「巨人の星」をインド市場向けにリメークしたアニメ「スーラジ・ザ・ライジングスター」。このアニメを企画・制作した講談社国際事業局担当部長の古賀義章さんが、バンクーバーを訪れた。日加商工会議所10周年記念講演会でこのアニメの誕生秘話を披露し、ユーモアあふれる語り口で会場を沸かせた古賀さんは、実は24年前にはウィスラーでスノーボードをしていたという。たぐいまれな行動力で新しい挑戦を続ける古賀さんに話を聞いた。
インド版「巨人の星」の これから
「スーラジ ザ・ライジングスター」は、野球をクリケットに置き換えた「巨人の星」のインド版だ。史上初の本格的な日印共同制作アニメは、経済産業省のクール・ジャパン戦略推進事業の一つでもある。一話30分、全26話。日印国交樹立60周年の節目の年だった2012年の12月にヒンディー語で放送が始まり、今年6月に終了した。第26話は、主人公スーラジが「巨人の星」の「大リーグボール1号」にあたる魔球を完成させたところで終わっている。今後は、タミル語、ベンガル語、ウルドゥー語の吹き替え版を作り、インドだけでなく、スリランカ、バングラデシュ、パキスタンでも放送する予定だ。そして、その次に向かうのはアフリカだという。
「南アフリカ、ケニア、タンザニア、ジンバブエ…アフリカでもクリケットはすごく有名です。クリケットのアニメーションは世界に一つしかないんですね。だから今後はアフリカでも展開していこうと思っています。26話以降は、アフリカの選手を助っ人で入れたりするんですよ」
多言語での放送と多地域展開に加えて、関連商品の販売にも力を入れていく。例えば、即席麺のパッケージに「スーラジ」を載せることで、アニメの認知度は上がり、商品の販売増加にもつながる。このような相乗効果を生み出すことが重要になってくるという。
バンクーバーとの 不思議な縁
常に新しいことに挑戦しようとする姿勢は、若い頃から変わらない。古賀さんが初めてバンクーバーを訪れたのは1989年。多くの人がスキーに熱中していた時代に「他の人がやってないスポーツをやりたくて」スノーボードに挑戦した。
「お金の問題もあって、ウィスラーで僕はずっとヒッチハイクをしていました。ホテルに泊まれなくて、三段ベッドの合宿所みたいなところにいて。その時に実は尾てい骨を砕いて、救急車に乗った。バンクーバーはそういう意味では、思い出のある場所なんです」。
その頃と比べると、バンクーバーも様変わりした。「どんどん移民が入ってきて、面白くなってきてますね」と古賀さんは話す。今回の訪問では、バンクーバーの近郊都市サレーのインド人社会も訪れ、その規模の大きさに驚いた。「昔は農民ばかりだったのが、今はかなり富裕層が増えている。政治家にもインド系がいて、インドで有名なシャー・ルク・カーンという俳優も数カ月前に呼んでるんですね」。
多くの移民を受け入れるBC州では特に、今後インド市場の重要性は増すだろう。「インドは出生率も非常に高いので、こちらでもインド系の移民は増えていくと思います」と古賀さんは予想する。
子供たちと関わりたい
インドの12億人の人口の半数は25歳以下の若年層。アニメなど、子供を対象とする業界にとっては、インドは特に魅力的な市場だ。ただ、古賀さんが求めているのはビジネスチャンスだけではない。次代を担う子供たちに関わりたいという気持ちが強いのだ。
古賀さんは東日本大震災後、集まった仲間と共に、3/11 Kids Photo Journalというプロジェクトを立ち上げた。SONYからデジタルカメラを提供してもらい、それを被災地の子供たちに渡して写真を撮ってもらうのだ。
「時間がたつにつれ、マスコミが被災地に行く頻度は減る。そう考えると、そこに住んでいる子供たちが、彼らの目線で持続的に撮ったほうが、長続きするし、興味深い。写真集を出した時には、子供たちを東京の印刷工場に呼んで刷り上がりを見せました。すごく良い経験になったと思います」。
3/11 Kids Photo Journalとインド版「巨人の星」の制作。全く異なる事業に取り組みながらも、古賀さんの目は子供たちに向いている。「子供は未来ですからね。これから先が楽しみですよね」大切な文化を子供たちに伝えれば、それが10年後、20年後に大きな影響力を持つと信じている。
自分の道を選ぶこと
若い頃から世界を旅した古賀さんは、新しい発想が得意だ。講談社の100周年記念に創刊する新雑誌の内容の社内公募があった時、古賀さんはフランスで出会った国際情報誌「クーリエ・アンテルナショナル」のコンセプトを生かした「クーリエ・ジャポン」を発案。見事に選ばれ、2005年に創刊編集長に就任する。編集長の仕事を一から勉強し、人気雑誌に成長させた。しかし、記者や写真家として現場で仕事をしてきた古賀さんは次第に「もう一度、現場のあることがやりたい」という思いを強くしていった。「全く違うことをやったほうが面白いんじゃないか」という直感に従い、編集長を退任。再びインドへ渡った。
「いつの時代にも、泳ぎながら上手く波をつかんだりとか、アイデアを変えたりとか、ルールを変えたりとか…新しいことをやっていかないと生き残れないと思うんですよ。雑誌の編集を20年やってると、次は多分、本の編集に行くとか、もしくは雑誌をまたやるとか、そういうかたちになると思うんですけど、僕はそれを全部捨てました」。
情熱的なその生き方に憧れるが、新しい挑戦をしていると辛い経験も多いはず。辛い時にはどんな心構えでそれを乗り越えるのかと質問してみると、「好きなことだったら、辛い思いはしないですね」というシンプルな答えが返ってきた。
「大事なのは自分で選ぶこと。大きな組織にいても、小さな組織にいても、自分で自分の道を決めれば後悔しないし、どうせどれをやっても大変なんだったら、好きなことをやれば一番良い」。
夢は広がっていく
インドでは、A、B、Cの三つのうちのどれかを制覇すれば成功すると言われている。Aはアストロロジー(インド占星術)、Bはボリウッド(インドの映画産業)、Cはクリケットだ。だからこそ、クリケットのアニメを制作した。そしていつかは、大好きな映画に携わりたいという夢もある。思い描くのは日本の原作を使った日印共同制作の映画だ。「そんな映画をプロデューサーと一緒に作っていけたら、どんな赤字でも、めちゃめちゃ幸せですよね。赤字じゃだめなんですけど」と笑う。アニメも好きだが、インドのエンターテイメント産業は映画を中心に動いている。今後は記者としての経験を存分に生かして、インドのエンターテイメント産業をさらに深く取材し、新しい事業の可能性を模索していく予定だ。
すべてを楽しむ柔軟性
時代の流れが速くなる中で、大切なのは柔軟性。世界のさまざまな土地で出会う人や景色から、インスピレーションを得ている。今回のバンクーバー滞在中は、同行した16歳の長男と共にカナダの大自然を満喫した。在バンクーバー日本国総領事の岡田誠司氏、レバレッジコンサルティング株式会社代表取締役社長兼CEOの本田直之氏、日加商工会議所前会長の上遠野和彦氏らと、カヤックやジップトレックも楽しんだという。実は高所恐怖症だという古賀さんだが、ジップトレックについては「やらないと、もったいないですよ」と楽しそうに語った。
古賀さんの信条は「意志あるところに道あり」。ヒンディー語にも同じ意味の格言があるそうだ。インド版「巨人の星」の企画もあきらめずに続けていると、良い仲間と良いタイミングがやってきて道が開けた。情熱にあふれる古賀さんは、次はどんな挑戦に踏み出すのだろう。今後の活躍に期待したい。
(取材 船山祐衣)
講談社 国際事業局担当部長(インドプロジェクト・ディレクター)。
1964年佐賀県生まれ。89 年、講談社入社。
「週刊現代」や「フライデー」の編集者・ 記者として数多くの社会事件や災害を担当。
2005年に「クーリエ・ジャポン」を立ち上げ、 創刊編集長に就任。2010年に編集長を退任し、現在、講談社の国際事業局にてインド
事業開発を担当。初の日印共同制作アニメとして注目を集めたインド版アニメ「巨人の星」 こと「スーラジ ザ・ライジングスターを企画・制作し、チーフ・プロデューサーを務める。