6歳の6月6日
琴奏者、田保照沙さん今はもう聞かれなくなった習慣だが、その昔日本には、『芸事は6歳の6月6日から始めると上達する』という言い伝えがあった。江戸時代から幕末にかけて、多くの子どもたちがこの日に日本舞踊や生け花の稽古を始めたという。
カナダ生まれの田保照沙さん(旧姓小林)にもそんな願いが託された。アルバータ州のエドモントンで生まれ、一家は照沙さんが1歳のころバンクーバーに移った。「日本には5歳のとき、母と行きました。そして6歳の6月6日に、お琴と日本舞踊を始めたんです」
母親が琴の先生だったことから、お腹にいたときから琴の音に包まれて育った。

母から習った琴
母親の小林美代子先生は、広島出身で琴の師範。1960年代後半に故数田喜代三氏の協力を得て、『バンクーバー琴の会 (Koto Ensemble of Greater Vancouver)』を立ち上げた。同会は『関西音楽指針会』のカナダ支部となり、カナダで琴の免状を取得出来る唯一の組織として認定されている。
 家には稽古場があったため、暮らしの中には琴や三味線の旋律が自然に流れていた。「譜面を読むことも正しい指使いも知りませんでしたが、初めて琴に触れたときには、見よう見まねで弾くことが出来ました」
 母と娘であっても師弟関係を厳しく保ち、お弟子さんの前では必ず“小林先生”と呼んだ。
稽古は一日中、どこでも出来た。小林先生が一度弾いてみせ、それを自分で練習した。「ひとりで稽古をしていても、母の耳が家中にあるようでした。母は私には特にきびしく、一瞬の気のゆるみも聞き逃さなかったのです」
そんな中で利点もあった。生徒さんが難しい部分でつまづくとそこを何度も弾くため、繰り返し聞くその旋律は、照沙先生にとって得意なパートになった。「小林先生がそばにいて、内弟子として育ったことは恵まれていたと思います」

日本での修行

尺八奏者の山城蓮風先生と息の合った演奏高校を卒業した1976年の夏、両親の勧めで日本に行った。広島で米丸照子先生の孫弟子として、朝から晩まで琴の稽古に明け暮れた。先生が食事を稽古場まで運んでくれたほど、時間を惜しんで琴を弾いた。
 東京では都山流尺八の先生である内野剣山先生の内弟子として受け入れてもらった。「琴の修業に行って、なぜ尺八の先生の元にと思われるでしょうが、尺八の先生の廻りにはいろいろな流派の先生がおられるからで、そのお陰で筝曲宮城会の岩井田千鶴子先生に教わることも出来たんです」
 また人間国宝である地唄・生田流筝曲の家元、富山清琴(せいきん)氏の弟子である富田清邦先生に三味線を習い、日本舞踊は花柳流師範の元に通った。古い琴の世界では、ひとつの派に属している人が他流の弟子になるのは考えられないことだが、カナダで琴を広めようと思うのなら、あらゆる流派の芸風を修得させたいとの米丸先生の計らいで指針会の許可を得た。 
「今振り返ると本当にきびしい稽古を積んだわけですが、それが今日に至っているのだと思います。とても深い愛情のあるきびしさで接してくださった米丸先生と内野先生を始め、多くの先生方に今でも感謝しています」。こうして、関西指針会から琴の師範として免状をもらった。


日本人より日本的?

琴や三味線というと古風な習い事のようだが、平行してピアノも習い、UBCではピアノを専攻した。「両親はアートやスポーツなどいろいろ習わせてくれたのですが、いつも必ず行き着くところは琴でした」
稽古や免状取得のために、たびたび訪日した照沙先生は、流暢な日本語を話す。1985年のつくば博ではBC州館の館長に選ばれ、16人のコンパニオンの長として8か月滞在し、日本での就労も体験した。
小林先生の演奏には心と魂が込められている。そこには日本の文化に誇りを持ち、伝統を守っていく姿勢があるからではないか。母から受け継いだその精神は、照沙先生の心にしっかりと根づいているようだ。「日本人よりも、もっと日本的かもしれませんね。日本の友達からは、古風なところとか私が話す“古い言葉”なんかをよく指摘されます(笑)」

弾き歌い

歌うことは琴を習うことの一環でもあるという。「琴の魅力は何と言っても美しい音色と、この楽器が持つ多様性ではないでしょうか」
尺八奏者の山城蓮風先生が、35年ほど前から『バンクーバー琴の会』の尺八演奏をしていることから、照沙先生も長年に渡り、山城先生の尺八に合わせて琴を弾き、歌を歌っている。
 琴歴46年。カナダ、アメリカ、日本で演奏活動を行い、テレビやラジオにも出演した。中曽根康弘元首相、海部俊樹元首相や故ダイアナ妃の前で演奏したことも、忘れられない思い出だ。

受け継がれる芸術
大手会計事務所の人事部でシニア・マネージャーとして働きながら、家庭と仕事を両立させてきた。家庭生活は東京・渋谷のスクランブル交差点みたいだと話す。夫の田保好博氏は約40年前にカナダに来て、バンクーバーで有数の日本レストランを開いたオーナーシェフ。娘の夢さん(23)は大学に通う傍ら仕事をし、琴も少し弾くが歌うことに夢中だという。それぞれが忙しいスケジュールで動いているからこそ、みんなで集まる家族の時間がとても大切なひとときとなる。
「生まれたときから日本の芸術に触れてこられたことは、幸運だったと思っています。母は琴の先生だけでなく、生け花、茶道の師範の資格も取っているんです。日本舞踊は何年も習っていました。演奏活動を通して、北米に琴を紹介したことでも知られています。そんな母をとても尊敬しています」
この春からは、新設『バンクーバー交響楽団付属音楽院』で琴を教える。「初心者も大歓迎です。 学ぶことには終わりがないと思います。私自身、指が動かなくなるまで琴を弾き続け、勉強し続けたいと思っています」と意欲的に語った。
(取材 ルイーズ阿久沢)

正月は家族で祝った(左から娘の夢さん、夫の好博氏。右からふたりめが母の小林美代子先生)

たぼ・てれさ: 旧姓小林。アルバータ州エドモントン生まれ。父(小林豊)はカナダ生まれの二世、母(美代子)は広島出身。6歳のとき、広島の関西音楽指針会の米丸照子先生の元で琴の練習を始めた。その後もカナダで母親の小林美代子先生が立ちあげた『バンクーバー琴の会 (Koto Ensemble of Greater Vancouver)』で修業を続けた。1976年に日本に戻り、米丸照子先生、東京の筝曲宮城会の岩井田千鶴子先生の指導を受け、人間国宝である富山清琴の弟子である富田清邦先生から三味線を習い、琴の師範となる。1987年に少勾當(しょうこうとう)の位を授与され、日本をはじめカナダ、アメリカで演奏活動を続けている。

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。