒントがたくさん見つけられると思っています。研修でも任侠映画を観ることがありますよ。そして研修の最後は楽しく終わらせる。これも大事です。

 まずは、社風、企業文化を決める。どういうムードの会社にしたいのかという土壌作りをすることが大切です。社員に惚れられる人になる、そのために多少無理したり、我慢したりすることは時に必要です。

 

 神社にお参りするときにあなたは何をお祈りしますか。普通、商売繁盛とか家内安全など、お願いごとだけをしてしまうものですよね。私もずっとそうでした。しかしある時、稲盛塾長からはこう教わったという方から、「お参りするときには『今日も元気でいさせてもらってありがとうございます。なかなかできないでいてごめんなさい』とお伝えする場所である」と教えてもらいました。要するに感謝と反省です。社員との良い絆ができていないと、感謝も注意するのもうまくできないです。最近の私は、社員に対してもこれと同じような気持ちで対していくことが大切なのでは、と自分を戒めるようにしています。

 講演後には活発な質疑応答が行われた。最後に、C E Energy Development Corp.の社長、アンジェラ・ホリンジャー氏が閉会の挨拶をした。同氏は盛和塾の英語での勉強会のリーダーを務めている。

 

扇山信二氏プロフィール
宮崎県出身。高校卒業後、9年間の会社員生活を経て、1987年に洋服直しの店「リフォームランド」を創業し、最盛期には全国138店舗を展開した。その後、リサイクルショップ「ゴルフランド」「つり具ランド」をオープン。他にもTシャツのプリントやパンフレット作成などのデザイン事業、海外留学支援事業、研修事業と多角的経営を展開している。

盛和塾
京セラ株式会社名誉会長、日本航空名誉顧問の稲盛和夫氏がボランティアで塾長を務める経営塾。1983年の創設以来、国内56塾、海外40塾で一万一千人人余りの塾生が、人としての生き方と経営者としての心の持ち方を学ぶ。バンクーバーはシカゴ塾の全面的な協力により、支部として定期的に勉強会を開催している。英語での勉強会も行っている。

(取材 大島多紀子)

 

 

 

右から、安部省志氏、司会を務めた中島千佳子さん、扇山信二氏、コーストホテル社長の小茂田勝政氏、アンジェラ・ホリンジャー氏

 

 

扇山氏のユーモアも交えた熱い語りは参加者をひきつけた

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。