『祥平塾合気道カナダ』代表、中嶋田玉美さんと同塾ケンシントン道場の皆さん

走ることが
楽しかった
走るのが好きで、体を動かすのが好き。中学から陸上を始め、ソフトボール、テニスほか、社会に出てからは登山やマラソンに夢中だった。
 合気道に出会ったのは貿易代理店で働いていた21歳のとき。福岡市内の青年センターに貼ってあった1枚のポスターがきっかけだった。一度やってみたいと思っていた武道。体力には自信があったもののその奥は深く、6か月後に講座を終了すると町の道場に入門した。
週3回、残業を終えてから福岡市内の大濠公園を5周(10キロ)走ったあとに道場に通い、稽古が終わると家までの30キロを走って帰った。そのころは合気道とともに、走るのが楽しくてしかたなかったという。なぜなら、陸上をやっていたころは周囲からの期待が大きすぎて、プレッシャーを感じながら走っていたからだ。「実は試合前、誰もいないところでひそかに合掌して“勝たないと”と拝んでいたんです」


『祥平塾合気道カナダ』代表、中嶋田玉美さんと菅沼守人(もりと)師範 夢だったカナダ横断
父親が国鉄(現在のJR)に勤めていたことから、小さいころから電車や汽車に興味があった。高校のころ、地理の時間にアメリカばかり勉強させられたが、その北にある国カナダに横断鉄道が走っていると聞き、いつか行ってみたいと憧れを抱いた。
 27歳のとき、その夢を実現させるために仕事を辞め、友人とふたりでカナダ旅行へ。どうせ行くのなら現地の道場で稽古をしてみたいと、稽古着を持って出向いたことが運命を変えた。
「初心者ばかりの道場で、初段を持つカナダ人女性がひとりで教えていたんです。ちょうど昇進審査を受けるためにしばらくアメリカに行くので、生徒を頼むと言われて」。その間、有段者のたま先生が臨時で指導にあたった。2か月間のカナダ旅行は合気道の指導が入ったことで、いっそう有意義なものになった。


期待から
現実への失望
帰国後、バンクーバーの生徒から電話が入った。指導者のカナダ人女性がしばらくアメリカから戻らないことになったので、帰ってきてほしいと。ビザの取得や住居は何とかするからと嘆願され、再びカナダ行きを決心した。
1985年、大好きな合気道を仕事に出来るという喜びと不安を抱いて来加。しかし、現実は厳しかった。
 「生活習慣もわからず、英語でのコミュニケーションがうまく出来ないもどかしさ。女性で、しかも小柄な私が教えるということに抵抗があったのでしょうね。辞めていく生徒もいました」。期待とは裏腹な現実に、大好きな合気道までが嫌になりかけていた...。夏になると生徒が来ない。「カナダ人、バケーション好きですからね(笑)」。ほとんど収入のない状態が続いた。
 悪戦苦闘しながら辞書を片手に、指導の際の表現を英語で暗記した。大きなカナダ人男性が力づくでかかってくると、自分も力で返そうとした。
 「でもわかったんです。無理をしてはいけないと。相手を力づくで倒すのではなく、相手とひとつになり技を作っていくのが合気道の精神ではなかったかと。本当の意味で試されるときだったのかもしれませんね」

 

子どもたちと瞑想。稽古の前には合気道の創始者、植芝盛平先生の写真に向かい頭を下げる。植芝先生が残したことば“合気道はひと(他)を治す武道ではありません、自分を治す武道です”をいつも胸に刻んで稽古をしている無理をしては
いけない
カナダの文化に溶け込んでみようと気持ちを切り替えると、周囲の人にも変化が見られた。34歳で合気道の生徒だった日系3世のジーンさんと結婚。精神的にも道場の運営にも余裕が出来たころ、菅沼守人(もりと)師範の管轄道場となり、正式に『祥平塾』の名前を与えられた。
 「主人はもう(合気道を)辞めましたが、私が窮地に接したとき、一番の味方になってくれる人ですね。15歳の息子もそうです。合気道の指導で私が夜家にいないものとして育ったせいか、私が家にいると不思議に思い“お母さん!合気道行かないの? みんなが待ってるよ”と後押ししてくれます。主人と息子が私の側にいてくれるから、私は合気道の稽古、指導を続けられたのだと思います」
 昨年、息子さんがアイスホッケーでスランプ状態になった。アイスホッケーはカナダのメインスポーツだけあって、そこには想像以上の子どもとコーチ、コーチと保護者の葛藤があるという。子どもたちはベストを尽くしてやっているのに、それだけでは満足出来ず、子どもたちに異常に期待をかけすぎてしまう保護者が多い。
自らが陸上選手時代に体験したプレッシャー、そして合気道を通して培った心とからだのバランス。だからこそ息子さんを傍らでそっと見守り、励ますことが出来たのだろう。

 

力まずふんばらず、その投げ飛ばし方が実に美しい子どもたちの
笑顔が最高
この10年、息子さんが出た小学校で毎朝、交通安全のボランティアをしている。雨の日、風の日、雪の日も、子どもたちが通る大きな道で赤いストップサインを手に持ち、“グッドモーミング! ハウアーユー、トゥデイ?”と子どもや保護者に声をかけることから、たま先生の1日がスタートする。その同じ小学校で昼休みに子どもたちの監視員(Student Supervisor)もしている。
「学校では毎日違ったドラマが展開され、そのなかで先生や子どもたちからいろいろなことを教わっています。子どもたちの“笑顔”。これは最高ですね。子どもたちの笑顔を見ること、そして作ることから元気をもらっています」

 

自分を治す
武道

息子さんが小学生のとき、初めて親子で祥平塾合気道の演武大会に出場(福岡にて)

現在バンクーバー、バーナビー、サレーほかギブソン(サンシャイン・コースト)で4つの道場を運営し、指導にあたっている。生徒数は子どもたちを含め100人を越える。
「若いころは、受身を取って技をかけ、動いて汗を流すことに魅せられていましたが、長く稽古を積んでいくうちに、今私が感じる合気道の魅力は、動きの中に自分の醜さ(弱さ)が見えたり、優しさ(強さ)が見えたりと、いろいろな自分が見え隠れし、自分を見つめることが出来るところでもあると思います」

合気道がきっかけで移住したカナダで25年が過ぎた。祥平塾合気道のモットー『いま、ここを、いきいきと生きる』が、まさに生活の中に生かされているようだ。
「私を支え、励ましてくださる合気道の仲間や家族、そして私に合気道の指導というチャンスを与えてくれたカナダという国に心から感謝しています」。
話を終えると黒い袴姿の背を伸ばし、深々と頭を下げた。
(取材 ルイーズ阿久沢)

 

 

中嶋田玉美(なかしまだ・たまみ)
祥平塾合気道カナダ代表。福岡県出身。1978、菅沼守人師範のもとで合気道を始める。1985年、旅行で訪れたカナダで合気道道場に足を運んだことがきっかけで来加。BC州に4つの道場を運営、指導にあたっている。合気道5段。日系3世の夫ジーンさんと将太くん(15歳)とバーナビー在住。

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