2016年10月13日 第42号

バンクーバー国際映画祭(VIFF)で上映された『東北の新月』は5年の歳月をかけて製作された。10月5日と7日の上映日にはリンダ・オオハマ監督と、撮影に協力し出演もしている佐々木賀奈子さんと二女の星瑛来(せえら)さんが舞台で挨拶をした。リンダさん、佐々木さんをはじめ、製作スタッフなどを招待した晩餐会が、10月7日、在バンクーバー日本国総領事公邸で開かれた。

 

 

岡井朝子在バンクーバー日本国総領事(右から2人め)と夫君の岡井知明氏(右)、カーク・トゥーガスさん(右から3人め)、佐々木賀奈子さん(右から4人め)、佐々木星瑛来さん(右から5人め)、リンダ・オオハマ監督(左から5人め)、ロレーン及川さん(左から4人め)、長尾光徳さん(左から3人め)、セシリア・チャンさん(左から2人め)、ジョージナ・チャップリンさん(左)

 

和やかな歓談のひととき

 この日招待されたのは、リンダ・オオハマさん、佐々木賀奈子さん、佐々木星瑛来さん、撮影監督で共同プロデューサーのカーク・トゥーガスさん、広島県尾道市で映像会社を経営し、リンダさんの映画撮影に長く協力してきた副プロデューサーの長尾光徳さん、グレーターバンクーバー日系市民協会会長のロレーン及川さん、VIFFマーケティング・コミュニケーターのセシリア・チャンさん、VIFFデジタル・コミュニケーション・コーディネーターのジョージナ・チャップリンさん。岡井朝子在バンクーバー日本国総領事と夫君の岡井知明氏に出迎えられたゲストの方々は和やかに歓談し、大谷拓也シェフによるプレゼンテーションも美しい美味なる食事を楽しんだ。日本からのゲストはこのレセプションの翌日帰国。カルガリー国際映画祭に続き、VIFFでの上映に参加した他、リンダさんと共にバンフやビクトリアなどさまざまな場所を訪れたとのことで、充実したカナダ滞在となったようだ。 

被災者それぞれの思い

 東日本大震災で被災し、岩手県の大槌町にある自宅兼治療所を失い、現在も仮設住宅で暮らしながら、鍼灸師として治療にあたっている佐々木賀奈子さんは、『東北の新月』で自らの体験を語っている。そのきっかけを作ったのが、当時、千葉県にある大学に通っていた娘の星瑛来さんだ。「高校の時の修学旅行でビクトリアに行ったとき、日系カナダ人の存在を初めて知りました。それから日系カナダ人の方たちの歴史にも興味を持ち、大学にいらしたリンダさんの講義を聞きにいきました。それがきっかけで、その後もいろいろと連絡を取り合っていました」。

 震災時は故郷から離れて暮らしていた星瑛来さん。「その頃、私の同級生の多くが大学や仕事で東京などに出てきてたんですね。ネット上の成人式用連絡網が残っていて、それが安否確認の役割をしてくれました」。家族の安否は確認できていたとはいえ、内陸地へ住む親戚のところへ行ったご両親が、星瑛来さんに電話をかけようやく話ができたのが、震災から10日ほどしてからだという。「その時大学を辞めようかなと悩んだんです。そういうことを話したわけではないけど、親から『辞めるな』と先に言われてしまいました。地震で何もかもなくしてしまったけれど、知識とか学んでいることだけは誰も取ることができないから、と。それで、『これは辞められないぞ』と。もやもやする思いを抱えてはいましたが、頑張らなくちゃと思いました」。撮影の多くはリンダさん一人で行なっている。「訛りの強い東北弁でも、リンダさんはコミュニケートできちゃうんですよ」と星瑛来さんが笑う。リンダさんが、被災者の方たちに心を寄せて撮影をしていたことがよくわかるエピソードだ。

心に響くメッセージ

 今回が佐々木賀奈子さんにとって初めての海外旅行だったという。「この5年間、1日も休まずに仕事をしていて。治療させていただいてたというのが本当の気持ちです。隙間があるとヘンなこと考えて嫌なことばかり思い出しちゃうので。そんな中、今回来ることが自分にとって決断だったんですが、みなさんに感謝のメッセージを生の声で伝えたいと思いました」。こちらで日系人や日本人など、いろいろな人に会って話すことができ、とても有意義な時間を過ごせたという。

 映画の撮影について、「自分がスクリーンに映るとは思ってなかったです。いろんな人のを撮って部分的に使うということでしたし。うちはみんな(ご主人、ご本人、2人の娘さん)ばらばらに住んでいるので、別々に取材を受けてるんです。それなのに、ストーリーがつながっている。私たちもびっくりしたし、リンダも『鳥肌が立った』って言ってました。でもやっぱり(そういうのを引き出せたのは)リンダの人柄だと思う」と語る。いろいろなメディアが取材に来たが、「始めは単にドキュメンタリーを撮っている感じだったのが、そのうち視聴率みたいなものを意識しているのが見えたりして。気持ちはわかるんですけど、だんだん自分の中に不信感が芽生えて、患者さんや町民の皆さんを守らなきゃというような気持が生まれてきて…。そんなときリンダが撮影のために来て、『ごめん、カメラのシャッター押せない』と言ったとき、『この人信じられる』って思って。それでリンダに『あなたプロでしょ』って、私がハッパかけちゃった。初めて会った人に失礼ですよね。でもあの時、自然と出ちゃったんです。この人信じられるって、頭で考えないで心から出てきちゃったんです」。

 賀奈子さんは波にのまれて沈んだりしながらも生き延びた。「実は私、子どもの時に病気で死にそうになってるんです。半身不随になってリハビリ段階で出会ったのが、鍼治療だったんです。せっかく命が助かったんだから、もしも車椅子から立ち上がり歩くことができるようになるんだったら、この仕事を選びたいと思ったのが10代の時なんです。いろんな人に助けられて生きてきたんです。だから津波に命とられてなるものかって。実際、うちの町でも自殺された方はいます。私も歩けなかったときに何度死のうと思ったことか。その思いがわからないわけではないんです。でも諦めてほしくない。みんな死にたくて死んだんじゃない。津波に限らず、病気とかでもそうですけど、命が助かっても腕を無くしたりということもあるかもしれない、そんな中でも諦めないで、というメッセージを残したいと。ありがとうという言葉だけでなくそれも伝えたいと思いました」。

日々の暮らしを 大切に生きていく

 映画上映後、たくさんの観客からの反応についてリンダさんは、「みなさん感動した、感情に強く訴えてきたとおっしゃってます。カルガリーで上映後お話した人の中には、泣いてしまって上手に話せない人もいました。この作品が単に災害のことを描いているのではなく、もっと深いところでの人間の生活や心情を伝えていることが人の心に響くのではないかと思います。この映画から日々の暮らしの大切さを感じてもらえればと思います。普通の日常というものが突然に消えてしまってから、それがどんなにありがたいものか気づいても遅いのです。これはとても強いメッセージだと思います」と話す。映画撮影を通してリンダさんはどのように感じたのだろうか。「日本人や文化の今まで知らなかった側面を知りました。日本人の考え方の文化的背景を学んだ気がします。例えば、「運命だから(しょうがない)」という考え方はとても日本人的だと思います。西洋ではこういう考え方を学ばないけれど、人生の多くのことは運命に左右されているのは確かです」。

 『東北の新月』はローマ・インディペンデント映画祭とハワイ国際映画祭(HIFF)に招待されており、HIFFには参加することになっている。「ニューヨークやシカゴなどから人が来て、自分たちの映画祭で上映したい作品を探すということですから、プロモーションの意味もあります」。日本では東北地方だけの上映が実現されている。「製作に時間がかかって東北の人たちはイライラしていたかもしれないです。でもこの映画に出ているのはすでにひどく傷ついている人たちです。どのように描くか十分に気をつけなくてはなりません。出演した人がさらに傷つくことなく、映画を見て自分たちのことを誇りに思えるような作品にしたかったのです。完成した作品を見て東北の人たちがとても喜んでくれたのがうれしいです」。今後は日本の各地でも上映したいと思っている。そのために資金面などクリアしなくてはならない点も多い。「日本の人にもぜひ見てもらいたいです。日本の文化が日本人の心をどれだけ支えているか、また、日本の歴史や文化を継承していくためにも、特に若い世代に知ってもらいたいです。それは将来につながると思うのです」。  

(取材 大島 多紀子)

 

 

映画の話からリンダ・オオハマ監督のおばあさまのヒストリーまでさまざまな話題で歓談

 

 

素晴らしい食事を楽しみながら話が弾む

 

 

(右から)談笑する岡井朝子総領事、佐々木賀奈子さん、星瑛来さん、リンダ・オオハマ監督

 

 

岡井朝子在バンクーバー日本国総領事(右から2人め)と夫君の岡井知明氏(右)、佐々木賀奈子さん(右から3人め)、佐々木星瑛来さん(左から2人め)、長尾光徳さん(左)

 

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