「フィリピン台風被害者支援」ボランティア参加の皆さん

 

ビジネスの成算より、ビジョンが勝った


「Natto King Kitchen Works」の代表者、中村‟Manto„真人さんは、23年前、バンクーバーへ移住し、現地旅行会社に採用された。その4年後、育児パパに専念するため退職。かたわら、イラストレーターやカメラマンとして、教科書の挿絵や、日本の新聞社、通信社などの依頼を受けカナダ情報の撮影を行った。また、大学時代の経験を生かし、子供たちを対象にサッカー教室も開いた。これらは現在も続けているが、2010年のバンクーバーオリンピックの現地カメラマンを終えたのを機に、納豆作りをはじめた。中村さんの器用さ、ユニークなライフスタイルには感心するが、なぜ、納豆づくりなのか? それについて中村さんは「子供のころから、腹いっぱい納豆を食いべたかった。それには自分で作るのが一番、という夢を持っていた」という。一方、狂牛病が発生したり、動物性たんぱく質の採りすぎを問題視する風潮もあり、「今こそ良質の植物性たんぱく質の塊、納豆の出番!」と納豆工房の立ち上げを決心したという。しかし、日系人にはともかく、ここカナダで、あの独特の臭いを持つ納豆が受け入れられるか、ビジネスとして成り立つのかという疑念もあったそうだが、「良質のたんぱく質を提供したい」という自分のビジョンが勝って、その一歩を踏み出した。

(左から)試食販売の中村“Manto”真人さん、中川博子さん、本藤絵里さん

 

ベジタリアンとの共感の輪


現在、日系の食品スーパーマーケット(4店舗)、共同購入サークルなどで販売中だが、日系人には「故郷の味として親しまれ、リピーターも定着した」という。
バンクーバーのコマーシャルドライブ付近に多く住む人々には、ベジタリアンが多く、共感の輪が広がっている。さらに、中国系の人々にも理解され始めた。
納豆のあの臭いについて、中村さんは、「例えば、ビールのあの臭いは、なくてはならないものですし、納豆も同じ。初めての人でも少しずつ馴れてきます」と、納豆本来の味わいを広めていきたいと話す。そして、世界の人々の健康食品として一般に認識されるようにがんばりたい、とビジョンは膨らむ。
そして、重要なことが「オーガニック」であること。カナダ産の大豆を使った自然発酵の食品。安心して食べることができ、おいしい。また、『生産者の顔が見える』ことにもこだわり、3〜4カ月に一度、店頭での試食販売会を行い、お客様に直接顔をあわせ、意見を聞きながらさらなる味の探求につとめているという。

 

日本の伝統食、健康食 料理法もさらに研究


ユネスコの無形文化遺産に登録された和食への関心が、再び高まっている。そんななか、日本の代表的な伝統食である納豆は、今後ますます注目されることになると思われる。
納豆の起源は諸説あるが、「その昔、煮豆をわらに詰めて馬で運んでいた。馬の背中の適度な温度と湿度が、偶然にも『糸引き納豆』を作り出した」…中村さんは、そんな昔ながらの環境を念頭に置き、日本のわらに付着してできた『納豆菌』と、オンタリオ産のオーガニック『大豆』、そして、バンクーバーキャピラノ渓谷からのミネラルを含む『軟水』を使用し、発酵に必要な熱と湿気の絶妙な管理を独特の工夫を凝らしながら生産。工房は、コミュニティ・キッチンを使用、冷蔵庫は自宅に置き、極力コストカットし、手間をかけてもお手ごろな価格で販売できるよう工夫しているという。
納豆はよく練って粘り気を出し、ご飯にかけて食べるだけではなく、納豆が持つ健康にいい成分が評価されるにつれ、近年、新しい食べ方、料理法などが研究されマスコミでもひんぱんに紹介されるようになった。
AMDAのボランティア活動に賛同する人は、バンクーバー地区にも多く、今回の「フィリピン台風被害者支援」の活動に多くの人が参加していた。「納豆試食販売会」での売り上げの一部や、「手作りカード」、「指圧コーナー」の売上金のすべてがAMDAを通じ、フィリピンの台風被害者のもとへ届けられた。
また、この日の「フィリピン台風被害者支援」の会場を盛り上げたのが、中村さんの打楽器と中川博子さんの津軽三味線のセッション。打楽器にフライパンや、ポテトチップスの容器をマラカスとして使用したり、生活感ただよう中村さんオリジナルの楽器。開場をお祭り気分いっぱいにしていた。

中村“Manto”真人さん(打楽器)、中川博子さん(津軽三味線)

 

手作りカードコーナー

  

指圧コーナー

 

「困っている時は、お互いさま〜」のAMDAボランティアセンター


認定 特定非営利活動法人アムダ

今回の「フィリピン台風被害者支援」の募金の引き受け先となっているのが、AMDA(アムダ)ボランティアセンター。1984年に設立。本部は岡山県。相互扶助の精神に基き、災害や紛争発生時、医療・保健衛生分野を中心に緊急人道支援活動を展開。世界30カ国にある支部のネットワークを活かし、多国籍医師団を結成して実施している。  2001年に岡山県より「特定非営利活動法人」格を取得。1995年に国連経済社会理事会より「特殊協議資格」を、次いで2006年に「総合協議資格」を取得し、2013年に認定NPO法人の認証を得る。AMDAの国際人道支援活動は、相互扶助の精神、つまり「困った時はお互いさま」の心に基づいている。現在、フィリピンで活動しているAMDA医療チームは10名が派遣されている。 (www.amda.or.jpより)

(取材 笹川守)

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。