2017年3月2日 第9号

カナダの二言語主義と公用語マイノリティ(少数派)を地理学の立場から研究する大石准教授。昨年4月からオタワ大学に1年間、客員研究員として滞在した。研究を深めるため、この1年はカナダ国内をひとりで車で横断し実地調査するなど、研究に対する熱狂ぶりには脱帽だ。今回大石教授が帰国するにあたり、研究分野のひとつであるカナダの公用語について話を聞いた。

 

 

関西学院大学国際学部人文地理学・大石太郎准教授

 

⌘ まず「公用語」についての説明をお願いします。

 日本には公用語がないのをご存知ですか? 公用語というのは本来法律で定められているはずですが、日本で日本語以外に他の言葉が公用語になるということは考えられないので、制定する必要がなかったわけです。アメリカに関しても同じことが言えます。だけどカナダは違います。カナダでは1969年にOfficial Languages Act(公用語法)が制定され、英語とフランス語が明確に公用語となりました。とはいえ、もともと英領北アメリカ法(現在の1867年憲法)において、連邦議会とケベック州議会、連邦が管轄する裁判所とケベック州が管轄する裁判所では英語とフランス語の両方の使用が認められており、限定的とはいえカナダは連邦結成当初から二言語が共存する国でした。

⌘ 法で公用語が制定されることで教授が研究している公用語マイノリティという言葉が存在するわけですね。この公用語マイノリティとはケベック州のフランス系カナダ人のことを指すのでしょうか?

 公用語マイノリティとはケベック州のフランス系カナダ人だけを意味しているのではなく、カナダ全土に公用語マイノリティが存在します。例えば英語話者が多いBC州ではフランス語話者(以下フランコフォン)が公用語マイノリティです。逆にフランス語話者が多いケベック州だと、州レベルでは英語話者(以下アングロフォン)が公用語マイノリティとなりますね。

⌘ なるほど。ケベック州ではアングロフォンが公用語マイノリティと称されるのが興味深いですね。言われてみれば当然のことかもしれませんが、アングロフォンというと英系で、カナダではどの分野でもマジョリティ(多数派)の立場を保ってきたというイメージが強いので。

 70年代までケベック州のアングロフォンはマイノリティという意識はありませんでしたね。彼らは連邦レベルではマジョリティだったからです。とくに、カナダ経済の中心だったモントリオールには裕福なアングロフォンが多く住んでいました。かつてケベック州では政治はフランス系カナダ人が権力を握っていましたが、経済のほうは英系カナダ人が権力を握っていました。

 ケベック州に限らない話ですが、フランス系カナダ人は1960年代くらいまでカトリック教会の強い影響力の下で暮らしていました。人々は教会の教えに忠実で、10人から多くて20人もの子供をもうける家庭が一般的でした。日曜日に教会のミサに行くと、司祭から「最近子供が増えていないんじゃないの?」と言われることもふつうだったようです。ケベック州出身で1968年生まれの歌手・セリーヌ・ディオンは典型的なケベックの大家族出身で、彼女くらいの年齢の人がそういう大家族の最後の世代となりますが、14人兄弟の末っ子だったと思います。

⌘ セリーヌ・ディオンも出てくると、なんだか歴史を身近に感じます。彼女が生まれる前の話となりますが、ケベック州では、モーリス・デュプレシ州首相(在任1936年~1939年、1944年~1959年)がカトリック教会と結びついて超保守的政治を行ったことで有名だという話ですね。「ケベック州の近代化が遅れたのは彼のせいだ」とか「大いなる暗黒時代」と表現されることが多いようですが…。

 「静かな革命(Quiet Revolution)」という言葉をご存知ですか? デュプレシ首相が在任中の1959年に急死し、自由党のジャン・ルサージュが首相となると、ケベック州の政治・経済・社会の大改革が始まります。それを「静かな革命」と言います。この時期、ケベック州ではカトリック教会の影響力が弱まり、徐々に近代化が進みます。それまでアングロフォンが握っていた経済の中枢をフランコフォンが取り戻し、1964年には教育省が設けられ教育の近代化もすすめられました。1968年にはケベック州の主権獲得を目指すケベック党が結成されるなど、カナダからの独立を求める動きがみられるようになりました。

 それに対して、連邦政府はカナダ全土を調査してフランス語の地位が低いことを明らかにし、それを是正しようと1969年に公用語法を制定しました。カナダは言語で地域を明確に区分することができないので、連邦政府が管轄する公的サービスは国内のどこにいても英語かフランス語のどちらかで受けることができることになりました。

⌘ カナダの二言語主義にはそんな歴史があったのですね。

 二言語主義はカナダの国是のようなものなので、徹底されなければいけないと思います。ですが、約50年経った今でも残念なケースをたまに耳にします。オタワのフランス語日刊紙「Le Droit」に1月27日付で掲載された記事では、オタワ空港でフランコフォンが税関職員にフランス語で対応してもらえなかったことが報じられています。もちろん税関は連邦政府の管轄なので、こんなことは起こってはいけないですよね。ジャスティン・トルドー首相も今年の初めにケベック州のシャールブルックでタウンミーティングを行った際、参加者の一人から英語で質問を受けましたが、フランス語で返答したことが問題視されました。彼は国を代表する立場にある人なので、たとえシャールブルックにはフランコフォンが多いという理由があったとしても、この場合は英語とフランス語の両方で答えるのが妥当でしょう。

⌘ 確かにそうですね。カナダの二言語主義は地域で使い分けるものではないですからね。

 英語系カナダとフランス語系カナダの断絶を、ある小説の題名にちなんで、しばしば「二つの孤独」といいますが、英語メディアとフランス語メディアでは報道内容が必ずしも同じではなく、また両方見比べる人もあまりいないのが現実です。同じ国に住んでいてもどちらの公用語を話すかということで物事に関する認識が変わってくるように思います。バンクーバーではフランス語の存在があまり感じられないかもしれませんが、フランコフォンの存在はカナダの歴史そのものといっても過言ではありません。連邦結成150周年の今年が、カナダの二言語主義をあらためてふりかえる機会にもなればと思います。

(取材 小林 昌子/ 写真提供 大石太郎准教授)

 

※大石太郎准教授も執筆に加わった『カナダの歴史がわかる50章』(細川道久編、明石書店)が近く出版される予定だ。カナダの歴史について学びたい読者にお勧めしたい。

 

 

史跡スーセントマリー運河(オンタリオ州北西部) 史跡は国立公園局が管理しており、カナダ全土で二言語によるサービスが提供されている。なお、スーセントマリー運河はスペリオル湖とヒューロン湖をつなぐ運河で、セントローレンス海路の一部として重要な役割を果たした

 

 

グランディーグのカトリック教会(ニューブランズウィック州南東部) フランス系カナダ人の村の中心にはカトリック教会が建ち、重要な建物が周辺に集まっていることが多い。手前にみえる旗は沿海諸州(マリタイムス)のフランス系住民アカディアンの旗であり、左奥にみえる緑の看板は信用組合である

 

 

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