相撲、その
成り立ち

 日本の国技として引き継がれる大相撲の歴史は非常に古く、現在見つかっている最古の記録としては、古墳時代の遺跡から発見された埴輪、須恵器などに相撲のようなものをしている様子が描かれている。
 元は神々に捧げる神事として行われていた。スポーツ、格闘技という性格を持ち始めたのは江戸時代に入ってからで、現在でも四股踏みなど相撲の所作の中には宗教的な意味を持つものが多い。
 「横綱」が生まれたのも江戸時代に入ってからだ。元々は大関の中で選ばれたものだけが腰に巻くことのできた「横綱」に起因するもので、現在西の横綱を務めている日馬富士関で70代目となる。
 現在の横綱、白鵬関と日馬富士関はどちらもモンゴル出身。日本人横綱は2000年の若乃花関以来、10年以上誕生していない。
 1993年に曙関が外国人力士として初めて横綱に昇進してから現在まで、7人の横綱のうち5人が外国人力士。先の7月場所番付の42人の幕内力士の中で外国人力士は14人を占めた。日本国内の相撲の若者人気が落ち込む中、大相撲の多国籍化は急激に進んでいるように見える。

シアトルと相撲
 シアトル出身者にかつて角界に在籍した人物がいた。1973年10月10日付の本紙では、日本滞在18年の父親と日本人の義母を持つ日本通の地元高校卒業生が日本の花籠部屋へ入門した様子を伝えている。
 またシアトル・タイムズ紙の前身のシアトル・デイリー・タイムズ紙によると、地元日系関係者のボビー・スエツグさんが1975年に日本に渡り、松龍山という四股名で主に幕下で活躍。一時は序の口にまで段位を上げた。
 シアトルと相撲の歴史をさかのぼると、その繋がりは意外にも深い。シアトル・デイリー・タイムズ紙に初めて「Sumo」の文字が現れたのは1910年、ジュリアス・ジョンソンなる人物が、柔術と相撲に精通している「イトウ教授」にレスリングで挑むという内容の記事だった。当時、イトウ教授は相撲に関する展示も開催している。
 5年後の1915年には、東京から大相撲がサンフランシスコ、バンクーバー、そしてシアトルに興行に来たという記述を見ることができる。その様子については、カナダ・バンクーバーの日系新聞、大陸日報紙が詳しく報じている。
――物珍らしの眼を光らせて我れも我れもと蝟集し来り中には呆気に取られて傍らの日本人に「いったい何んだ」なんて聞く者も三四見掛けたるが一体に「プロフエジヨナル・レスラー」と聞いて「あれが日本の角力取りか」と今更のように珍妙な顔をしたる白人も多かりき――(原文ママ)

 大相撲の一団がバンクーバーに到着した時の記事で、地元市民にとって力士は未知の存在であり、その一団に好奇の視線を向けていたことが分かる。
 記事によると、この興行には32人の関取が参加し、その中には当時の横綱、梅ケ谷関(2代目)も名を連ねた。
 北米の人々が広く相撲を知るきっかけとなり、少なくともシアトルでは、現地市民が相撲を見ることのできる最初の機会だった。
 シアトル・デイリー・タイムズ紙には、それ以降「Sumo」の文字が増えている。1916年からは1年に2、3本のペースで相撲の記事が載るようになり、相撲の詳しい説明を載せた記事が写真付きで紹介されるなど、日本文化の1つとして浸透していった。
 1940年代初めには、地元二世が集まり相撲大会を行っていたという、当地日本館劇場の資料が写真と共に残っている。腰に巻いたまわし、立てられた4本の柱、横断幕、そして立派な土俵。日系人たちによって、当地に相撲は根付いていた。
 1980年代、ハワイ出身力士が大相撲で活躍を見せるようになると、シアトルでも大相撲のテレビ放送を一般テレビ局で見ることができた。現在その中継はNHKのみが行っている。

相撲の多様化
 現在、CaliforniaSumo Association(CSA)という団体がロサンゼルスを中心に活動している。1998年に2人の相撲好きの米国人によって発足され、9月にUSオープンと称された大規模な相撲大会を行い、5、6月には、シアトルを含む各都市への巡業も行っている。
 相撲大会出場には国籍、年齢、性別を問わない。女性も含め、ありとあらゆる人が相撲を取っている。力士たちはコマーシャル出演などPR活動も広く行い、ゲストには曙関、武蔵丸関など日本人にもなじみが深い元力士達が訪れることもある。
 国際化に伴い、世界では相撲の多様化も進んでいる。歴史が深く、格式ある伝統を持つ日本大相撲。だが近年はその伝統が問題視されているのも事実だ。
 長く疑われていた力士達の八百長問題が表面化し、その年の春場所が中止に追い込まれたのは2011年のことだ。厳しい稽古の末、弟子が死亡してしまった事件も記憶に新しい。
 現在の規範では土俵上への女性の立ち入りは禁じられており、男尊女卑の風潮を強く残している。日本相撲協会幹部である「年寄」という役職には、日本国籍を保持していないと座ることができない。
 伝統を過度に重んじる現状が、相撲のさらなる国際的な発展を遅らせている。「Sumo」が日本文化として世界に知られている今、変化を恐れない柔軟性も重要ではないか。
 1915年の興行以来、シアトルに大相撲は来ていない。しかし、日系社会の中に相撲を求める声も聞かれる。
 誇るべき日本の国技、相撲――。その国際化の足跡はシアトルに脈々と息づいていた。

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