2017年6月22日 第25号
「人生の99パーセントが不幸だとしても、最期の1パーセントが幸せならば、その人の人生は幸せなものに変わる」
マザーテレサの言葉に賭け、命の最期に立ち会う看取りに全身全霊を傾け活動を始めた柴田久美子さん(岡山県在住)。日本全国から同志を迎え、現在までに「抱きしめて看取る」を実践できる260人の「看取り士」を育てた。6月8日ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市の日系文化センター・博物館で行った柴田さんの講演は、死生観を豊かに広げるものだった。
「生きることは命のバトンを渡すこと」相手は家族など特定の人に限らないと柴田久美子さん
看取りを大切に行うために
柴田さんは「看取り士」の仕事を「余命宣告を受けた後に納棺まで、本人や家族、医療従事者らと相談しながら、その人の人生の最期を見守ること」と定義した。そして実際の現場では、本人や家族などから依頼を受けた看取り士が、ボランティアで組織した「エンゼルチーム」と連携し、24時間態勢で本人のそばで見守り、触れ、抱きしめ、温かく見送る。
人生の大転換を経て旅立ちの支援者に
ビジネス界で上り詰めるが、家庭とのバランスが取れず、自責の念にかられていた30代の柴田さん。海外出張後、家庭に自分の居場所を見つけられず、追い込まれた心境から常用していた睡眠剤を大量に飲む選択をした。仕事の助手が見つけて一命を取り留めたが、夫からの最初の一言は離婚の宣告だった。
柴田さんが会社を辞め、独りで歩み出した時、心にあったのは冒頭のマザー・テレサの言葉と小学6年で父を看取った経験だった。父が旅立ちの時、ずっと手を握り、そして父の胸にしがみつき思いきり泣きに泣いた。その後、目に映ったのは外の世界の澄みきった空気、心の中はすべてのものへの温かい感謝したい気持ちで満たされていた。
「たった一人でいいから抱きしめて送ろう」
希望を抱いて就いた介護の仕事。しかしそこに柴田さんの描いた最期はなかった。介護を受ける本人は家に帰りたいが、帰ることが叶わない。家にいたくても誰かが病院へと連れて行く。
「誰もが自分の好きな場所で、好きな人と好きなように暮らせるようにしたい」
その一念で病院施設のない人口600人の離島へ移住し、看取りの家「なごみの里」を作った。そこで医療の介入しない看取り、信頼関係を育み抱きしめる看取りを実践した。
日本は急激に高齢者増となる時代を迎える。その時の介護力不足、医療施設不足等の問題の解決のためにも最期の看取りができる人材を育てたいと、2011年に「看取り士」の養成講座を開始した。また24時間態勢で交替で看取るために組織した「エンゼルチーム」は全国に280の支部を持つほどに成長している。今回の来加はビクトリアでの看取り士講師養成講座の開催が主たる目的だ。
命のバトンを受け取る神聖な時間
この日の講演会は、ビクトリア在住の看取り士・ピーターソンめぐみさんが主催。約80人の参加者が、笑顔で語りかける柴田久美子さんの話に耳を傾けた。
母を恨んで疎遠にしていた息子、その母が迎えた最期。何もできず微笑むだけになった母を前に息子の心に大きな変化が起きた。
「人は旅立ちを前に、すべてを許し、すべてを与え、すべてをご自分で整えていきます。そんな時間が与えられます。この方も同じでした。そして抱きしめて送った後に私たち自身が大きく変わります」 目の前の世界が美しく輝き出し、感謝の念でいっぱいになるという。柴田さんはその理由を瀬戸内寂聴さんの言葉に見つけた。
「瀬戸内寂聴さんは『人は旅立つ時、25メートルプール529杯分の水を瞬時に沸騰させるくらいのエネルギーを傍らにいる人に渡す』と語っています。それを私は看取りの時に体験させていただきました。ぜひ抱きしめて看取って、このエネルギーを受け取っていただきたいと思います」何百人もの死に出会い、旅立ちは出産と同じく歓喜に包まれる瞬間であると確信を得た。
本紙インタビュー
―なぜ人は亡くなることに恐れを感じるのだと思いますか。
マスコミ報道での事件事故の残忍な映像などから、人が亡くなるのは暗く冷たいものと勘違いするのでしょう。でも実際に死を体験すると、あったかいんですよね。
わだかまりの深い家族の中での看取りについては、どんな助言ができますか。
旅立つご本人の身体は、だんだん何もできなくなり、声も出せなくなり、微笑むだけになります。赤ちゃんを怒る人はいませんね。ご家族は、その方をしっかり見る。触れて、触れてぬくもりを感じて、恐怖心を取り除きながら見続けてもらう。そうすると、ご本人のエネルギーが変わっていくのが感じられます。「仲良し時間」に変わっていくんですね。避けずに見続けることです。
もし、あなたが周りの人であるなら、家族の人たちに「とにかくそばに行って見ててあげて。きっとギフトがあるよ」と促してあげてください。自ずと穏やかな時間になっていきます。
―家族の臨終に立ち会えず、無念な思いでいる人たちにどういったことを伝えられますか。
まず、今後そうした場面に出会う方にお伝えしたいことを言います。危篤と知ったら駆け付けましょう。できるだけご遺体があるうちに。もしご遺体にドライアイスが載っていたら、それをどけて肌に触れる。そうすると、人によっても違うんですが、触れているとあったかくなるんです。蘇るんです。そうしたら次は抱きしめる。必ず(魂が)戻ってきます。それがグリーフケアです。間に合わないことはありません。
そして、すでに大事な方を亡くしている方の場合です。何年経っていてもかまいません。その人の写真か、生前身に着けていた物などを置いて、その人が生前暮らしていたのと同じ暮らしをするんですね。コーヒーなり、お煎茶なり、その人が飲んでいたものを飲んで、一緒にご飯を食べる。それを1週間続けるんです。生きている時のように写真に声もかける。亡くなったのがお父さんでしたら、「お父さん、一緒にお茶飲もうね。あったかくておいしいわよ」と。そして「ありがとう」を伝えてあげる。そのうちに自分の中にお父さんがどんどん入ってきます。1週間続けたら、自分の中のお父さんに気付けます。自分が忙しいのでそれを感じない自分になってしまっている。だから、それを感じるだけでいいんですね。そして自分を取り戻した時に、亡き方と一緒になれます。それが初七日。日本は素晴らしい文化を持っています。
講演の感想・看取りを学ぶ意味
講演会参加者の声:「私の場合は、父を在宅で最後を看ていき、不安もありましたけど、ホームヘルパーさんが教えてくださって心構えができ、助かりました。今回の講演で看取り士さんの存在を知ったことは安心材料です」(ゆかさん)、「圧倒的な「幸福感」でした。最期が安心と知ると、今を安心して生きられるという柴田さんの死生観と悟り、その実体を見せていただきました」(夏子さん)。
日本から看取り士講座に参加のホームヘルパーの伊藤英子さんは「自宅での看取りを望む家族の方でも、いざとなると怖くて救急車を呼んでしまう。ちゃんと自宅で見送りのできることを伝えられたらと」、同じく日本から参加の看護師・白瀧貴美子さんは「訪問看護をしていますが、自分自身、確執のある父親を抱きしめて看取れるかと。看取れる自分になりたいというのが看取り士の勉強の正直な動機です」と語ってくれた。
* * *
インタビューの冒頭、「自分には価値がないと感じている人に対して、どんな思いで接することが助けになるのでしょうか」と尋ねた折、柴田さんは「それは簡単です」とすかさず、記者のほおに、自身のほおを当ててハグをした。「あったかいですね。これが生きているということ。ぬくもりというエネルギーを持っている。生きることで、このエネルギーを次に渡していくことです」。言葉を超えた回答が伝わってきた。
(取材 平野 香利)
柴田久美子さんプロフィール
島根県出雲市出身。日本マクドナルド株式会社勤務を経て、1993年から福岡の老人ホームの寮母として勤務。1998年隠岐諸島知夫里嶋へ移住。2002年に看取りの家「なごみの里」を開設。2012年一般社団法人「日本看取り士会」設立。同代表理事に就任。
活動の拠点は現在岡山県。社会学者・上野千鶴子さんの著書『ケアのカリスマたちー看取りを支えるプロフェッショナル』で紹介され、上野さんから「あなたの役割は臨終コンプレックスを取ることよ」とコメントを受けている。
看取りの文化を広げる柴田久美子さんと講演会主催者のピーターソンめぐみさん
愛する人に触れて心の中に別れを入れることが、見送る人自身のケアになることを伝えてくれた