2017年3月23日 第12号

日系プレース基金主催の「サクラ・ガラ」が3月16日、バンクーバー市パン・パシフィック・ホテルで開催された。今年は例年にない寒い冬の影響で、市内の桜はまだまだ固いつぼみのままだったが、会場は日系コミュニティ関係者240人が集まる華やかな会となった。 この日は、トーマス・ショウヤマ・ライフ・アチーブメント賞を受賞したヘンリー・ワカバヤシ氏の授賞式や、昨年同基金に100万ドルを寄付した唐沢良子氏への花束贈呈式が行われ、元ノーザン・ブリティッシュ・コロンビア大学(UNBC)学長ジョージ・イワマ氏やポール・カリヤ氏、キャシー・マキハラ氏など、日系社会を支えてきた人々が祝福に駆けつけた。 そしてゲストスピーカーにブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)学長小野三太氏を迎え、講演が行われた。今回、小野学長が日系文化センター・博物館の理事に就任したことも発表された。

オークションでは、ディナークルーズやブリティッシュ・コロンビア州スキーリゾート・サンピークスの宿泊セット、さらには小野学長とのディナーも出品され、会場は大いに盛り上がった。この日集まった寄付金は、約12万ドル(グロス)だった。

最後にはキー・ラン氏によるピアノ演奏も行われ、和やかなひと時となった。

 

 

ワカバヤシ氏(左)と小野学長。UBCでも2人は繋がっていると、小野学長がスピーチで語った

 

「人種は関係ない。自分のベストを尽くせば、周りが評価してくれる」
‐ヘンリー・ワカバヤシ氏受賞スピーチ‐

 ワカバヤシ氏は受賞スピーチで、日系人ということで苦労するのでは、との思いがあったことを語った。強制収容を経験している世代。子供の頃には、「朝起きると自分の顔が白人になっていたらいいのにって思ったこともあった」と笑った。

 しかし「自分がこうして、今日、このような賞を受賞できたのは、日系人だったから」と、自分のルーツへの誇りを語った。

 当時の日系世代の両親誰もがそうだったように、自分の両親も子供が将来苦労しないようにと、ふさわしい教育を受けさせてくれたと感謝した。そして金銭的な支援だけではなく、道徳的な価値観を教えてくれたことが今日の自分に影響していると語った。

 大学を卒業して、その後「師」と仰ぐ人物に出会えたことを人生の誇りとしていると振り返った。1958年にUBCを卒業後、共に学んだエンジニアの友人は就職したが、自分はできなかった。日系であることが理由ではないかと思ったこともあった。しかし、後に、三菱商事のミナガワ氏と出会う。1950年代後半、60年代前半というのは、日本企業がカナダへの再進出を始めていた時代。商社も苦労していた。そんな中、ある時、ミナガワ氏が自分の所で働かないかと言ってくれた。大学でエンジニアを勉強してきた自分にとっては、畑違いだが、ミナガワ氏の「自分の所で働けば、6カ月でビジネスについて必要なことは全て学べる」という言葉を信じて、ついていった。その後過ごした5年間は「ハーバード大学のビジネススクールでMBAを取得するほどの価値のある期間だった」と振り返った。

 しかし最も重要な教えは、「敬意と尊厳を持って人と接すること」。ビジネスだけでなく、日本の文化について、伝統について、貿易について学び、そして日本語もうまくなったと笑った。

 「私はこれまで自分と私のチームが手掛けたプロジェクトに誇りを持っている」とワカバヤシ氏。「それに、私がミナガワ氏のように、誰かの師となるような存在になれていれば、これ以上の達成感はないと思う」と語った。

 「今回トーマス・ショウヤマ賞のような賞を受賞できて、非常に光栄」とワカバヤシ氏。これから続く若者へは、自分が子供の頃、日系人排斥があって、日系人には厳しい時代だと思ったが、「ベストを尽くせば(人種は)関係ないと思う」。いい友達に巡り合い、助け合い、一緒にやってきた。大切なのは、「いつもベストを尽くすこと、フェアであること、仕事を任せた人を信用すること」。自分のことばかりを考えていたのでは、周りの信用は得られないと思うと語った。

 

ヘンリー・ワカバヤシ氏

 エンジニアコンサルタント。約50年にわたり、BC州の重要な政府・民間プロジェクトを手掛けた。バンクーバー国際空港拡張工事などは、その一例。また、日系人排斥への補償運動リドレス委員会副委員長やモミジガーデン建設、日系プレース、隣組と日系コミュニティにも大きな貢献をしている。

 

トーマス・ショウヤマ・ライフ・アチーブメント賞

 カナダで、日系カナダ・邦人コミュニティにリーダー的役割で尽くした個人に贈られる賞。連邦政府としてカナダのヘルスケアシステムの構築に尽力し、日系センター建設への寄付金集めなど、カナダと日系コミュニティに計り知れないほどの貢献をした日系人トーマス・ショウヤマ氏の功績を称え、賞に氏の名前が冠されている。これまでに、アーサー・ハラ氏やゴードン・カドタ氏が受賞している。

 

大学と日系コミュニティの役割
‐小野三太UBC学長スピーチ‐

 小野学長は、大学が若者に与える影響の大切さと、コミュニティが人々を迎え入れる重要さを、自身と家族の経験を通して語った。

 「私はどこにいても、日系社会と繋がっていたいと思っている。私にとっては、すごく意味のあることで、今回日系プレースの理事に就任して、非常にうれしく思っている」と語った。

 バンクーバーに、UBCに「帰ってきた」というのは、私の夢が叶ったということ、そして、「地元に帰って来たということ」と強調した。

 UBC学長就任は自分にとって非常に名誉なことであり、このような素晴らしい大学を築き上げてきた先人に敬意を表したいと思うと語った。

 UBCは全国、BC州のみではなく、多くの留学生も受けて入れている。バンクーバー最大の雇用主でもあり、その役割は計り知れない。

 両親は日本で戦争を体験したが、それについてはあまり多くを語ろうとはしなかった。父は東京大学を卒業後、名古屋大学で博士号を取得。当時日本には多くの優秀な数学者がいて、父もその一人だったが、今ではその多くが父のように世界で知られる活躍をしている。

 しかし、戦後の日本で数学者が活躍できた背景には、マンハッタン計画で知られるロバート・オッペンハイマー氏や、天才学者アルベルト・アインシュタイン氏の大きな貢献があることを紹介した。彼らが日本の優秀な学生をアメリカの大学に招待したという。「一時は敵国として戦った国の学生にチャンスを与える」。次のアインシュタインになる機会を与える。オッペンハイマー氏から父に送られてきた招待の手紙を自分も見たことがある。「これこそが大学の役割ではないか」と語った。

 そうして父はのちにUBCの教授として、バンクーバーを訪問。自分はバンクーバーで生まれ、ここが家族にとっての「故郷」となった。

 昨年の就任式に出席してくれた両親にとっては、バンクーバー訪問は感慨深かったようだと語った。私たち家族をUBCも、日系コミュニティも温かく迎え入れてくれ、「心から感謝したい」と小野学長。「帰る場所」があるということはとても大事なことと、日系コミュニティが今でもこうして強く結びついていることを称賛した。

 コミュニティはお互いを思いやり、そして、日系人が排斥で苦しんだ時と同じような苦しみを抱えている人々を思いやる存在であることが大切と語った。

 戦前、戦中、戦後、そして現在に至るまで、日系社会がここバンクーバーで継続、発展し、日系プレース基金をはじめとする組織がコミュニティに重要な役割を果たしていることに敬意を表したいと語り、ここまで築いてきた先人の意志を継ぎ、これからも共に発展していきたいと語った。

 

「皆さんが喜んでくれるのが一番うれしい」
‐唐沢良子氏、花束贈呈式‐

 昨年、唐沢良子氏、新見ファミリーが、各100万ドルを日系プレース基金に寄付した。新見氏からの寄付は、日系シニアズ・ヘルスケア&住宅協会の改築に充てられ、工事も着工。建物には新見氏の名前が付される。今回は都合によりガラに出席できなかったと紹介された。

 唐沢氏からの寄付は日系文化センター・博物館のミュージアム改装などミュージアムの改善に充てられる。そして「カラサワ・ミュージアム」と名付けられることが決まっている。

 贈呈式後、「ミュージアムが大きくなることがうれしい」と唐沢氏。さまざまなコミュニティとコミュニケーションも取れるし、日系の歴史もさらに詳しく知ることができるようになる。周りからはミュージアムの名前について、フルネームを使いたいって言われたという。「だけど、唐沢だけにしてくださいってお願いしたんです。みんなのコミュニティで、みんなのミュージアムなので。名前を出すっていうのは、ちょっと恥ずかしいって思ったんです」と笑った。「皆さんが喜んでくださって、それが一番うれしい」と語った。

(取材 三島 直美) 

 

 

スピーチの後、賞を贈呈した日系プレース基金理事長ロバート・バンノ氏(左端)と、孫娘二人と記念撮影するワカバヤシ氏(右)

 

 

夫君の岡井知明氏と共に出席した岡井朝子在バンクーバー日本国総領事(左)と小野三太学長

 

 

冒頭で、「私の名前をジョークに使ってくれても構わなかった」とワカバヤシ氏に笑った小野学長。ワカバヤシ氏がスピーチで、小野学長の名前「サンタ」をジョークにしようと思ったけどやめたと言ったことを受けた小野学長だった

 

 

左から、花束を贈呈したキャシー・マキハラ氏、唐沢良子氏、日系文化センター・博物館理事長の五明明子氏

 

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