2016年8月25日 第35号

演歌歌手の川中美幸さん、作曲家の弦哲也さんが、短い夏休みを利用してバンクーバーを訪れた。川中さんは今年40周年、弦さんは昨年が音楽生活50周年という、節目の年を迎えたばかり。バンクーバーにようやく夏らしい青空が戻ってきた8月中旬、バンクーバー市内で2人に話を聞いた。

 

 

2人一緒に次回は公演でバンクーバー訪問を期待したい

 

「ゆっくりと時が流れている感じ」

 バンクーバーを訪れるのは今回が初めてという川中さん。街の印象を聞くと、「話には聞いていたんですよ。住むには最高だし、絶対リフレッシュできるからって。ほんと心が豊かになる、ゆったりと時が流れている感じがしますね」とにこやかに笑った。その横で「うんうん」とうなずく弦さん。今回のバンクーバー訪問は弦さんが誘って実現した。

 「今回、川中さんがデビューして40周年という節目の年だったので、東京での公演も一段落して、その隙間を縫ってちょっと夏休みが取れそうだということで」と弦さん。その夏休みを利用してロサンゼルスでコンサートを行ったあと、その帰りにバンクーバーに立ち寄った。弦さん自身はもう10回はバンクーバーに来ているという。しかし川中さんが一度も来たことがないということで、「せっかくだからこのままロスから帰るのではなくて、バンクーバーにちょっと足を延ばして、ロスとはまた別の意味で、癒される素敵な町だからということで、ご案内しようと」と今回の訪問となった。

 「もう、さいっこうですね」と川中さん。「素敵なことはずっと聞いていたんですけど、実際自分が足を運んで、ほんと気持ちがリフレッシュできて、もうちょっといたい感じですね」滞在はわずか3日間。「もったいない感じ」と笑った。

40周年を迎えて思う歌うことの大切さ

 「今まで積み重ねてきたこと、今まで経験したことというのが、必ず生きてくると思うんですよね。身になっていくというか。それに、今でしか出せないものがあると思うんです。若い頃では、なかなか、こう頭の中では分かっていても、その年代にならないと、40周年迎えないと表現できないことってたくさんあると思うんですね」と、歌うことへの思いを語る。

 「私自身も還暦を迎えまして、40周年を迎えさせていただいて、さて、これからどうしていこうかって思い悩んで、この2、3年、いろんなちょっと葛藤みたいなものがあったんです」。

 そんな節目の年に、「こうやって初めて訪れたバンクーバーで、日本を離れることによって、日本の素晴らしさみたいなものをより深く感じることができるんですね」と。「感じるっていうことは、自分が実際その場に立って、そこの空気を吸って、肌で感じるものっていうのは、日本に戻っても必ず私は歌に生きてくると思うんです。だから、日本にばかりとどまらず、海外にもっともっと足を運んで、自分を深めていきたいなっていう気持ちがすごく強くなりました。本当に来て良かった」と語った。

 弦さんにとっても海外に出ることは曲作りに好影響を与える。「日本から外に出て、改めて日本を見つめ直すというか、家族であったり、仕事の仲間であったり、自分が今までやってきた足跡を振り返った時に、また全然違う目線でみることができる。そういうことはすごく大事だと思いますね」。

 演歌界を支えてきた2人。節目の年にこれまでを振り返ると、全速力で走ってきた音楽人生が見える。「美幸さんの40年も、僕の50年も、ある意味、全速力で、駆け足でっていうか、突っ走ってきたっていうか、そういう40年、50年だった気がするんです」。そう言う弦さんの言葉に川中さんも「そうですねぇ」とうなずく。「そういう節目を一つ迎えると、やっぱり今度はゆっくりと一歩一歩人生を噛みしめながら、2人ともできればいいなって思って」。その第一歩は、ちょっと日本を離れて、日本を深く見つめ直すこと。「僕がおススメするのは日本から離れて、足を海外に運んで、海外の人たちとの一つのコミュニケーションを取って、そこで歌って何だろう、愛ってなんだろう、家族ってなんだろうって感じること」。そうして、そういう歌を現地の日系の皆さんに聞いてもらって、その反応を確認して、川中さんの歌人生に、ステージに生かしてほしいと語った。

旅は作曲にプラスになることが多い

 旅行に出る時は仕事の資料を持って、常にインスピレーションを受けながら作曲に生かしているという。「いろんな国の民族音楽などを聞いたり見たりというのはすごく刺激になるし、時間が許されればなるべくそういう旅をしたいなっていうのは、いつも思ってます」。作曲にとって旅は最高のインスピレーションの場。「旅先でいろんな人と出会って、いろんな人の人生を聞いたりとかね、そういうところからまた新しい作品が誕生したりというのは過去にもよくあります」。ただ、バンクーバー滞在から生まれた曲はまだないのだとか。

 「バンクーバーをイメージしてそこから生まれたものっていうのは、まだそれがそうだっていうのは言い切れないんですけど」と笑いながら、「こちらには日系の知り合いは少ないので、たくさんの人と出会うチャンスというのはなかなかないですけど、少ない中でこっちの異国の町で日本から離れてガンバって汗かいてる若者たちを見ると、逆に励まされますね」と語った。

「ご縁があったら日本のいい歌をお届けしたい」

 では次の訪問時にはバンクーバーでの公演があるかと聞くと、「ぜひ、ご縁があったら、日本のいい歌をお届けしたいなって思いますね」と川中さん。以前には、NHKのど自慢ハワイ公演に出演した経験もある。「人生を見つめ直すという意味では、日本から離れるっていうことも、すごく大事だなって思うようになりましたね。海外に行った方が、自分を見つめ直すという意味では、とてもいい時間だと思いますね」。

 弦さんは現地の日系コミュニティにも興味があるという。「バンクーバーにいる日系の2世、3世、4世、日本から移民してきた歴史なんかも、もっともっと知りたいし、また、そういう人たちに改めて日本の良さというか、故郷を思い出してもらうというか、そういう意味を込めての美幸さんの歌であったり、僕の曲を聞いてもらったりだとか、歌ってもらったりとか、そういう触れ合いができたらいいなっていう感じはしますね」。

 川中さんは「ぜひ、近い将来、弦先生とバンクーバーにやってきたいと思います。みなさん、応援してください」と、晴れやかに笑ってバンクーバーのファンにメッセージを送った。弦さんは、「日本の演歌を歌ってくださっているみなさんに、ぜひ、僕が作った歌をこれからも歌ってほしいし、皆さんの歌っている歌声を僕に聞かせていただきたいなと。そんな音楽の、歌の交流ができたらいいなと思ってます」と次の訪問に期待を寄せた。

 富士山の湧水のような透明感のある透き通った声が印象的だった川中美幸さん。花いっぱいの街がとても気に入った様子で、街の心地よさに終始感心していた。何度もバンクーバーを訪れているという弦哲也さんは、日系コミュニティのイベントなどに興味を示し、次回は触れ合える時間が「実現できればいいですね」と笑った。今年パウエル祭が40周年を迎えたことを知ると「ご縁がありますね」と、2人ともうれしそうだった。

(取材 三島 直美/写真 中山 佳子)

 

川中美幸さん
1977年に「川中美幸」としてデビュー。今年4月に川中美幸として歌手生活40周年を迎える。代表曲に「ふたり酒」、「二輪草」、「酔わせて」などがある。今年3月には40周年記念曲「人生ごよみ」を発売。

弦哲也さん
1965年歌手でデビュー。1986年に作曲活動に専念。昨年音楽活動50周年を迎えた。総作曲数は2500曲を超え、川中美幸さんをはじめ、石川さゆりさんや五木ひろしさん、水森かおりさんなどへの作曲で、多くのヒット曲を手掛けている。

 

 

「日系のイベントなどはあるんですか」と弦哲也さん。パウエル祭などを説明すると驚いていた

 

 

「時がゆっくり流れてる気がしますね」と川中さん。バンクーバーが気に入った様子だった

 

 

ずっと笑顔で話す川中さん。「バンクーバー、町もきれいですよね。ありとあらゆるところにフラワーがね。住むには最高だと思いますよ」

 

 

弦さん作曲のヒット曲も多い川中さん。デュエット曲も発表している

 

 

新曲「人生ごよみ」

 

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