―こんなに力のある小説家がカナダにいるとは驚きでした。
どうもありがとうございます。
―話の舞台は江戸時代で、内容も私たちの日常の延長上にないものですが、どのようにして作品が生まれたのですか?
今回連載の『遠吠え』は「琉球のりゅうシリーズ」の一編なのですが……
―沖縄武術を操る主人公「りゅう」のことですね。
はい、僕はずっと沖縄空手をやってきまして、この沖縄空手のことをどうしても書かなければいけないという主意を秘めてきており、それが小説を書くきっかけになりました。
―その思いはどんな点にあるのですか?
まず、先に申しておきますが、僕の作品はどれも武道小説では決してありません。どんな方にでも楽しんで読んでいただけるよう書いたつもりです。
ですが、少し空手のことに寄り道しますと、第二次大戦後、占領下の沖縄で空手を習った若いGIが媒体になって空手が世界に広がりましたが、それは本来の沖縄空手とはかなり違うものであったのではないかと僕は思うんです。古来、それは生きるか死ぬかの場面で使われる技ですから、相手は執拗に急所を襲ってきます。それをかわして身を守るには気の遠くなるような鍛錬が必要になり、そのみなもとが「古流型」に秘められていると思うのです。おのずとその動きは「柔」になり、舞を踊るような所作になって急所を守ります。言葉にするのは難しいのですが、現行の打ったり蹴ったりして優劣を競い合う試合空手とはだいぶ違ったものであったと思うのです。
沖縄では昔、禁武政策というのがあって、自ら武器を放棄して不戦態勢を内外に示しました。孤島小国家の和平宣言です。それが幸いし、沖縄は独立を保ったのです。人間、武器を持つと戦いを辞さなくなるものですが、鍛錬して心身の強さを高めることで、相手を許し、笑って見過ごせるようになったのではないか。その屋台骨になったのが空手なんじゃあないかと僕は思うんです。
ですので、初めて書いた作品は、舞台を終戦直後の沖縄、主人公を日米の混血児とし、古流の空手を媒体にして沖縄の悲劇を描いた長編でした。この『黒潮に哭(な)く』は黒岩重吾先生に読んでいただく幸運に恵まれ、そのことが起爆剤になって小説を書き続けるようになりました。
―片桐さんが信じてやまない古流沖縄空手の真の姿を世に訴えたかったというのが書き始めた動機なんですね。
その通りです。しかし空手を駆使した作品は初期の数編だけで、以後「空手」とは無縁の内容になっていきました。僕は22歳で日本を出奔していて現行日本のことはわかりませんので、おのずと小説は近世時代物になってしまいますが、カナダを舞台にした作品もいくつか書きました。
ストーリーの着想について言えば、たとえば石ころ一つにもストーリーが秘められていると僕は思います。石は凶器にもなりますし、その石につまずいたことが遠因して離婚、殺人事件にも発展し得ます。ですので人間が主人公であればことは簡単で、誰の人生でもそれに尾ひれをいくつか付ければ立派な推理小説にもなりますし、痴情をからめた一大悲恋物語にもなると思います。そうしたストーリーはペンを動かすうちに形をなすようになり、結末がわからず書き出したことがほとんどでした。
―空手で精神を研ぎ澄ましてきた経験が、小説を書くことにも生かされていると感じますか?
研ぎ澄まされたなどとんでもないんですが、登場人物の言いたいことに耳を澄ませていると、おのずとやりとりが生まれてきてペンが自然に動くという感覚です。
―そうですか。不思議な感覚ですね。ところで片桐さんは冒険好きとも聞いていますが、どのような経験を?
1966年に日本を出、ヨーロッパ経由でカナダに入り、生計を立てるかたわら、ヨットと小型飛行機を駆って冒険旅行をしました。65歳の時に自分の手で家を建て始めて、今その家に暮らしています。
自動車修理で貯めたお金でヨットを買った時は、世界一周をもくろんでバンクーバーを出航しましたがボロ舟で航海中、水がどんどんしみ込んできましてね。ポンプで水をかきだしながら、なんとかハワイまで行きました。小型飛行機で中南米を99時間かけて周回飛行した時には、メキシコのある町での着陸の際に、燃料計がゼロを指すような事態もありましたけど、また次の冒険をしたくなってしまうんですよね。
―そうした命がけの冒険への動機はどんなところにあるのですか?
僕はいつも得た道具を最大限に利用したいという気持ちがあるんです。人生は一度しかないのですから、できるだけのことはしたい。小説のほうでも、登場人物の特長を最大に引き出したいという思いがいつもありました。
2000年に『心の壺』で埼玉文学賞を受賞、2004年4月に『黒潮に哭く』で文芸社フィニックス大賞最優秀作品を受賞した片桐さん。そのほかにも以下の文学賞―「埼玉文学賞(2回)」「やまなし文学賞」「さきがけ文学賞」「九州さが大衆文学賞」「長塚節賞」「太宰治賞」「伊豆文学賞」それぞれで、最終選考まで残った実績を持つ。数百から数千におよぶ応募がある日本の文学賞。その最終選考に残るのはわずか数点である。 埼玉文学賞を受賞した際の埼玉新聞の記事には、審査員から「緊密な構成と展開など小説づくりは絶妙」との書評があり、他の賞の選考の際には「ストーリーが面白い」「文章はプロ級」とコメントを受けている。 埼玉文学賞を取った際には、「もう一つ賞を取れば道が開けるのではないか」と、勢いづいて次々と作品を生み出した。そして、2004年までの3年間で上記の文学賞の最終選考にたどり着きながら、片桐さんは執筆活動を止めてしまう。なぜか。 「受賞や作品から、徳間書店と宝島社が出版に興味を示してくれましたが、そんな矢先、次男に夭折されてしまったのです。小説を書くにはかなりのパワーが必要になります。僕としては、子供に死なれて小説は書けません」 アボッツフォードの「子供に先立たれた親の会」にも参加しているという。 「ほとんどの親は立ち直って、元の生活に復帰していきます。事故で亡くなった子供は戻ってこない。書くことは僕の唯一のできることだから書かなきゃいけないという気持ちでいっぱいなんですが……」と語ってくれた。 バンクーバー新報では片桐さんの作品の一つ『遠吠え』を11回に分けて本号より連載を開始する。 「できることなら11回分、全部が揃うまで待っていただき、それから一気に読んでいただけましたらさらにうれしいのですが」と片桐さん。ぜひ読者の皆さんから、小説の読後感想を新報に寄せていただきたい。
(取材 平野香利)
BC州ペンダーハーバー在住。横浜市出身。22歳でシベリヤ鉄道に乗ってヨーロッパへ。オランダでヨットの帆走技術を学ぶ。その後、BC州で自動車修理の仕事の傍ら、ヨットと小型飛行機で冒険旅行。沖縄空手を当地の日本人から学び指導者に。1996年から小説創作を開始。生み出した作品は、推理もの、復讐譚、社会ドラマ、恋愛もの、童話と幅広い。