福岡に到着したカークさんと愛船Silk Purse号

 


まず、ご自身について教えてください。

米国生まれのカナダ人なので、米国、カナダの二重国籍を持っています。ボストンの大学院で、国際法、外交史、政治学、経済学などを学び、国際関係学の博士号を取りました。博士論文は日本経済新聞と米国のウォール・ストリート・ジャーナル紙の海外報道についての比較でした。
それから広報の仕事に就き、PR/コミュニケーション・コンサルティングの会社の日本法人で、社長を務めた後、2002年にテンプル大学ジャパンキャンパスの学長に就任しました。

 

流暢な日本語をお話になりますね。

日本で25年、暮らしていましたからね。1976年から2年間、埼玉県で英語を教えた後、カナダへの帰国をはさみ、文部省(当時)から奨学金を得て、筑波大学でも学んでいます。

 

 

日本一周、ヨットの旅に挑戦しようと考えたきっかけについて教えてください。

男のロマンです(笑)。
私の父は海軍にいたので、その影響もあると思います。以前から冒険的なものが好きで、子どもの頃から憧れていましたが、お金持ちのすることで、難しいというイメージがありました。
しかし、数年前、タヒチのそばのマルキーズという小さい島を訪れた時に転機がありました。世界一周しているセーラーが立ち寄ることが多く、飛行機でやってきたのは私だけという状況で、さまざまな人と話をしました。経験の浅い人にも会ったこと、特に金持ちでなくても大丈夫そうだと感じたことで、以前はイメージでしかなかった、ヨットで旅をしてみたいという思いが、目標に変わりました。60歳からヨットを始めた人にも会って、「50歳代から始めてもいいかな?」「やるなら今だな」と考えるようになりました。

 

函館到着。船上ではシャワーやスポンジバスで過ごしてきたため、銭湯へ

 

失礼ですが、年齢を教えてください。

60歳になりました。

 

早期退職という感じですね。仕事を辞めた後、ヨットの訓練を行ったと聞きました。

2008年3月にカナダに帰国して、6月にヨットを購入しました。基本から始めて、アラスカ、ハイダグワイなどに練習でセーリングに行きました。

 

壱岐島。昔ながらの日本に会うことができた

 

2012年4月に、日本へ向けて、ビクトリアを出航して、途中、ハワイに寄って、滞在費づくりにバーテンダーをしたそうですね?

ハワイで修理が必要になりました。また、台風の季節が始まっていたので、しばらく滞在することにしました。そして、物価の高いハワイで何もしないより、アルバイトをして滞在費を稼いでみようと考えました。
ハワイには多数の日本人観光客が訪れます。日本人が利用するバーやパブで働こうと、1週間の集中コースに入り、スキルを取得して、仕事を探しました。残念ながら、日本人が多い、大きなホテルのバーは、経験豊富なバーテンダーを雇用するので、当てが外れたものの、ヨットクラブで働いたりしました。週40〜50時間働いて、ハワイでの滞在費を稼ぐことができました。

 

ハワイのヨットクラブ

ハワイでは滞在費稼ぎにバーテンダーに

 

 

 

カークさんの日本一周ルートについて教えてください。

起点は函館です。昨年7月1日に函館港を出て、北海道を時計回りに進み、津軽海峡から日本海側に抜けて、福岡まで行きました。日本一周をした外国人はまだいません。日本一周ですので、起点に戻ってこなければいけません。私は日本の最北端、最東端、最南端、最西端を訪れる予定です。最北端の宗谷岬、最東端の根室は寄航ずみで、3月2日に日本に戻った後は、最南端の波照間島、最西端の与那国島も訪問します。

 

海から見た日本の印象は?

海から見る日本は、国際的な大都市、東京に代表される日本とは違いました。温泉で知り合った漁師が魚介類を届けてくれたりと、人は親切で優しく、昔の日本そのままの町並みが残っていました。一方で60歳未満の人がいないような状況です。青森県の鯵ヶ沢町という小さい町では、新聞記者に出会い、町長を紹介してもらい、高齢化社会や地方再建計画について話をしました。

 

青森県鰺ヶ沢町では東條昭彦町長を紹介される

 

日本一周で苦労されていることはありますか?

まず、日本は入港規制などがあります。1635年に鎖国したときの法律が、今も基本となっていて、日本の港の98〜99パーセントは不開港です。そのため、私のヨットのような外国船は、入港するために面倒な手続きが必要です。
次に、ビザの問題がありました。外国人が観光で日本にビザなし滞在できるのは90日までです。以前なら、一旦、飛行機で出国して、韓国などに行き、また戻ってくるということができましたが、今は年間90日までとなっています。一度、国内でビザ更新もできるものの、「ヨットで日本を観光したい」という理由では許可が下りませんでした。そこで、私は北海道から航海を始めたので、寒い場所にあるヨットを暖かい福岡に持っていくという理由で申請したところ、更新できました。
3月からの航海は、本を書くことを考えていることもあるので、テンプル大学の大学研究員として、文化活動ビザを申請しました。

 

 

本の執筆を考えていらっしゃるのでしょうか。

3冊考えています。まず、島国で海と暮らしが強く結びついた日本が、なぜ英国のように海洋国家として、海の覇権を目指さなかったのか、つまり海志向でなかったことについて。次に航海日記。3つ目はクルーズのガイドブックです。世界各地でクルージングガイドがあるものの、日本版はありません。日本はやり方や考え方が違うので、外国船はとまどうことになります。
たとえば、アンカリング。定置網があったりしますし、日本では港でアンカリング、つまり錨を下ろすことはできません。また、燃料補給のためのドックがありません。燃料が必要なときは、ガソリンスタンドに電話をして持ってきてもらいます。

 

日本一周が終わると、次は世界一周でしょうか?

まだ分かりませんね。私は自分のアイデンティティはセーラーではないと思っています。キャンピングカーを買って、カナダを旅するのもいいですね。

 

 

(取材・文 西川桂子 写真 カーク・パタソンさん提供)

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