スポーツを使って世界の架け橋に
 東日本大震災後、世界中から支援が送られる中、台湾からの義援金は約200億円。2011年9月、台湾に謝意を伝えるために、またみんなで挑戦する姿勢、諦めない気持ちも伝えたいと、発起人の鈴木さんを含め、海で20キロを5時間以内で泳げるメンバー6人がリレー形式で泳ぎ、52時間かけて日台黒潮泳断を成し遂げた。岩手、宮城、福島の被災三県の各県知事から預かった馬英九総統あての礼状を携え、沖縄・与那国島から台湾・蘇澳まで黒潮が流れる東シナ海110キロを全力で泳ぎ切った彼らの勇気ある行動は、被災地にも勇気を与えた。国境を超えて助け合うことが求められる今の時代に、スポーツを使って世界の架け橋になれればと願う鈴木さんは、「困っている人がいたら手を差し伸べる、助けてもらったらありがとうと言う。そこに境界線はない。国境は政府が決めたラインであって、心の境界線ではないし、なってはいけない。そんな当たり前のことが、当たり前にできるようにしたい」と話す。  台湾、韓国、インドネシア、シンガポール、マレーシア、アメリカ、トルコ、ドイツ、フランス、オーストラリア、パプアニューギニアなど積極的に世界各国をまわり、文化、慣習、食文化、宗教の違いなどを肌身を持って感じ、自分の常識、価値観、視野を広げる鈴木さんは、カナダ行きも検討しているそうだ。

チャレンジは自己研鑽の場  
今年の8月で5回目となった大島〜湘南泳断60キロチャレンジは、10年連続を目指している。成功できる年もあれば、中断せざるを得ない年もあると言う鈴木さんは、刻一刻と変化する自然の中で、予報も予想も現場で起きる事象に影響されて変わるので、可能な限り遅いタイミングで判断ができるように努力している。また、「決断とはリスクコントロールができた上でする意思決定であり、解決策の多さは準備、経験の量に比例する」と話す鈴木さんは、チャレンジを通してその場にいるからこそできる決断があること、そしてゴールすることと諦めないことの違いを学んだ。「泳」だけではなく、「SUP(スタンドアップ・パドルサーフィン)」、「アウトリガーカヌー」にも挑んでいる海男のチャレンジはまだまだ続く。

失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ  
パソコンも英語もままならない、ビジネスの「ビ」の字も知らない体育会学生から、自分の「想い」を形(商品)にしたくて寝る間も惜しみ、気合と根性で走り続けた 10年間のサラリーマン生活に終止符を打ったのが2012年。自ら事業会社を興し、実業家としての新たな顔で世界を舞台に走り続ける鈴木さんは、「最初は小さな船ですが、少しずつ船のサイズを大きくし、そして笑顔いっぱいの乗組員と共に世界を突き進みたい」と今後の目標を掲げる。「世界の人口は約71億人、日本の人口は約1・2億人で自分の当たり前はたったの1・7パーセント!世界には何十倍ものドキドキわくわくが待っているので、どんどん挑戦して沢山失敗し、笑って、泣いて、熱くなって、歯を食いしばって前に進んで行きたい」と話す。鈴木さんは、様々な泳断チャレンジを通して「死」を身近に感じるようになった。それが自分のいない明日を考えるきっかけとなり、今日という日を全力で生きるようになったと言う。正しいと思ったこと、やりたいと思ったことを行動に移す勇気を持てるようになった鈴木さんには、「もっと明るく強い日本を残したい。今よりも面白い世の中を次世代に繋げたい」という夢がある。そんな鈴木さんの今後が楽しみだ。   

(取材 門利容子)

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