歌会始の儀に出席した粟津さんに、選ばれた感想や儀式の様子などを伺った。
まず、入選の知らせを受けたときの感想を教えてください。あらかじめ最終選考に残ったというような連絡などありましたか?
いいえ。12月7日に宮内庁から電話をいただき、名前と歌、未発表か確認がありました。翌日、入選の通知がありました。
宮内庁からの発表は24日だったので、入選者にはその前に通知があったということですね。儀式の様子を教えてください。
歌会始の儀はご存知の様に、(皇居の)松の間で行われました。朝9時すぎに到着しましたが、タクシーが一台停まって、出席者が車から降りて、そのタクシーが発つまでは他のタクシーは待機している…という調子でしたので、全員が揃うまで1時間ぐらい、10時ごろまでかかりました。
着くと「松葉の間」という松葉模様の壁の、100畳ほどの部屋に、付き添いの妻とともに通されて、待っていました。揃ってから歌会始の儀について、「名前を呼ばれたら立って礼、歌が詠まれる間は起立していて、終わって着席」「天皇皇后両陛下の歌の間は全員起立」というように、説明がありました。
面白いなと思ったのは、私は妻が付き添ってくれましたが、男性で夫婦でというのは私と、もう一人、健康状態に少し問題があった方だけ。こちらでは夫婦同伴ですが、日本は同伴ではないことが多いなと改めて確認しました。
歌会始の儀が行われる「松の間」に入ったのは預選者のみで、付き添いの人は別室に案内されました。儀式は何も言わない進行係の読師(どくじ)、節をつけずに読む講師(こうじ)、第一句のみ詠む発声(はっせい)、講頌(こうしょう)などの人により古式豊かに進行します。
入選者の歌が詠まれたのは年齢の若い順で、中学生の大西さんから。私は7人目でした。いろんな年齢、職業の人がいましたが、今年のお題は「葉」だったので、農業関係者が二人、私がガーデナーと植物に関わる人が多かったかなと思いました。
ただ、応募は半紙を横長にして、毛筆で右半分に題と短歌、左半分に住所や氏名、生年月日、職業などを書き、半分に折ります。選者の方たちは右半分だけ見るので、特に入選者の年齢や職業、地域のバランスをつけようなどというものはないようです。私の場合は、見ればすぐにカナダからだと分かりますけどね。
その後、私たち預選者は「連翠の間」にて両陛下により、歌を詠んだ気持ちや日常の生活を親しくお尋ねいただきました。目の前2~3歩の距離で一人ずつお声をかけていただき、歌会始の儀の時より緊張して、十分に答えられませんでした。
粟津さんには、陛下はなんとお声をかけられましたか?
歌の背景は何ですかと聞かれて、ご説明しました。
入選した粟津さんの歌
妻の里丹波の村の山椿カナダに生ひて葉をひろげゆく
3年前、京都の丹波にある妻の実家の、裏庭にある椿の種を持ち帰り、鉢に蒔きました。椿は順調に育って30センチほどとなり、10枚の葉をひろげています。私たち夫婦の二人の娘は、ラングレーとポートランドに家庭を持ち、それぞれ男女一人ずつの幼児を育てています。移民して40年。また夫婦二人になりましたが、皆、健康に過ごしています。今までの生活や日本から持ってきた椿が芽を出し、育っていく様を重ね合わせたのが、今回の歌です。
でも、両陛下を前に、胸が詰まってしまって、椿の説明で終わってしまいました。
その後、バンクーバー五輪の話になり、「五輪を見ましたか?」と聞いていただきました。五輪の前、日系プレースで両陛下の姿を拝見したという話をしたところで、また感動で言葉が続かず、頭だけ下げました。
両陛下はご退出の折、振り返られて「これからも良い歌をお詠みください。お元気で」とお言葉をいただきました。この連翠の間は南が池に面しており、正午過ぎの太陽の光が池に反射して、木目のきれいな天井にゆらゆら輝いているのが思い出されます。
次に「泉の間」にて宮内庁次官より、春慶塗の短冊入れなどをいただき、宮内庁の広い部屋に移って昼食。それから選者4人から私たち10名の歌について、それぞれ批評をいただきました。私の場合は、丹波という地名と植物が一体になっているのが良かったということでした。最後に記念撮影、記帳で、約7時間。終わった時には、ほっとしました。
お食事はどのような内容でしたか?
四角いお盆に錦糸玉子の載った炊き込みご飯、ハマグリの吸い物、茶碗蒸し、酢の物、野菜の煮付け、大きな分厚い紅白のかまぼこ、鯛、刺身で、その場では、緊張もしていますし、あまり食べられませんでしたが、職員の方が持って帰れるよう、風呂敷に包んでくれました。
今後の抱負のようなものがあれば。
私は現在バンクーバー短歌勉強会と、本部が東京のコスモス短歌会に所属しています。コスモスは勉強会の仲間に勧められて入った、北原白秋の弟子、宮柊二が作った会です。このコスモスで昇級できればと思っています。
昭和56年にロッキーを訪れたときに短歌をつくったのをきっかけに、その後、奥様の友人の勧めもあり、12年前にバンクーバー短歌勉強会に入会。現在、一ヶ月に20~30首作っているという。こつこつよく勉強しているという印象を受けたが、その努力が身を結んだと言えるだろう。
(西川桂子)