ニューヨークのアーティストたち
タカオ・タナベ氏タナベ氏がウィニペグ・スクール・オブ・アートを卒業した1949年、美術界では抽象表現主義が広がり始めていた。その中心地はニューヨーク。第2次世界大戦の戦火を逃れてヨーロッパからアメリカに移住した芸術家たちが、ニューヨークで建物の壁画を描くなどの仕事に就きながら、美術運動を展開していたのだった。
タナベ氏は1951年から1年ほどニューヨークで勉強する間、この美術運動の先端者たちに出会い、大いに刺激を受けた。知り合う仲間の紹介で、さらにロンドンへ。
ヨーロッパでは大小の美術館めぐりをした。「ウィニペグ美術学校には図書館もなかったし、美術史の授業もなかった。美術館めぐりが授業になったわけだね」。以来、美術館めぐりは氏の生涯学習となった。

アートの世界へ
当時日系人漁者が多く住んでいたプリンス・ルパートで生まれ、11歳でバンクーバーへ。戦争中はレモンクリークの収容所で2年暮らし、兄と姉が農作業に就いていたマニトバ州に移り住んだ。
ここでウィニペグ美術学校に進学した。その理由を尋ねると「労働者として働きたくなかったから。父親やまわりのフィシャーマンみたいに、あくせく働きたくなかったからね」と答える。
もともと絵が得意だったわけでもないと話す。当時学校で教えていたの、読み書きと算数。「アートなんて誰にも教わったことも、絵を描いたこともなかった」そうだが、5年たったら稼いで見せるからと、母親を説得してアートの道に入った。


日本で習った 墨絵と習字
ニューヨークに滞在中、ある画家の作品に、現代的な習字の影響があるようだという話を耳にした。日本を知るいい機会だと考えたタナベ氏は1959年、可能性を求めて日本へ旅立った。
これは日本的なアートに触れると同時に、自分探しの旅でもあったようだ。「自分が日本人かどうか、確かめてみたかったからね」。そこで実感したのは“自分は日本人でない”ということ。ところがカナダでは日本人と見られる事実。
そんなアイデンティティー・クライシスに惑わされながらも、日本滞在中は、後に文化勲章を受賞した日本画家、平山郁夫氏(当時、東京芸術大学助手)から墨絵を習った。平山氏の墨絵は「力強く、シンプルだがエキサイティング」だという。また昭和の書家、柳田泰雲(たいうん)氏にも師事した。
それらの技法はタナベ氏の作品に表れていると言われているが、本人は「意識して取り入れたことはない」と話す。

Landscape, 1956 Oil on canvas, 57cmx122cm Courtesy of the Artist

抽象画から水彩画まで
昨年秋にはウエスト・バンクーバー博物館で、冬のロッキー山脈を描いた水彩画を中心に展示を行った。これには初期の抽象画も含まれた。4年前、バンフ国立公園内にある作家やアーティストのためのスタジオに1か月滞在したことから始まる。
その6年前、草原を描こうと山に入ったことがあるが、実際に行ってみると興味がわかなかった。ところが今回、真っ白に包まれた雪化粧のロッキー山脈に魅せられ、インスピレーションが広がった。水彩で描くことに決め、毎年冬に足を運んでは写真を撮り、そのイメージで色を乗せながら、冬の山を題材にシリーズに取り組み、2008年にバンフで展示会を開催した。

まだまだ現役
気の向くままに筆を握るのかと思いきや、タナベ氏の場合は朝9時から夕方5時が仕事時間だという。自然光を利用するのではなく、蛍光灯の下で描くため、暗い雨の日でも関係なく仕事をすることが出来る。夕方になるとドリンクをしながらニュースを見たり、食事をしたり。
84歳とは思えないほど、若い。1昨年にニューヨークへ行き、トロントで展示、オタワでカナダ・カウンシルの審査員を務めた。この2月にはイタリアへ旅立つ。

すらりとした長身に黄色いマフラーを巻き、手には長いこうもり傘。ブロードウェーを並んで歩き、本屋さんまで行った。そこで『BC Bookworld』紙を広げるとタナベ氏は、自分のことが書かれた記事を指差した。名声と冨を得たアーティストだと書いてある。
「自分は日本人じゃないから。日本からは何も学ばなかったんだよ」と、からかうように捨てセリフを吐きながらも、その奥ではやさしい瞳が笑っていた。
(取材 ルイーズ阿久沢)

Rocky Mountains, Winter, 2/2009 Watercolour on paper, 76cmx56cm Courtesy of the Artist

Takao Tanabe:
1926年BC州生まれ。ウィニペグ・スクール・オブ・アート卒業後、ニューヨーク、ヨーロッパ、日本でビジュアル・アートを学ぶ。バンフ・スクール・オブ・アートで絵画を教えながらプログラム・ディレクターとして長年過ごした後、1980年にBC州に戻った。作品はカナダ・ナショナル・ギャラリー、英国Tate博物館、カルガリーのGlenbow博物館、バンクーバー美術館、カナダ・カウンシル・アートバンク、グレーター・ビクトリア美術館、オンタリオ美術館などに所蔵されている。1956年、バンクーバーで本や詩を扱うPeriwinkle出版を創立。Arts Club (現Arts Club Theatre)設立者のひとりでもある。
ビジュアルとメディア・アート部門でGovernor General (カナダ総督)賞受賞。オーダー・オブ・BC (1993)、オーダー・オブ・カナダ(1999)叙勲。2005年、グレーター・ビクトリア美術館とバンクーバー美術館が『Retrospective Takao Tanabe』を開き、国内移動展示会開催に至った。出版物に『Takao Tanabe』(Douglas & McIntyre )、『Takao Tanabe  SOMETIME PRINTER』(Alcuin Society)などがある。バンクーバー島パークスビル在住。

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。