ことしの4月上旬、カナダ北極圏に位置する町・イヌビックからバンクーバー経由で日本へ帰国途中の関口さんに話を聞いた。

今回の「厳冬期カナダ北極圏海氷面スキー&徒歩踏破/400km・34日間」は、関口さんが今まで経験のなかった海氷面での冒険だった。厳冬期北極圏の海氷面が年々少なくなってきていることは、カナダでも時々報道される。冒険家関口さんにとってもそれは無縁なことではない。 北極圏の冒険というと日本人なら植村直己さんを思い出す人も多いだろう。植村さんのころと比較すると、厳冬期の北極圏海氷面の不安定さが増し、リードと呼ばれる海面の出現の頻度が上がるなど困難さが増している。そんな海氷面でのトレーニングを行い、来年には海氷面500kmの冒険を予定していた。

ところが、ことしの「海氷面スキー&徒歩踏破/400km・34日間」の経験から、500kmは踏破できるとの確信を得たので、次回にはさらに難度が高く、命に危険性のある冒険に挑戦することにしたという。  

極地冒険には必需品といわれる衛星携帯電話などを持たず、凍ったカリブーやクジラの脂を食べ、カリブーの毛皮にくるまって夜を過ごした。もちろん最新のものを拒否しているわけではない。今までの極地での経験を生かし、原点回帰のスタイルと最新のスタイルとを融合して、関口さん独自の冒険スタイルを生み出しつつある。

新たな冒険についても「難易度的にとても高難度のことができつつ面白いラインを見つけることができたので」と屈託がない。そんな関口さんに今回と今後の冒険について話を聞いた。

 

 

冒険について語る関口さん(写真 野口 英雄)

 

前回会ったのが2014年、マイナス40度のマッケンジー川踏破の後でした。その夏に温度差100度の冒険、真夏の砂漠デスバレーがあって、その後どんなことをやってきましたか?

「デスバレーが終わって、毎年冬を活動の時期にしていたのですけれど、昨年の冬は知床に行ったんです。厳冬期知床の海岸沿いを100キロメートルほど歩いて、半島を一周しようと思って行ったんです。ですが、スタート地点からちょっと入ったところで気持ちが入ってないなと思って。もう敗退というか何もしないでやめてしまって」  

 

その経験は何かの契機になりましたか?

「そうですね。死ぬかもしれないなと思う場面も多少あり、それが怖くてやめてしまった。知床は、北極の代替え案というか不純な動機があって、敗退そのものより、全力を出し切れなかったことが悔しくて。全力出した結果、できないのであればそれはもうしかたないというか、すっきりすると思うのですけれど、それができなかったので。あとは、やはり自分がやりたいのは北極なんだなあっていうことに気付いた」

 

  なぜ北極なのですか?暑いところも行ったし寒いところも行ったし。

「そもそも俺が冒険するのって自分の限界に挑戦したい、厳しい自然環境に挑戦したいっていうのが根本にあって、その結果、北極にいた。その気持ちを満たしてくれるというのが北極だった」  

 

やっぱり命ギリギリのやりとりがないと満足しないんでしょうね?

「そうですね。生きるかどうかが分からないという課題で、いま考えているのがリゾルートという場所。植村さんの時代から、北極冒険ではまずここに入るのです。言ってみれば極地冒険の聖地なのです。で、リゾルートに自力で行こうと考えているのです。カナダ本土でいうと、もうひとつテーマがあって、ウィニペグ、グレートスレーブ、グレートベア、この3つの湖を踏破する。で、この湖の間もアイスロードとして確立してなかったら、湖や川はほぼ凍ると思うのでそこを歩いて森へ。その後ツンドラ地帯をコッパーマインと呼ばれるところまで。そこから東に1000キロメートル、この1000キロメートルの間に村は1カ所だけ。それでジョアヘブンについたらリゾルートに向けて北上します。この1000キロメートルは完全な無人区間です。これを4シーズンくらいかければできるんじゃないかと思っています(活動期間は厳冬期の3〜4カ月)」

 

海氷面というか海、ここが一番状況によってはわからない?

「わからないですね」

 

 この計画はいつごろから?

「今回の出発前からうっすらと考えていました。その時は俺の中でも夢物語と思っていて…それまでの海の上での経験もなかったので。ただ、ラインとしてもきれいだなって思っていました。今回の冒険をやり終わって、これはいけるんじゃないかと思って。美しいライン、それって俺の中で一番大事なことで、クライミングとかでもあるルートを見いだして登って、能力で言ったらそれを登れる人は何人もいるのかもしれないけれど、一番リスペクトするのはラインを見いだしたことだと思っています。やはりそういうのがとても大事で、独創性というか想像力というか。それが冒険家として大切なのかなって」  

 

ただただ寒いところですよね。(マイナス50度を想定)

「正直言って寒さっていうのは行く前から分かっているのでそんなに問題ではなくて、また装備も壊れますが、その事も知っています。どうすればいいかっていうことも全て分かっているので」  

 

今回は毛皮にくるまって寝たそうですが、極地では毛皮というのは有効ですか?

「そうですね。やっぱり乾きが早いのが一番強いと思っています。息とかで凍り付いたり濡れたりしても、まあテントの天井に吊るしておけば食事を作るときの熱とかで十分乾くので。ただ重いですね。植村さんはシロクマのズボンとか履いていました。先住民も昔から毛皮を使っています。でもそれは犬そりやスノーマシンで引けます。(関口さんのように)生身の人間がそりを引くなんてことを想定していないので、いくらでも毛皮を使えたかもしれないですけれど。だからジャケットは最新素材の軽いもので耐久性のあるものを使いつつ、やっぱり守れない顔とかをフードでカバーするのがいいのかなって」  

 

顔の周りに毛皮のフードが有るなしで全然違いますか?

「全然違いますね。それだけであったかいのですけれど、顔が冷たいなあと思っても、かぶった途端に風がぴたっと止まるんです。普通のフードだけではそうはならないです」  

 

ツクトヤクーツクなど、極地の人の生活は?

「スーパーがあって、家自体はしっかりしているので、家の中ではシャツ一枚でもいられるくらい暖かくて。ただ、いまだにハンティングとかしているみたいで、冬の間もスノーマシンでハンティングに行って、カリブーしとめてきたとか。そういう肉をみんなで食べたりして。昔ながらのやり方もやっていて。彼ら独自の言語もあるんですけれど、若い世代はみんな英語になっちゃっていて、ほとんどしゃべれない。また、あのあたりは植村さんが北極圏1万2000キロメートルの時にいたところで、いまでもナオミナオミって、植村さんの影響が残っているので、その信用を絶やしてはいけないなあっていうのがありました。冒険というのは俺の中では個人的な行為だと思っています。極端に言ったら、他人に迷惑とかそんなことは気にせずに、自分の責任のもとに。本当に死んでもいいくらいの気持ちで挑むのであれば周りのことをどうこう考える必要などないと思っているのですけれど、ただ植村さんの作ってくれた信用というのは絶対に絶やしてはいけないなあって思っています」

 

今回、生肉とかクジラなどの食べ物を持って行ったそうですが、食べてみてどうですか?

「最初から食べられたのですけれど、すごく生臭くて、現地の人でも苦手みたいな人もいて。やっぱり最初はちょっと食べるくらいだった。ただ、歩きはじめて数日も経つと、それがだんだんおいしく感じられてきて。それまではバターとか持っていたのですけれど、最初はそれがおいしかったのです。それがどんどん薄く感じてきて、クジラの脂が栄養を凝縮した脂という感じで」  

 

焼いたりとかは?

「基本的にはカリブーとかクジラの肉を生で食っていたんですけれど、時間があるときは焼き肉にしました。焼き肉はおいしかったです。やっぱり日本人の口にはどちらかといったら焼き肉の方が食べやすいというか(笑)」  

 

今回オーロラとかはもちろんみることができたと思いますが。

「ツクトヤクーツクにはピンゴって呼ばれる氷の盛り上がりによってできた山であったり、あとは自然現象で言うとサンドッグっていう、太陽の周りに輪っかみたいのができる自然現象があったりしました。ただ、あとは単調な真っ白な景色で」  

 

今回危険な目には遭いましたか?

「本当にヤバイみたいのはなかったですね。氷もしっかりしていて。危険性としては氷が割れて海に落ちるということと、シロクマかなって思っていたのですけれど。氷っていうのはある程度の知識があれば、ある程度の厚い薄いが分かるので」  

 

楽しそうですね。

「そうですね。リゾルートまで4年でできたとしてその時は32歳。32歳っていうと冒険を意識したのが16歳くらいだったので人生の半分ということになります」

 

  関口さんは、高校の時にあまり目標がなく、ただなにか冒険や旅をしてみたいなあというのがあったという。図書館で冒険関連の本を読んで初めて植村直己という人を知り、それから様々な冒険にチャレンジしてきた。ことし、海氷面での400キロメートル踏破を経験し、来年からは誰も考えなかった関口さんだけのラインを地球に描こうとしている。独自のやり方で生命を燃やし続ける若き冒険家。関口裕樹さんを応援したい。

(取材 野口 英雄) (写真提供 関口 裕樹さん)

 

プロフィール 関口裕樹(せきぐちゆうき)
1987年8月16日生まれ。山形県山形市出身
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HP: http://ameblo.jp/timl40000k/entry-12147390552.html

関口裕樹さんのこれまでの冒険歴
2006年 徒歩日本縦断 2715km 109日間
2007年 自転車日本一周 9051km 83日間
2008年 徒歩韓国縦断 720km 29日間
2009年 - 2010年 自転車オーストラリア大陸一周 自転車によるコジアスコ登頂・滑降 21075km 233日間
2010年 自転車日本横断 265km 20時間28分 徒歩台湾横断 569km 31日間
2011年 自転車厳冬期北海道走行 1320km 21日間
2012年 1月 自転車厳冬期アラスカ横断(敗退)778km 21日間 2月 徒歩行厳冬期アラスカ 200km 6日間
2013年 自転車厳冬期アラスカ縦断 1400km 32日間 徒歩日本横断 250km 7日間
2014年 厳冬期カナダ北極圏マッケンジー川踏破 400km 23日間
2014年 真夏の砂漠デスバレー縦断〜気温差100度への挑戦 780km 13日間
2015年 徒歩行厳冬期知床半島(敗退)スタート前に敗退を決定 記録なし
2016年 厳冬期カナダ北極圏海氷面スキー&徒歩踏破 400km 34日間

 

 

  

冒険中の関口さん

 

 

今後の冒険について語る関口さん(写真 野口 英雄)

 

 

90kgにもなるそりを引きながら歩く

 

 

テントの中で

 

 

オーロラもみることができた

 

 

海氷面にできた割れ目

 

 

サンドックと呼ばれる自然現象

 

 

今回の海氷面400km歩行ルート

 

 

今後の冒険予定ライン

Map of Canada by FreeVectorMaps.com

 

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これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。