猿が見せる思いやり
風がいきなり強くなり、母ザルは慌てて子ザルを懐へ。雪も降り出しそうだ——。 温泉に入る猿の姿で知られる長野県・地獄谷野猿公苑。ここで写真家の今泉慶子さんが捉えた1枚が本紙表紙の画像である。
長野県地獄谷で会った母猿は、雪の混じった突風に思わず子猿を抱え込んだ。子を守る強い母の姿がそこにあった。(撮影 今泉 慶子)
2015年10月に銀座で開催した個展のテーマは南仏の野生の白馬。過去にもアラスカの熊や鯨に迫っている。今泉さんが動物たちを追う意味は、猿に注目した理由は何だったのだろう。
猿にとって極寒の冬を過ごすことは容易ではありません。湯田中渋温泉郷に近い険しい山中にある地獄谷近辺に生息するニホンザルの場合は、地域の人々が餌付けに成功したことから、猿たちに余裕が生まれ、餌を待つ間、寒さをしのぐために子猿が近くの旅館の露天風呂に入って待つことを覚え、他の猿たちもそれを学んで現在に至っています。
私が注目したのは、ただの日本の猿の生態ではなく、世界にも類を見ない極寒の山中で露天風呂に入り暖をとることを覚えた猿たちの生態です。本来野生の彼らがあるきっかけで知恵を進化させ、越冬の技を覚えて繁殖を増やし、種を繋ぐことに成功している点が興味深いのです。
撮影地の地獄谷野猿公苑へはバスから降りた後、凍った山道をかなり歩かねばなりませんでしたが、撮影は猿の入浴する露天風呂の脇まで近づけるため、重い望遠レンズを使わずに撮影できました。雪がぱらつく中、猿の表情を求めて移動を繰り返していたら、猿たちの目の前で滑って転んでしまいました。笑ったのは周りの人間たちで、猿たちはかえって気の毒そうな顔をしてくれました。
猿たちの姿は相手を思いやるような仕草にあふれていましたね。温泉につかりながら、1匹が真面目な顔をして仲間の毛繕い。相手はとても気持ちよさそうに目をつぶって、されるがままなんです。
ある寒い午後雪がちらつく日に、3匹で入浴中の大人の猿のところに、小さな子猿が寄ってきて、あたかも「寒いよ〜」とピーピー泣くのですが、しばらく黙って見ていた年長風の立派な猿が、ひょいとその子猿を自分の懐に入れて、お湯の中で温め始めたんです。多分自分の子猿ではないのでしょう。彼らは実に見飽きない存在でした。
私には『動物としての人間』が、忘れてしまっている本能としての優しさを、野生動物の中に強く感じます。種をつないでいく大切さや、親が子を守る大切さ。厳しい自然環境だからこそ必要な動物としての本能は、霊長類としてあまりに人工物を作り上げてしまった我々がふと気付かされるというか、動物として気付くべき基本のことではないかと思うのです。
2年続けて開催した銀座の個展のテーマは、2014年のArizonaの岩という「静」に対し、2015年がフランスの白馬で「動」。しかも「カマルグ馬」という南仏地域の固有種を追いかけ、地中海沿岸、砂浜、湿地帯と異なる背景で撮影に挑んだ。2度、現地に赴き、仔馬の生まれる時期の撮影にも成功。そうして貴重な瞬間を捉えた作品を前に、想像を膨らませ感想を語りあうたくさんの来訪者たちの姿があった。今泉さんが個展にこだわる理由がここにある。
日々進化し続ける写真素材を生かして
昨今、力を入れているのは印刷素材や印刷方法の工夫だ。メタリック銀塩印画紙に焼き付けを施し、UVカットの特殊アクリルガラスを使用することで200年の長期にわたる色彩と風合いを保証。竹和紙を表装に使った作品はいぶし銀のフレームに浮きだすように収めるなど、理系出身の今泉さんらしい独自のアイデアにあふれている。
こうした新技術を応用した独自のスタイルが2015年のモントリオールでのアートリー2015で評価され入賞。今回の銀座の個展でも手応えを感じた。
しかし「編集や仕上げはあくまでも生写真あってのもので、撮影という行為は、厳粛な今の地球の営みを切り取ること。静止画はその時々の貴重な時間の証人です」と語る。新年の抱負は「絶えず新しいジャンルへの挑戦」だ。今泉さんの時は止まることがない。
(取材 平野香利 / 写真提供 今泉慶子さん)
プロフィール: 今泉 慶子(いまいずみ・けいこ)
プロフォトグラファー。 カナダプロ写真家協会/CANON認定会員。 2015年9月モントリオール/アートリーグ2015入選展示に続き、10月銀座で第二回個展「たてがみの詩」が成功裡に終了。2016年もnature fine artとしての新しい写真作品に挑戦し発表し続ける。
温泉に入りたい気持ちをそそられるのは記者だけではないだろう
露天風呂に入り暖をとることを覚えた猿たち