4月24日、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館で、JALTA(BC州日本語教育振興会)の主催による日本語教育講座が開かれた。バイリンガルの土台作りというテーマのもとに、BC州公認スピーチセラピストの高井おさむ氏と、教育学博士でSFU(サイモン・フレーザー大学)日本語コース講師の竹井尚子氏が講演した。また、ゲストスピーカーとして日英バイリンガルの弁護士、森永正雄氏もみずからの日本語学習について語った。ここで講演内容の一部を紹介する。

 

 

講演後の質疑応答の時間にはたくさんの質問が寄せられ、参加者の関心の高さがうかがえた

 

 会場には、日本語学校の教師や日本語を学ぶ子供を持つ保護者など、約100人が訪れた。会の冒頭で、司会進行も務めたJALTAの馬目公三会長があいさつした。

 

脳の発達から見るバイリンガル
BC州公認 スピーチセラピスト 高井おさむ氏

 バイリンガルになるためには、年齢が早いうちから始めないと無理という説がある。思春期に入るころまでをCritical Period(臨界期)と呼び、それ以降になると、母国語以外の言語の習得に限界があるというものだ。しかし、実際には、思春期を過ぎてから始めてもネイティブレベルのバイリンガルになる人もいる。また最近では、学術的にさまざまなスタイルのバイリンガルを認識しており、その広域なバイリンガルの定義によっても、言語の習得の意味が変わってくる。よって最近では、最終到達点や学習の効率は理想ではないが、思春期を過ぎても第二言語の習得は可能という説の方が有効。この説をSensitive Period(感受性期)と呼ぶ。

 脳の発達の観点からも、感受性期をサポートできる。最近の研究では、大人の脳でも機能性などに限界はあるが、新しい脳細胞が生まれたり、リハビリなどによる脳のシステムの活性化が認められてきている。もちろん幼少の脳にはかなわないが、大人の脳も学習が可能である(Neuro plasticity という)。

 言葉を覚えるためにはその言葉を使ったコミュニケーションが大切だ。テレビを見せるだけとか、その音声をただ聞かせているだけでなく、人間同士の生のコミュニケーションのやり取りがあってこそ言語能力は発達する。どれだけの量にふれさせることでバイリンガルになれるか、という点では、生活の時間帯の40パーセントを第2カ国語にあてていると、双方の言語でネイティブレベルに達することが可能とされている。しかし、このデータはモントリオールでの英語とフランス語のバイリンガルについてである。バンクーバーでの英語と日本語の場合、それらの社会的地位の違いが大きいので、日本語をネイティブレベルまで育てたいなら、40パーセントでは足りないだろう。また、バイリンガルを維持するためには、やはり両方の言語を使い続けることが大切。親としては、子供のモチベーションや価値観を年齢相応に理解するように努めて、サポートしてあげてほしい。

 最後に、スピーチセラピストとしての観点から言いたいのは、自分の子供のコミュニケーション能力には親としてよく注意を払い、もし心配なことがあるときは、ためらわずにスピーチセラピストに相談してほしい。もしセラピーが必要となったときに、子どもの年齢が低いうちに対処するほうが効果も出しやすい。

 

継承言語学習者のアイデンティティー形成
教育学博士・SFU日本語コース講師 竹井尚子氏

 19歳から28歳までの、国際結婚している両親のもとに生まれた14人を対象にした、言葉とアイデンティティーの関係を探る研究を行った(この調査には両親が日本人の子供は含まれない)。1960年代初頭に、使用言語とアイデンティティーが強く結ばれているという考え方が提起された。その後、使用言語とアイデンティティーとは必ずしも並行して育つものではないのではないかという新しい考え方が出てきている。国家間の移動が容易になり、インターネットが普及するなど、言語や民族の意識の境界線があいまいになってきていることが背景になっている。

 今回、研究の対象となった14人(男性4人、女性10人)は、片親が日本語を母国語とし、カナダで教育を受けている。日本語のレベルは12人が初級レベル、1人が上級、1人が中級という構成だ。この被験者のうちの多くが、日本語が話せないから自分が日本人であると考えることに抵抗を感じるとした。この答えから、言語とアイデンティティーは、ある程度関連していることがわかる。しかし、日本語はあまり話せなくても日本語は自分の一部であると認識しており、他の言語を学ぶのとは違った感情を持っていることもわかった。日本語中級レベルの被験者は、自分は半分日本人で半分カナダ人であるのと同時に、ダブルであると感じると答えている。日本語が話せるようになってもカナダ人としてのアイデンティティーが薄まるということもない。

 自分のアイデンティティーを考え始める年代になって、改めて自分の家族や日本の伝統文化などを見つめ、日本人らしくふるまおうとする傾向もあるが、その日本人像というものは海外の人が抱くものに近く、日本で生まれ育った日本人の姿とは少し違う傾向があるようだ。これは新たな日本人像がつくられているともいえ、一概に否定するべきではないだろう。また成長するにつれ、自分の趣味や好きなものを通して日本とのかかわりを強めるという人も見られた。

 

バイリンガルの観点から見る日本語教育
ローレンス・ウォン& アソシエイツ法律事務所 日英バイリンガル弁護士 森永正雄氏

 大人になってからカナダに移民した両親を持ち、経済的にも時間的にも厳しい状況の中で育ったので、18歳になるまで日本に行ったことはなかった。日本については漫画や雑誌などを通して知るだけだったが、家の中の会話は日本語だけで過ごしていた。

 グラッドストーン日本語学園には幼稚園の時から通い始めて高等科を卒業。楽しかった思い出も多いが、つらいこともたくさんあった。特に宿題が大変で、何回も日本語学校を辞めたいと訴えたこともあった。それでも両親は日本語を学び続けることを強く希望していたため通い続けた。ハイスクールに通う頃、勉強も大変になるのと同時に自分の考え方にも変化が出てくる。日本の漫画のことなど、クラスメイトとは話が合わなくなってくるのを感じ、自分の中で日本文化を拒否するようになってきてしまった。大学に入ってからは全く日本語を勉強しなかったが、再び日本語を使うようになったのは、大人になって、日系カナダ人という自分のアイデンティティーを理解し、受け入れることができるようになったのがきっかけだ。日本語の大切さを理解し、今や、自分にとっては欠かせない自分の一部である。

 日本語教育で大切なことは、言葉を学ぶことはもちろんだが、日系カナダ人としてのアイデンティティーを見つけることだと思う。今回の講座に参加している日本語学校の先生たちも、生徒が日本語を学ぶのを嫌がることもあるだろうけれど、あきらめずに日本語や日本のいいところを伝え続け、励まし続けてほしい。結果が出るまでには時間がかかるもの。種を蒔いた人が花が咲くのを見ることができないこともある。種を蒔く人、水を注ぐ人、たくさんの人が協力して日本語の美しさ、おもしろさ、表現の豊かさを子供たちに伝え続けてほしい。それが子供たちの心を育てることにつながると信じている。

活発に行われた質疑応答

 休憩をはさんだ後の質疑応答ではたくさんの質問が寄せられた。そのいくつかを紹介する。言語障害のある子供は第二言語を習得するのが難しいかという質問には、高井氏が「現在ある臨床のデータでは、障害のあるなしにかかわらず、第二言語の習得は第一言語の習得を妨げないが、例外はあると思うので担当のスピーチセラピストと相談してください」と答えた。日本語を学ぶモチベーションを保つにはどうすればよいか、という質問に対しては「幼少期であれば日本語を話す友達と遊ばせるなどして、青少年期では日本語を話す自分を『格好いい』と思わせたり、日本人で活躍している人を取り上げて、日本人であることにうれしさを持てるように仕向けることも有効」と高井氏。竹井氏も「日本語学習をする場所が子供にとって楽しいものであり、自分の居場所があると思わせるようにすることも大切だと思う」と答えた。

 会はJALTAのベイリー智子副会長の閉会の言葉で終了した。その後も高井氏、竹井氏、森永氏の3人のもとには質問などを持ちかける人の姿が多く見られた。

(取材 大島 多紀子)

 

 

難しい内容の講演をソフトな語り口で分りやすく説明する高井おさむ氏

 

 

研究の成果をもとに日系カナダ人のアイデンティティーについて語る竹井尚子氏

 

 

日本語を学ぶ子供たちを持つ保護者にとって励みになるような話を聞かせてくれた森永正雄氏

 

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