日系3世の映画監督、リンダ・オオハマ(Linda Ohama)さん。クイーンエリザベス劇場で行われた、東日本大震災被災者のためのチャリティコンサートのコーディネーターとして知られている。また、映画プロデューサー、監督、ビジュアル・アーティストとしての活動では、『The Last Harvest(最後の収穫)』で1993年ヨークトン映画祭カナディアンヘリテージ賞、フィラデルフィア国際映画祭銀賞、『Obaachan's Garden(おばあちゃんのガーデン)』で2002年トリノ国際映画祭観客賞、『A Sense of Onomichi(センス・オブ・オノミチ)』で2008年ヨークトン映画祭ゴールデンシーフ賞ノミネートと、映画作品はカナダ国内だけでなく、国外でも高い評価を受けている。
そのリンダさんが、東日本大震災の復興支援映画『東北の新月』を製作。2015年12月には東京のカナダ大使館、そして仙台のメディアテークでスニークプレビューが開催された。
岩手、宮城、福島の人たちも、自費で駆けつけた東京のカナダ大使館での試写会。誰かが『ふるさと』を歌い出すと、みんなが声を合わせて合唱になったという
日本だけでなく、世界をも震撼させた東日本大震災。報道を見てリンダさんも大いにショックを受けた。子どもを持つ母として、そして孫を持つ祖母として、人間として、何かせずにはいられなかったというリンダさんは、さまざまな形で被災者を支援する活動を開始する。そして、震災発生の約3カ月後の6月には東北を訪れる。
「東日本大震災について知ってすぐ、被災者の皆さんのために何かしたいと知人たちにEメールを送りました。同様の考えの人たちが震災発生の翌日、隣組に集まり、Ganbare Japan(頑張れ日本)コンサートを開催して、被災者支援のための寄付金を集めるプロジェクトが立ち上がりました。Ganbare Japanではコーディネーターとしてお手伝いしました。同時に、金銭面だけでなく精神面でも支援したいと始めたのが、東北メッセージキルトです。布に絵を描く、刺繍をするなどで、カナダの青少年に、東北の人たちに対する想いを伝えてもらおうというものでした。
様々な活動に携わりながら、被災した人たちを、被災地を訪れなければという気持ちが強まってきました。日本に何度も行ったことはあったものの、東北を訪れたことがなかった私が、ボランティアとして被災地を訪れたのは2011年6月6日のことです。東北に行き、被災地の様子を実際に見て、大きなショックを受けました。報道で見たものより、ずっとひどい状況だったからです。
それから1カ月半にわたり、岩手、宮城、福島の被災地を訪れました。私が映画監督であることを知ると、一部の被災者は、自分たちのことを映画にしてほしいと頼んできました。「お願いだから撮ってください」と膝をついて頼まれたこともあります。でも、映画を作るつもりはありませんでした。震災に関する映画は、東北の人が作るべきで、私には撮る権利はないと感じていました。
ボランティア活動の中で、避難区域の福島県南相馬にも行きました。人がいなくなった南相馬の小高の街を歩いていたとき、涙が止まらなくなりました。私には子どもがいます。孫もいます。母として、祖母として、そして人として、被災者の皆さんのために何かしたい。ゴーストタウンのようになった街に来たとき、被災者の皆さんの話を聞いて、ドキュメンタリー映画を作りたいと思いました」
南相馬を訪れたことがきっかけになり、リンダさんの『東北の新月』製作が始まる。
「私が『東北の新月』の撮影を始めたのはそれからです。2年半かけて、岩手、宮城、福島を訪れ、被災者の話を聞いて、撮影を行い、編集に2年かけてきました。震災から4年余り。その間に亡くなった方もいらっしゃいます。
岩手、宮城、福島には、震災から4年以上経った今も、避難所で暮らしている人たちがいます。復興はおろか、課題はまだ山積しています。
避難所の中には、床が腐ったり、雨漏りしたりで、カビが生えているところもあります。狭いプレハブの仮設住宅で、不自由な暮らしを続けています。経済大国として有名な日本なのに、避難所はまるで難民キャンプのような様相です。避難所の様子も『東北の新月』で観ていただけます」
福島第一原発に近く、強制避難となった地域は、以前は立ち入り禁止だった。しかし、最近になって、福島の帰還困難区域に家がある人たちも、一時帰宅して3泊できるようになったという。これまで被災者と寄り添って活動してきたリンダさんの温かい人柄は、多くの人を惹きつけ、一時帰宅する家族に招かれ、二晩、彼らと過ごす。
「避難所では狭いところで暮らしている人たちですが、彼らがもともと住んでいた家は大きな立派なものでした。やっと戻ることができた自宅で豪華な料理を用意してもてなしてくれました。
被災者の皆さんは、震災から時間が経つにつれ、世界の人たちだけでなく、日本の人たちも自分たちのことを忘れてしまっていると感じているのです。だから、自分たちの暮らしを見てほしい、映画にして他の人たちに伝えてほしいといいます。
私はできるだけ多くの人が被災地を訪れて、その様子を実際に見てほしいと思っています。特に、子どものいる母親の皆さんに見てほしいのです。
東京電力を非難する人は多いですが、福島第一原発のことはみんなの責任だと思います。私たちは優れた日本の製品を求めて、日本経済をサポートしてきました。そんな私たちにも原発事故の責任はあります。
除染で取り除いた土や草木、芝生を入れた黒い袋は山積みのまま、福島県内に放置されています。3〜4階分になるほどの高さに積み上げられていたり、破れて中身が出ている袋もあります。雨が降ると、用水路や川に汚染物質が流れ込みます。福島には、自分たちや子どもたちの世代の健康については諦めてしまっている、でも孫の世代が健康であってほしいと考えている人がたくさんいます。
そんななかで、自殺者が増えていて、震災による「直接死」の数字を上回っています。ある日突然、生活の場を失い、避難生活には終わりが見えない。健康も不安…大変なストレスだと想像できます」
震災の記憶が風化しつつある今、注目は福島に集まりがちだが、岩手、宮城などの被災者のことも忘れないでほしいと、リンダさんは訴える。
「被災した人たちは、お金がほしいのではありません。自分たちの声を聞いてほしいのです。私が来るのを東北の人たちが歓迎してくれるのはなぜか? 自分たちがどんなふうに感じているのか、聞いてほしいのです。「自分たちの苦しみや痛みについて、やっと話をすることができた。うれしい」私がインタビューした被災者の多くはそう言ってくれました。話すことで、彼らが受けた心の痛みを癒すことができたのです。
彼らが求めているのは、精神的な支えです。人にはお金や食べ物よりも大切なものがあります。一人ではないと感じることができること、誰かが自分たちのことを想ってくれていると感じることができることです。誰かに寄り添ってもらうことです」
リンダさんの想いが込められた『東北の新月』。カナダ国内での上映は、まずバンクーバー国際映画祭を予定しているそうだ。できるだけ多くの人に観てもらうためだ。9月の映画祭が待ち遠しい。
(取材 西川桂子)
『東北の新月』
日系3世の映画監督、プロデューサーのリンダ・オオハマさんの最新作。リンダさんが被災地での支援活動を通して出会った、東北の人たちの懸命に生きる姿を描いたドキュメンタリー映画。日本語ナレーションは、女優で元バレリーナの草刈民代さん。
震災後、リンダさんが撮り続けた被災地の様子
津波で大きな被害を受け、何もかもなくなってしまったかのような場所で見つけた一輪の花。リンダさんの心に希望がわいてきたという
映画にも登場する、相馬野馬追にも参加している男性
『東北の新月』に登場する女性