震災当時の経験

石巻赤十字病院はこの地域で唯一損傷なく残った病院でした。「我々がつぶれれば、石巻の医療がつぶれる」といって、職員に最大の努力をしてもらうように呼びかけました。職員はこれに本当に良く応えてくれました。
発災直後は、通信、物流が途絶え、特にガソリンの不足が深刻でした。思いつくあらゆる機関に連絡し、あるいは出向いてガソリンの補給などの依頼に奔走しました。どこも困窮していてあまり成果が上がらなかったのが現状でしたが、いくつかのガソリンスタンドが私たちに優先的に供給してくれることになりました。
職員はそれぞれの持ち場で、自分から行動をとり、立派な働きをしてくれたので、私自身があれこれと、細かい指示を出すことは余りありませんでした。次々に起こる事柄に対して職員それぞれが有益なアイデアを出してくれて、それに「ゴーサイン」を出すのが役割であったように思います。ほとんどの職員が家屋の損壊を経験したり、中には家族を亡くした方もいました。それでも、それをおくびにも出さず、被災者のために黙々と働いてくれたことに頭が下がると同時に、日本人の誇りのようなものを感じています。
全国、そして外国からも支援団体が駆けつけ、それに対する応対、感謝、また多くのマスコミへの対応、そして全国から駆けつけた多くの支援団体に対しては、この病院の置かれた立場(被災地の唯一の中核)を説明し、協力を要請することが私の役割と認識していました。

 

災害拠点病院として

今回の地震に十分耐えうる免震構造でしたので、地震発生直後から、院内アナウンスで「この建物は大丈夫なので、皆さん安心して指示に従って行動してください」と患者・家族・職員に通告し、冷静に初期活動、その後の活動を進めることができました。自家発電装置を装備していたので、ほんの数秒後には停電は解消しました。外来待合室の壁に酸素と吸引を設置していましたので、直ちに臨時診療スペースとすることができました。震災翌日から続々と救援物資が運び込まれましたが、これらを広く取ってあった地下ヤードに収納することができました。ここから、救護班は必要な物資(水、食料、医療用品、薬品など)を各避難所へ運ぶこととなりました。

 

訓練の大切さ

日本赤十字は災害医療を担うという自負もあり、普段から訓練を重ねており、小規模災害でもたびたび救援隊員を派遣するなどしていました。実は、震災の2日前の3月9日にも、中規模の地震がありました。この時もすぐに災害対策本部を立ち上げました。被害の状況を把握しましたが、まったく被害もなく周辺地域も安全でしたので、30分後には本部を解散していました。これが大きな予備訓練になったと思います。その成果から、東日本大震災発生5分後には災害対策本部を立ち上げ、直ちに「レベル3(通常診療を取りやめ、災害対応に専従する)」を宣言しました。40分後には、トリアージ・スペースを設定終了し、1時間後から急患の診療を開始しました。マニュアルを使いやすいものに改訂していたので、各人がスムーズに震災に対処できました。しかし、マニュアルは初期の体制を作り上げるには役立ちましたが、実際には、想定外の事柄が次々と起こり、臨機応変に対応することの重要さを痛感しました。

 

SOS子どもの村

1949年に第二次世界大戦で孤児となった多くの子どもを家庭的環境で育てるため、「すべての子どもを愛ある家庭で」をスローガンにオーストリアで設立されたのが、SOS (Societas socialis)子どもの村(Children’s Village)です。今では世界133カ国に広がり、カナダにもBC州サレーに子どもの村があります。SOSの理念に基づき親と暮らせない子どもたちを愛ある家庭で育てるための、里親の集落というようなものを設立するのが目的です。そこには、センターハウスを設置し、ここに保育士、児童心理士、臨床心理士、小児科医などが常駐して子育ての問題や悩みに対応し、専門的支援を行います。2011年の震災で多くの孤児が生まれました。この大部分は親族に引き取られて養育されていますが、養育者が高齢であったり、職を失ったり、さまざまな問題を抱えていることも事実です。このような子どもを、必要があれば村に引き取って家庭的環境で育てます。場合によっては、被災地で困難を乗り越えながら孤児を育てている養育者が息抜きを希望するような時に、一時的に子どもを預かる(レスパイト)ことも考えています。また、宮城県内(あるいは他地域でも)子育てに問題を抱える里親への支援を行います。
人材養成研修として、2013年1月から子育てに関する研修会を毎月開催しています。参加者は毎回40〜50名です。宮城県、仙台市、それぞれの児童相談所、里親会などとの協働事業として「もうひとつの絆」プロジェクトを開催し、里親研修を行っています。

 

これからの展望

2014年までに、このような活動をする場としての「子どもの村東北」を建設することを目標としています。センターハウスと家族の家(里親と子どもの生活の場・第一期工事として3棟)を建設する予定です。設置場所はほぼ決まっていますが、市有地のため現在貸借契約の事務手続き中です。設立には多額の資金が必要です。建設資金については、現在約50%の積み立てになっています。多くの企業、市民の方々のご理解とご支援が絶対的に必要です。そのために日夜奔走しています。

 

9月22日のイベントについて

このたび、私の昔からの友人である加藤美智子さんから、9月に「子どもの村東北」応援のための『東日本震災の災害孤児のための特別催事』を開催する計画を知らされました。とても嬉しく、頼もしく感じました。また、このようなことは私たちの運動に大いに励みになります。
私は、このイベントで2011年3月の石巻赤十字病院の震災への対応を話させていただき、この経験が今後の災害時への教訓として生かされることがあれば大変嬉しく思います。また、「子どもの村東北」の構想をお話し、共感とご支援が得られれば大変ありがたいと思っています。

 

読者へメッセージ

2011年3月11日に、東北ではとても悲惨な悲しい出来事がおきました。復興といわれながら、まだその歩みは遅々としています。福島原発の問題も先が見えません。しかし、嘆いてばかりはいられません。今、震災を契機に困難にあっている子どもたちを愛ある家庭で育て、やがて彼らが日本を、そして、世界を担っていく大人に育っていくことを期待して、それに幾ばくかでも貢献できるよう努力していきます。どうか、バンクーバーで開催されます9月22日(日)の『東日本震災の災害孤児のための特別催事』へのご参加など、皆さまのご支援を賜ればありがたく思います。

 

(取材 北風かんな)

 

子どもの村東北
国際NGO「SOS子どもの村」の理念を基本とし、東北に「子どもの村」を建設することを目指している。大震災で親を失った子どもたちはもとより、親の病気や経済的な理由など、様々な事情で家族と暮らせない子どもたちに家庭的環境を与え、地域のなかで豊かな子ども時代を送ることができるよう永続的な支援を行うことを目標としている。
詳しくは、子どもの村東北ウェブサイト
http://soscvtohoku.org または FACEBOOK (https://www.faceboo.com/soscvtohoku)

 

プロフィール

 

飯沼一宇(いいぬまかずいえ)
1967年東北大学医学部卒業、1975年東北大学医学部講師、1979-1980年米国ハーバード医科大学留学、1988年東北大学医学部助教授、1994年東北大学医学部教授、2001年日本小児科学会会頭、2003年日本小児神経学会理事長、2005年東北大学退職し石巻赤十字病院院長、2011年3月東日本大震災に遭遇、2012石巻赤十字病院退職、NPO子どもの村東北理事長就任。以後、東北に子どもの村を設立するために尽力している。

 

>>> Gala for the Orphans <<<
「子どもの村東北」建設のためのファンドレイジングイベント

飯沼氏の講演の他、ファッションショーやサイレントオークションなども予定されている。
9月22日(日)午後1時〜4時30分
Vancity Theatre (1181 Seymour Steet)
前売り$35(ホームページより購入可)、当日券$45
http://galafortheorphans.wordpress.com/

お問い合わせ
Michiko Higgins-Kato
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604-551-9647

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。