在バンクーバー日本国総領事館開館125周年記念フォーラム

『二つの歩み』〜日本外交と日系人の遺産〜

第6回『日系人の今:1990年〜現在』(最終回)

 

バーナビーの日系センターで11月28日、在バンクーバー日本国総領事館開館125周年記念フォーラム「二つの歩み」の第6回「日系人の今:1990年~現在」が開催され、約60人が参加した。2014年の一年間を通じて総領事館と日系コミュニティの歴史をたどってきた「二つの歩み」。最終回では在バンクーバー日本国総領事の岡田誠司氏がこれまでのフォーラムの内容を総括し、日系三世で映画制作者のグレッグ・マスダ氏がリドレス後の日系人の歩みについて講演した。講演終了後は若い日系カナダ人をパネリストに迎えたディスカッションも行われ、近年の日系社会とその将来について意見交換する貴重な機会となった。

 

 

日系センターの会場には約60人の参加者が集まり、講演終了後は活発な質疑応答が行われた

  

多くのことを教えてくれた「二つの歩み」

 過去5回の講演では、日本人移民が最初にカナダに到着した1870年代から戦後のリドレス運動が実を結んだ1980年代までの歴史を、日本外務省が保管する外交文書や日系人の生の声を織り交ぜながら紐解いてきた。1980年代から外交官としてカナダでも勤務してきたスペシャリストである岡田氏は、これまでのフォーラムの内容を自らの経験を交えながら振り返った。温故知新という言葉の通り、過去125年間に歴代の総領事が直面した問題とその対処法を知ることで、岡田氏は総領事としての役割を果たす上で重要な多くのことを学ぶことができたという。日系コミュニティの将来を担う若い世代にとっても、歴史を学ぶことは大きな糧になるだろう。

 

日系人が語るリドレス運動の成果と近年の日系コミュニティ

 第二次世界大戦中の強制収容により、日系人は有形・無形の多大な損害を被った。これに対する謝罪と補償を求めたリドレス運動が1970年代から行われ、1988年に全カナダ日系人協会(NAJC)と連邦政府の間で合意が成立したことは、日系カナダ人の歴史の中で非常に重要な出来事だった。グレッグ・マスダ氏は、2013年にリドレス合意25周年を記念して制作されたドキュメンタリー映画「リドレスの子供たち」のために、当時NAJCでリドレス運動に尽力した人々のインタビューを行った。今回の講演会でマスダ氏は、そのインタビュー映像の中からこれまで未公開だった映像も紹介し、1990年以降の日系人の歩みを振り返った。ロイ・ミキ氏、ジョイ・コガワ氏、マリカ・オマツ氏、オードリー・コバヤシ氏ら、著名な日系カナダ人が映像で登場した。

 

日系コミュニティの発展を助けた補償

 リドレス成立により、連邦政府は強制収容を体験した日系人に対して公式に謝罪するとともに生存者一人につき2万1千ドルの個人補償と、1千200万ドルのコミュニティ基金を供与した。コミュニティ基金は、各地で博物館やシニア住宅、文化センターの建設などのために使われ、多くの人がその恩恵を受けている。今回の講演の会場となった日系センターもその一つだ。また、連邦政府からの補償金1千200万ドルを使ったカナダ人種関係財団も設立された。コミュニティ基金とカナダ人種関係財団はもちろん日系コミュニティにとって価値のあるものだった。しかし、それが補償金の最も効果的な使い方だったかどうかについては議論がある。インタビューの中でマリカ・オマツ氏は、その問題点についても率直に語った。日系人がリドレスに関する反省点も伝えていけば、そのことから他のコミュニティも多くを学ぶことができるだろう。

 

 

日系カナダ人の歩みを総括した在バンクーバー日本国総領事の岡田誠司氏

 

 

日系人が取り組むべきカナダの人権問題

 日系人によるリドレス運動の解決は、カナダの人権擁護の歴史の中でも重要な出来事だ。これが、その後の中国系移住民への人頭税や先住民の寄宿舎学校問題に対する謝罪や補償の前例にもなった。リドレスを経験した日系人は、カナダにおける他の少数民族への人種差別問題に対しても、積極的に関わっていくべきである。ジョイ・コガワ氏は、リドレスで他のコミュニティの人々に支えられた日系人にはその義務があると強調した。現在は多文化主義が浸透したカナダにおいても、例えば中近東の民族背景を持つ人への人種プロファイリングなど、さまざまな不寛容や人種差別がある。社会的不公正の問題に立ち向かってきた日系人こそが、苦しむ人の側に立って活動するべきだ。

 

日系カナダ人のアイデンティティと若者の変化

 戦後、日系カナダ人の間ではカナダ社会に溶け込むことが重要視され、日本語を話さず、非日系人と結婚する人が非常に多くなった。その結果、人種的に入り混じり、「いずれ日系カナダ人はいなくなってしまうのではないか」と危惧する声もある。しかし、日系のアイデンティティは、人種によって決まるものではないという意見も多い。日系人と非日系人が結婚し家族になれば、それは日系コミュニティの拡大だと考えることもできる。近年、日本人を先祖に持つ多くの若者が、日系の活動に積極的に参加しているのは喜ばしいことだ。インタビュー映像に登場した日系人青年リーダー会議(JCYLC)の参加者からは、「自分の先祖が経験してきたことを忘れないのは大切なことだと思う」、「良い日系人、良い人間になるためには、日系人の歴史という一つの物語の中で、自分がどこにいるのかを知らなければならないと思う」など、真摯な声が聞かれた。

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 パネルディスカッションでは、岡田氏とマスダ氏に、隣組理事長のジョージ・クマガイ氏、パウエル祭協会会長のクリステン・ランバートソン氏、全カナダ日系人協会(NAJC)理事のリサ・ウエダ氏が加わり意見交換した。聴衆からもさまざまな質問やコメントが寄せられた。

 

 

基調講演を行った日系三世で映画制作者のグレッグ・マスダ氏

 

 

日系コミュニティの思いが詰まったパウエル祭

 毎年夏にバンクーバーで開催されるパウエル祭は、日系コミュニティの絆を深める大切なイベントだ。会場では日本の芸術や文化を紹介するだけでなく、日系人の歴史に関する展示なども行っている。2014年、パウエル祭は開催直前に会場の移動を余儀なくされた。例年会場となっているオッペンハイマー公園が、ホームレス問題に対する抗議活動を行う人々に占拠されていたからだ。ホームレス問題も日系人が取り組むべき社会問題の一つ。ランバートソン氏は、「パウエル祭開催のために、かつて日系人が強制退去させられた地から抗議活動を行う人々を追い出すことはしたくなかった」と当時の思いを語った。結果的にパウエル祭はその公園周辺の道路で開催されることになり、大盛況となった。

 

日系カナダ人と日本人移民の協力関係

 日系コミュニティの将来を考えるにあたり、戦後日本からカナダに移り住んだ日本人移民は重要な存在だ。日本から来た人々は日系人の強力なパートナーになり得る。しかし言葉や文化の壁もあり、英語話者の日系カナダ人と日本語話者の日本人移民のコミュニティは分離している。お互いに積極的に働きかけなければ、コミュニティは孤立してしまうのだ。パウエル祭や日系センター、そして総領事館には日本人移民と日系人をつなぐ架け橋としての役割がある。この二つのグループの協力関係を強めることは、日系コミュニティの発展につながるだろう。

 

 

パネルディスカッションの様子。(左から)グレッグ・マスダ氏、ジョージ・クマガイ氏、クリステン・ランバートソン氏、リサ・ウエダ氏、岡田総領事

 

 

日系人の歴史を語り継ぐこと

 日系カナダ人の歴史は語り継がれるべきだ。彼らの経験してきたことを知ることは、現代を生きる私たちにもためになる。ウエダ氏はトロントの日系文化会館で働いていた時、カナダで子育てをする日本人の母親が、日系一世についての資料を求めてやって来たと語った。日本と同じような子育てができないという悩みを、日系一世がどう乗り越えたのかを知りたかったからだという。また、2014年に公開された映画「バンクーバーの朝日」は、1900年代初頭にバンクーバーの日本人街に生きた日系二世の若者たちの姿を鮮明に描き出し、大きな反響を呼んでいる。このように、映画を通して日系人の歩みについて伝えるのも効果的だ。

 カナダ社会の移り変わりを身をもって経験してきた参加者の言葉を聞いて、聴衆は今後の日系コミュニティのあり方について深く考えさせられたようだった。岡田氏が「6回にわたるフォーラムを通じ、新しい知識を学び教訓を得ることができました。また、このフォーラムの素晴らしい成果にとても満足しています。開始当初は、多くの参加者を得られるか心配しておりましたが、最後に多くの参加者を得られ、皆様のご協力に感謝します」と締めくくると、会場は大きな拍手に包まれた。

    

(取材 船山祐衣)

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