在バンクーバー日本国総領事館開館125周年記念フォーラム

『二つの歩み』〜日本外交と日系人の遺産〜

第5回『1990年代までの戦後補償運動』

 

10月28日、在バンクーバー日本国総領事館主催の講演会が開催された。日系カナダ人に対する戦後補償(リドレス)がどのような経緯で1988年9月、カナダ政府との合意に達したのか。リドレス結実のシンボルであるバーナビーの日系センターで、総領事岡田誠司氏、全カナダ日系人協会の会長としてリドレス運動を推進したアート・ミキ氏が、パネリスト3人とともに振り返った。会場では、約80人がこれに聴き入った。

 

 

アート・ミキ氏(右)、岡田誠司総領事(左)

  

■日加外交とリドレス

 まず岡田誠司総領事が、在バンクーバー日本国総領事館と日系コミュニティの二つの歴史の関係、その中でのリドレス運動の位置づけ、また、オタワの在カナダ日本国大使館で勤務中に起こっていた同運動について、当時の感慨などを次のように述べた。

 カナダにおける日本の最初の在外公館として1889年に開設されたバンクーバー領事館の歴史は、ここでの日系人の歴史ともいえる。日系コミュニティでの出来事は、公文書等、さまざまな記録で知ることができる。中でもリドレス運動が展開された1980年代は日系カナダ人にとって一番重要な時期と考える。

 80年代といえば、日本は経済発展の勢いに乗っており、一方、カナダは米国との諸関係をますます強化していた。日加関係も活発で、首相をはじめ外交団の行き来があった。  しかし、日系カナダ人とカナダ政府との間のリドレスについては、日本政府による直接の介入はなかった。だが、岡田総領事はオタワから日本の本省へリドレス運動についてのリポートを送っており、「大切なこと、成功してほしい」と思っていた。

 この時期、カナダのブライアン・マルルーニ首相も、日本訪問に際し、同運動について触れている。

 「実際に何が起こっていたのかを知りたい。日系人がカナダ政府を相手に、どのような計画を練り、交渉し、合意に達したのか、その交渉の詳細につき興味がある」と岡田総領事は言い、アート・ミキ氏の講演に期待を寄せた。

 

 

リドレス合意の調印式でアート・ミキ氏(左手前)ブライアン・マルルーニ首相(右端)1988年9月22日(写真:ゴードン・キング)

 

■リドレス、忍耐と献身の長い道のり

 基調講演に立ったアート・ミキ氏は、リドレス運動を進めるにあたっては「ステップがたいへん大切であった」と言い、同運動のいきさつを時間の流れに沿って話した。

1・日系の誇り再燃

 日系カナダ人のリドレスをめぐる動きについて遡ると、1947年に設置されたバード委員会の進言による賠償支払いがある。しかし、その内容に日系人はたいへん不満であった。

 転機となったのは77年、カナダ各地で催された日系カナダ人百年祭だった。日本舞踊や日系カナダ人百年の巡回写真展をはじめとする企画が、日系文化・歴史への回顧となる。それはさらに、戦中・戦後の出来事に向き合い、正そうという機運の高まりともなった。リドレスを討議するグループが結成されていった。

2・リドレスの呼びかけ

 78年、全国カナダ日系市民協会の総会でリドレスが取り上げられる。

 80年、同協会は全カナダ日系人協会(NAJC)と改称。この年、米国では、第二次世界大戦中の日系アメリカ人への強制退去と監禁を調査するための委員会を発足。2万ドルの賠償金支払いを勧告する報告書を発表する。これが引き金となり、カナダでも日系人とリドレスの問題に関心が向けられるようになった。

 82・83年、日系団体でリドレス討議が起こるが、しばしば紛糾。個人補償か団体補償かが争点の一つ。

 84年、NAJCは新たに会長をアート・ミキ氏とし、リドレスの意図、運動の組織化などを明確化。

3・支援不足

 リドレス運動の途上、ミキ氏らは厳しい試練を多々味わうことになる。大きな問題は、日系コミュニティ内での意思統一だった。

 当時、カナダ国内の日系人は6万ほど。小さいコミュニティとはいえ、リドレスに対する考えはさまざまであった。その中には、戦中・戦後の苦い経験からくる心配や恐れもあった。そのためミキ氏らは、日系人を集めて説明会や家庭集会を開き、NAJCの考えを説明し、統一した考えの下での団結を訴えた。

 一方、新聞やテレビをはじめとする各種メディアからの注目は、戦中・戦後の日系人の体験やリドレスについて、より広くカナダ人に知ってもらうための強力な後押しになった。  しかし、NAJCとは考えを異にする日系人グループが、政府と歩み寄る事態もあった。

4・政府との葛藤

 カナダ政府との交渉も難関だった。

 84年、ピエール・トルードー自由党政府は、特別委員会が作成した報告書『今すぐ、平等を』の内容にもかかわらず、NAJCからのリドレス要求を却下。これに対し、進歩保守党ブライアン・マルルーニ党首は、同党が政権を執れば日系人への賠償金支払いを約束すると明言した。

 84年9月、政府がマルルーニ内閣に変わると、NAJCはすかさずリドレスに関する文書『裏切られた民主主義』を提出。しかし、政府の反応は鈍かった。ジャック・ムータ、オットー・ジェリネック、デビッド・クロンビーと続いた多文化担当大臣から、数段階にわたるコミュニティ基金の一方的提示があるが、個人補償をも提案しているNAJCは受け入れなかった。すると交渉拒否や、コミュニティ内での分裂を意図するような画策に見舞われた。

 86年7月、クロンビー大臣から、「Take it or leave it」(取るか止めるかだ)と最後通牒。

 

 

リドレス合意の調印式でブライアン・マルルーニ首相とアート・ミキ氏。1988年9月22日(写真:ゴードン・キング)

 

5・リドレスのための裏付け

 リドレス運動中、NAJCは次のような調査や提案書作成を行った。

・リドレス全国調査:日系人がリドレスをどう見ているかの調査。個人補償に強い支持。

・プライス・ウォーターハウスによる日系人の経済損失調査:少なくとも4億4千3百万ドル(86年換算)。

・政府へのリドレス提案書:政府からの公式謝罪、個人補償、コミュニティ基金、人権関連財団の設立、戦時措置法の見直しなど。

6・国会前デモ

 政府との交渉は暗礁に乗り上げていた。しかしNAJCは、運動をさらに強化・拡大するために、リドレスをカナダの人権問題とし、広くカナダ人や各種団体をも巻き込もうと計画を練り直した。民族・人権擁護・先住民などの団体、労組、教会などにも呼びかけ支持を得ていった。

 ハガキによるリドレス支持運動も展開。寄せられた何千ものハガキは、首相に届けられた。

 87年11月、日系カナダ人リドレス全国連合を結成。翌年のオタワ国会議事堂前デモを組織。

 88年4月14日、パーランメント・ヒルでリドレスを訴えるデモ集会を決行。カナダ各地から日系人が参集し、プラカードや「希望のリボン」を掲げて練り歩いた。

7・リドレス合意

 国会前でのリドレスの大々的アピールは、状況を急進展させた。折しも、多文化担当大臣にジェリー・ウィナーが就任。ユダヤ系のウィナー大臣は、それまでの大臣よりリドレスに理解を示し、集会でのスピーチや国会前のデモに参加した。

 88年8月、首相オフィスから交渉再開の打診。NAJCは、個人補償も議題に据えることを条件に承諾。秘密裏に、NAJC幹部数人が、モントリオールでウィナー大臣ら政府側チームと話し合い。ミキ氏らが驚いたことに、ルシアン・ブシャール国務大臣がその場に現れた。同大臣の登場は、首相がリドレス解決に本気であることを物語っていた。

 この会議で、NAJCと政府はリドレスの主な題目に合意。

8・合意内容

 88年9月22日、マルルーニ首相は下院議会で、カナダ政府が第二次世界大戦中と戦後、日系カナダ人に不正を行ったことを認め、NAJCと連邦政府との話し合いの結果、リドレスに関する合意がなされたと発表。

 合意内容には次のような項目が含まれ、着手されていった。

・2万1千ドルの個人補償金支払い:事務局を設置。2002年閉鎖までに1万8千人以上に支払い。

・1千2百万ドルのコミュニティ基金:日系カナダ人リドレス基金の設置。コミュニティ・センター、高齢者施設等の建設、文化・教育プロジェクトを計画。

・カナダ人種関係基金設立:96年、トロントに事務局設置。

 合意により政府から供与された金額は、約4億4千万ドルに上った。これは、86年にプライス・ウォーターハウスが日系人の経済損失を少なくとも4億4千3百万ドルとした数字に近いものであった。

9・合意のタイミング

 ミキ氏は、合意は絶好のタイミングだったと言い、次のような理由を挙げた。

・88年8月、米国で、日系アメリカ人へ2万ドルの賠償が認められ、前例ができた。

・同年秋の選挙の兆しと、リドレスに対する世論の高まりに、マルルーニ首相は84年に公約したリドレス解決を急いだ。

・強硬なリドレス反対派であった退役軍人省の大臣が病気のため内閣から離れた。

10・リドレスがもたらしたもの

 リドレスの達成は、日系人が長年抱いていた罪悪感を払拭し、なによりも、日系としてのアイデンティティとプライドを回復させた。

 また、カナダにおける人権問題として挙げられる中国系移住民への人頭税、第一次世界大戦中のウクライナ系カナダ人の強制収容所抑留、レジデンシャル・スクールでの被害などに対しての政府からの謝罪や補償の前例になったと言い、ミキ氏は講演を締めくくった。

 

 

左から、ジョン・エンドウ・グリーナウェイ氏、ロイ・ミキ氏、ヘンリー・シミズ氏、アート・ミキ氏、岡田誠司総領事

 

■カナダの民主主義とリドレス達成

 岡田総領事とミキ氏による講演後、パネルディスカッションが行われた。ヘンリー・シミズ氏、ロイ・ミキ氏、ジョン・エンドウ・グリーナウェイ氏がパネリストとして加わった。

 シミズ氏は、日系カナダ人リドレス基金の理事長を務めた立場から、リドレス合意の後、コミュニティ基盤再構築への着手は、補償対象となった日系人らの高齢化もあり、迅速に進める必要があったと説明した。

 また、ロイ・ミキ氏は、「政府からの謝罪はたいへん重要なこと。さらに、忘れてはならないのは、裏切られた民主主義が改善されたこと」と、リドレス合意がもたらした深い意義を述べた。

 日系カナダ人のリドレス達成は、カナダの民主主義の成熟でもあった。

    

(取材 高橋百合)

 

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