バンクーバーでサイエンスカフェ開催

プラズマ研究の第一人者であり、火の玉を科学現象として解明した大槻義彦氏。UFOや超自然現象に批判的なスタンスでテレビ出演しているのを見た人も多いだろう。最近ではゴルフを科学的に解説する著書も多数出している。今年7月と8月に、バンクーバーで初めてサイエンスカフェを開催する大槻氏に話を聞いた。

 

 

大槻義彦氏

 

科学をもっと身近なものに

 サイエンスカフェは1998年に、ダンカン・ダラスというイギリス人が始め、1999年にフランスのパリでも始まりました。科学技術というものを、ごく一部の科学者だけの専有物にするのではなく、大衆が関与すべきであるという考えに基づいています。科学技術というのは人間がやっていることであり、しかも現代の文明が非常に大きな影響を受けているわけで、一般の市民が関与すべきであるというわけです。多くの人が科学に関心を持ってほしいというのがまずひとつです。

 そして、科学はもともと人間が頭の中で考えたこと、つまり文学や音楽と同じように文化のひとつだということ。文学では専門の作家がいて、それをサポートする読者がいるわけです。つまり人類全体が関与しているんです。しかし、科学だけは文化として一般の市民が関与していない。単に税金として金だけ取られているわけです。例えば、東大の物理学科の学院生がドクターコースを卒業するまでに、(研究費用などとして)東大が支払ったお金が、7年間で大体8千万円。1人あたりですよ。つまり市民の税金でそれだけ払っているわけなんです。それにもかかわらず、科学だけは市民と無関係、文化として市民に還元されていない。だから科学者は市民に科学文化というものを還元するべきだ、というこの2つの柱があるんです。

 日本のサイエンスカフェは2004年に京都で始まったとされています。2006年春の科学技術週間には全国21カ所でサイエンスカフェが開かれました。2009年に、東北大学が常設のサイエンスカフェを作りました。また大阪では、2014年にSTAP細胞のことが起こった時に、その話題を取り上げたんです。参加者が二重、三重に行列を作り、新聞やテレビが報道、国際的にも報道されたと聞いてます。こういった感じで、サイエンスカフェというのは各地に広がっています。

 日本人、日系人の多いバンクーバーでも当然、サイエンスカフェがあってもいいんじゃないか、あるいはあるべきだなぁと思いました。そうしたら、矢野アカデミーが土曜日の午後、空いてますよということだったので。(定員は8名ということで)もうほぼいっぱいになってきているようです。とにかく、参加した人たちがこういうおしゃべりができて良かったと思ってくれて、知的満足感が得られればいいと思っています。

 

人工知能は人間を超えるか

 サイエンスカフェの第3回目のテーマは「人工知能が人間を超える日」。それは2045年といわれてますね。人工知能が人間の知能を超えることは確実なんですよ。コンピューターに、1立方センチメートルあたり半導体記憶素子が入る数というのが、うなぎのぼりに増えているんです。その線をプロットしていくと、ちょうど2045年あたりに人間の脳にあるシナプスの数を超えるんです。

 記憶素子の密度は2045年に人間を超えるけれども、次の3つの条件をクリアできているかが問題です。まず、自分で学ぶかどうか。人間は自分で学んでいくわけです。20年くらいかかって大学生になって、まあまあの知能になるんですよ。でもコンピューターは大体6時間くらいで、この過程をやっちゃうということ。自ら覚えるんです。セルフラーニングをコンピューターがどれくらいできるかが、人間の知能を超えたかという目安のひとつ。もう1つは決断力。総合的なことを学習して、さてどうするか、あの株を買ったらいいか買わない方がいいのか、コンピューターが正しい決断をできるかどうか。これもできなければ人間に代わる知能ではないわけです。3つ目は、パターン認識。絵がわかるとか評価できるとか、あるいは絵が描けるとかですね。この3つがすべて人間を超えなければ、人間の知能を超えたとはいえないということです。

 こうなってくると、コンピューターの知能が人間を超え、人間をつぶそうと敵対してくる可能性があると、センセーショナルな本を書いている人もいますね。私はそれは間違いだと思っているんです。そういうものを人間が作るはずがないと、私はそういう考えです。コンピューターを人類が作ったってことは、人類の進化なんです。人類の脳の中から選び出されてきたんですよ。人間の知性っていうのは、人類がどうやったらうまく生存できるかってことを試行錯誤してきたんです。失敗もして局所的な問題も起こるかもしれない、被害もあるかもしれないけど、全体としてみれば、これは人類の進化のひとつ。悪い面は捨てていって、いいところを残していくようにする。人類が生存していくように進化をしてきたので、その進化の過程として人類に敵対しないように(コンピューターを)作っていくであろうと考えます。

 人類がしている知的活動の中で、科学の研究っていうのは最高レベルの知的作業なんです。そうした研究までコンピューターがやるようになると、それで初めてコンピューターが人類を超えるということになるでしょう。そこまでいくとは私は思えない。科学の研究には哲学が必要なんですよ。偶然から発見したようにいわれるけど、そうじゃない。やっぱり哲学があって、そういう研究をやってたからうまくそれに当たって、しかも当たったことを無視しないで、これはすごいんじゃないかなと研究を進めたから発見っていうものができるわけです。哲学が必要なんです。コンピューターが研究をできるようになったところで、その哲学がない。あるいは人類が考えた哲学をインプットしておかなくちゃならない。コンピューターを作ったのも人類の叡智の進化の流れの中にあるわけだから、そういう流れに反するようなものは作らないと思いますね。

 

語りつくせぬゴルフの魅力

 過去16年間、毎年3カ月くらいバンクーバーには来ています。ここではゴルフばかりしてますよ。ゴルフが面白いのは、ゴルフはスポーツであってスポーツではない、ギャンブルであってギャンブルではない、両方の要素が入っているところ。野球のボールはフェンスを越えたらホームランで1点入る。だけどゴルフは、ボールがどこに落ちてどこまで転がってどこで止まるかが勝負なんです。そこのところはもうパチンコなんです、偶然です。私はギャンブルは嫌いだけど、ギャンブル的要素、息をのむような面白さってあるんですよね。そういう要素を持っているから、はまりだすとゴルフはやめられなくなるというところがあるでしょうね。同時に、ゴルフは若くても年を取ってもやれる。足腰が立つうちはできますしね。

 私なんか80歳ですから、若い連中とやったって飛距離なんか全然出ないですよ。一打二打ぶっ飛ばすところを飛ばさないんです。正確に前に出ればいい。最後の三打、これは大した距離じゃないから、そこをずっと正確にピンにつけようという努力をするわけです。グリーンにのったボールも一打か二打で穴に入るようにしようと。つまり、若い連中ができないところで勝負できるんですよ。ゴルフは戦略と戦術が複雑で、それを考えるのが楽しいんです。

 また、14種類のクラブやドライバーを使うんですが、それぞれ力学とか違うんです。最近のドライバーではチタン合金を使って、反発係数が0・83を超えてしまうということを言われても、みなさんよくわからないですよね。ボールが当たるところによって反発係数が全部違うんですよ。もちろん練習は大切です。反発係数の場所がわかっても、そこに当てる練習をしなくては意味がないですし。ただ、練習するときにその知識があるとないとでは全く違う。アメリカの一流のプロはみんな物理学科を卒業したインストラクターをつけてるんですが、日本人は全然そういう人がいないんですよ。

 

大槻氏によるサイエンスカフェは、矢野アカデミーで、7月2日、16日、8月6日、20日の全4回開催される。

(取材 大島多紀子)

 

早稲田大学名誉教授 東京大学理学博士 大槻義彦氏プロフィール

東大大学院数物研究科卒、東京大学助教、講師を経て、早稲田大学理工学部教授。
この間、ストラスブール大学客員准教授、ミュンヒェン大学客員教授、名古屋大学客員教授、日本物理学会理事、日本学術会議委員、などを歴任。専門の学術論文162編、著書、訳書、編書146冊。近著『大槻教授の最終抗議』(集英社)、『子供は理系にせよ』(NHK出版)など。物理科学雑誌『パリティ』(丸善)編集長。『たけしのTVタックル』などテレビ、ラジオ、講演多数。(本人ブログより抜粋)

 

 

「サイエンスカフェは科学者が企画しようが完全なボランティア。日本でやる時でも交通費も自前で行ってますよ」と語る大槻義彦氏

 

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