2018年4月12日 第15号
アーティストとして、パフォーマーとして1990年代前半から活躍している高嶺格(ただす)さんが、サイモン・フレーザー大学(SFU)スクール・フォ・コンテンポラリー・アート(SCA)の招待講師として招かれた。2月初旬の1週間、学生たちと交流し、自身の作品についての講演会も開催。日本で起こっている社会問題を扱った作品を中心にした講演内容に、会場を訪れた人々は関心を示していた。
原さん(左)と高嶺さん。講演の後に。2月6日バンクーバー市SFUダウンタウンSCAで
日本が直面する社会問題を作品のテーマに
2月6日の講演会では、日本の社会現象、原子力発電所事故、特定秘密保護法などをテーマにした作品群が紹介された。これらの問題をあえてアートのテーマとして取り上げている作品には、見る人、体験する人に、強く何かを訴える力がある。
紹介されたのは、「クールジャパン・水戸編(2012年)」、「ジャパンシンドローム(2011‐12年)」、「ジャパンシンドローム・ベルリン編(2013年)」、「明日の拷問(2015年)」、「歓迎されざる者(2018年)」。
どれも作品を鑑賞するというよりは、体験型アートシアターという展示になっている。社会問題を扱っているだけに重い内容の作品が揃ったが、「もちろんこれ以外の作品も作っていますよ」と笑った。
アーティストであり大学准教授の高嶺格さんと今回のキュレーターを務めた原万希子さんに話を聞いた。
社会問題を扱うアーティストとして活動するきっかけ
「結構若い時からそういうマインドがあったんです」と高嶺さん。しかし鹿児島から学生運動などを想像して大学進学のために行った京都では、そんなムードはとっくになく「結構がっかりしたんですよ」と笑った。「もともとそういうものを持っていたと思うのですが、いまだに何かその方法について、ずっと探っている感じはあります」。
1990年代前半は、当時京都を拠点に活動していた「ダムタイプ」(1984年設立)というパフォーマンスグループの一員として活動をしていた。原さんによると「ダムタイプ」は当時、世界中で評価され尊敬されたパフォーマンスグループで「伝説のグループ」という。高嶺さんは「1990年代前半から中頃までは、アートはアクティビズムとか社会学の人とかを巻き込んだ1つのムーブメントになっていたんです。その渦中にいたということもあって、20代でしたけど(自分自身でも)いろいろな実験やってたんですね。その延長に今があるって感じです」。
創作のインスピレーション
これまでの展示会などは、ほとんどが依頼によるものだという。そのため創作は提案をくれたキュレーターと一緒にアイデアを練り込んでいくことも多いと語る。
「クールジャパン・水戸編(2012年)」で展示されている原発事故訴訟の会場のアイデアは、キュレーターが原発訴訟という本を貸してくれたのがきっかけ。「それを読んだらこんなに負けてんのか?ってなって」。知り合いの記者に記事を送ってもらって完成させた。水戸で開催されたこの展示会は、震災直後でもあり、水戸でも大きな影響があったことから原発を扱った作品を依頼されたと語った。
原さんは「高嶺さんにお願いする人ってよっぽど腰が据わっていないとできないですよ。結構チャレンジしますからね」と笑う。「僕の作品とかも分かっていて、一緒にやりたいということだと、彼らがほんとに欲しているものが何かっていうのが僕も分かっているので」。それもインスピレーションの一つと語った。
社会的テーマ作品への思い
全部の作品が社会問題をテーマとしているわけではないが、「自分でやり遂げたなっていう感触を得る時は、人の心にグッとを手を入れられたみたいな感じの時で、その時に初めて作品ができたという感じがするんです」。だから作品の完成は、「社会状況とリンクしたところの奥にあると思うんです。人と一緒に動いたみたいな感じがする時に初めて完成した!みたいな。だから、やっぱり毎回そこを目指すんですね」。
作品を見た人、経験した人の反応はさまざま。国で括ったり、世代で括ったりはできない、ボーダレスだ。
例えば、「秘密の拷問」では、特定秘密保護法と拷問のコンセプトという、一般の人からすればこの二つの非日常が、社会情勢によっては自分のところまで降りてくるという不安が誰しもあって、「でもあんまり見たくないという世界。その領域をあえて押している感じがするから、見た人は反応しにくいのではないかなって思いました」というのは原さんの意見だ。
でも、それをあえてもっと扱っていかなくてはいけないと思っているというのが2人の意見。高嶺さんは「明日の拷問ってタイトルをつけた時に、これで勝ちかなって思った。タイトルがひとり歩きしてくれるだろうとね」と笑った。
原さんは、高嶺さんのような作品を扱っていきたいと思う理由を、誰もがソーシャルメディアで軽く意見を発信しやすくなっている社会状況で「すごく重い話ができなくなってきている感じがして。アートは全般的にすごく重い人間の本質みたいなところに引き下げられるっていう、個人的な体験を持っていける場所だと思うので、ますます重要になると思うから」と語った。
カナダ、日本の学生に接して
高嶺さんは現在、秋田公立美術大学ビジュアルアーツの准教授として学生と向き合っている。印象として社会問題をアートに被せるような学生は「とても少ない」と言う。「そこら辺の教育が決定的に欠落していると思うんです」。
いい作家として表現するためには、「その土壌みたいなものが必要と思うんですよ。大学に入った時に持っているという学生は非常に少ない。入ってから自分探しみたいなことをするので、自分とは何かをテーマにしてグルグル回っているというのが大多数。それはちゃんとやった方がいい作業だと思うのでいいんですけど。それができてから外に目を向けるとかだったらいいかもしれないが、それがいつまでもできなくてフラフラしてるんだったらダメだと思う」と分析した。
バンクーバーで体験した学生との交流について、日本の学生とは「全然違いましたね」と笑った。質問はと聞かれて手を上げる生徒の数も違うし、「先生と生徒の距離が近いっていうことがあるのかなっていう感じです」。それは台湾での客員教授時代にも感じたという。「すごく(距離が)近くていいなと思いました。近いけれどもリスペクトがすごくあって、礼儀正しい、でもフレンドリー。いい体験で、とても気持ちのいい時間でした」と語った。
自身が直面している問題が今後の作品に与える影響
今後の活動を聞くと、「ほんとはね、(社会問題は)やりたくないんですよ」と笑った。原さんも、この発言にはびっくり。「人々の意見を変えなければ、そういう使命感みたいなものを原動力に本当はしたくない。だけど、ついつい自分が普段生きていて引っかかることとか、これ何とかならないかなみたいなことがいっぱいあるので、ついそれを作品に。それが一番本気で取り組めることなので、やってしまうんですよね」。かなり正直だ。
原さんは高嶺さんが変わるのではないかと期待しているという。その理由は子育て。現在4児の父親でもある高嶺さんが「子育ての要素がどういうふうに作品に入ってくるのかなってすごい興味があって」。原さん自身は今、親の介護に直面している。「それが自分のキュレーションにすごい影響を与えているから、やっぱり今直面している人生のある問題がどういうふうに作品に出てくるかは興味がありますよね。子育てをすることのクオリティはすごいと思うので」。老人介護は現在の問題、子育ては未来の問題へと繋がっている、そう語った。
高嶺さんにとって作品は、アーティストでありながら、常に一市民であり、コミュニティとの関わりから相互作用によって生かされていくもの。だからこそ作品の中に「体験する時間」を取り入れて作品を感じてもらう。
これからも日本で、世界で、社会問題を切り取ったアーティスト活動は重要な位置を占めるというのが2人の意見だった。
高嶺格さん
2013年から秋田公立美術大学・准教授。1991年京都市立芸術大学工芸科漆工専攻卒。2013年 DAAD(ドイツ学術交流会)招聘でベルリンに、2015年 國立台北藝術大学客員教授として台湾に、各1年間滞在する。国内外で作品展を開催。
原万希子さん
フリーキュレーター。バンクーバー市現代アジアアートギャラリーCentre Aのキュレーターを約6年間務めた後フリーに。現在は日本とカナダで活動。秋田公立美術大学とSFUとの国際交流にもかかわっている。
(取材 三島直美)
高嶺格のクールジャパン/2012年/水戸芸術館(写真提供:高嶺格さん)
ジャパンシンドローム・ベルリン編/2013年/京都市役所前(写真提供:高嶺格さん)