初日上映前の舞台挨拶を終えた石井隆監督(左)。トニー・レインズ氏と(Photo by Miyuki Nakamura)

 

『GONIN サーガ』の石井 隆 監督 ~世代を超えて蘇ったストーリー~

「ヤクザのオペラともいえる傑作を楽しんで下さい」と映画評論家のトニー・レインズ氏から紹介された『GONIN サーガ』。石井隆監督は77年『天使のはらわた 赤い眩暈』のデビュー以来、『死んでもいい』『ヌードの夜』『GONIN』などでトリノ、ロッテルダム、モントリオールなど数々の国際映画祭から招待を受け、最優秀監督賞や審査委員特別賞などを受賞している。終戦2年後に生まれた監督は「一人一人の命を大切にしよう」という教育で育った昭和男。だが阪神大震災、地下鉄サリン事件から、命そのものに対し鈍感になった時代を感じ始め、「無駄に死んでいく姿」を自分ならどうスクリーンの上で描けるかを、より考えるようになった。

  前作『GONIN』の続編は世界から期待されていたにもかかわらず、19年という月日が経った。監督は当初、佐藤浩市さんなどオリジナルの主演メンバーで香港へ行き、向こうのマフィアと戦うようなシナリオを用意していた。しかし時代の流れが変わり、企画が通らないまま5年、10年、15年と経過。「世間知らずなものですから」と自称する監督は「いつか企画が通る」と信じてシナリオだけは何本も抱えていた。最終的に角川映画からの打診で国内版で若手俳優起用となった。当初「いつでも出るから」と約束してくれていた根津甚八さんは健康状態が変わっても、また前回主演の佐藤浩市さんも友情出演として参加してくれた。

 監督によると前作の永島敏行さんや鶴見辰吾さん扮するヤクザたちは、トップでなく下のランクだった。管理職でないサラリーマンと同じように、失敗をすると首になる。共働きで父を「お父ちゃん」と呼ぶような家族の雰囲気や、前回と同様、強盗とヤクザのどちら側にも時代の犠牲者がいるということを描きたかったという。上映中、竹中直人さん演じるヒットマンが、死なない怖さで笑いを誘った。監督は真面目なシーンで笑いが起こったことで「どこかに消えたくなった」とコメントして観客を一層笑わせた。

海外で人気のヤクザ映画やロマンポルノ映画について

 世界の邦画ファンにとって『仁義なき戦い』など70、80年代流行したバイオレンス・アクション映画がなくなってきているのは非常に残念なことだ。最近はテレビ局が資本を出し、上映後のテレビ放送を念頭においているため、「子供に悪影響」などの理由で安心安全な企画しか通らない。またヤクザに取材しないと書けないシナリオのリサーチにおいても、利益を供給するという行為が法律で禁止されてからは不可能になっている。今回の脚本は監督自身が東映のヤクザ映画を観て育っているし、本でリサーチもした経験から書けた。しかし真の世界はもっと残忍なはずだと語った。

 監督はエロティックな表現についても、今の若い世代の監督の傾向を挙げた。関わることで色眼鏡で見られ、メジャーなオファーが来なくなるリスクを避ける、あるいはエロスやタナトスへの興味が失われているということだ。また女優だけでなく男優も、表現の幅を広げるためにトライしようと思っても、事務所サイドはコマーシャルの仕事が来なくなるという理由でそれを赦さない傾向にある。過去における日活ロマンポルノのスチール写真が肖像権などで使えなかったり、子供ができて、地域社会で迷惑を被るなどの理由で使用の承認を取り下げる女優もいる。しかし一番の理由は上映する映画館がなくなったことかもしれないと監督は続ける。最近は多くがシネコン(1施設内に複数のスクリーンがある映画館)になり、18歳未満を規制する映画が入りにくい、また入ると近所から反対の声も上がるそうだ。

 英語で挨拶し、大物監督としては珍しく、2回連続の映画上映を、最初から最後まで客席から鑑賞していた石井監督。当初4時間だった映画が2時間に短縮されたことからテンポが速すぎなかったか、字幕についていけたかとカナダの観客の反応を心配した。「どうも性格が悲観的なので…ごめんなさい」という監督に会場は暖かい拍手を送った。2回観ると、もっと監督の世界観に触れられるような作品。監督にまだまだ続けてほしいという観客の願いが十分に感じ取れるプレミア上映だった。

 

インタビュー時の石井監督

 

『100円の恋 (100yen Love)』の武 正晴 監督 ~助監督から監督になった経験豊富な「技術屋」監督~

映画『100円の恋』を観た人はこの映画が新人監督による作品らしくないと気がつく。それもそのはず、武監督はスタッフ、特に助監督歴がかなり長い方だ。「監督になって真面目になりました」と監督は照れる。初めは石井隆監督のような持続力や、森崎東監督や井筒和幸監督の底力を見て圧倒されたそうだ。それぞれ個性ある才能の塊のような監督たちが映画に向き合っている姿勢を見ていて、自分にできるかなと思った。しかし同時に監督たちが撮影している背中から、彼らの発するエネルギーを体感した。どんなに追い詰められても絶対に負けないで向かっていくという感じだ。助監督中はただ忙しいと思っていたが、監督になって責任も大きくなり、もっと勉強しなければと思い、映画も進んで観るようになった。サボっていたわけではないが、やる気も出た。そしてあの時の監督の思いがわかるという新たな発見もあった。

 去年作った映画『イン・ザ・ヒーロー』の中で、武監督は主演の唐沢寿明さんがトレーニングをしていく過程を見学したという。難しい課題を与えた時に俳優が無我夢中になっていく。できるだけ一緒にいて、その練習風景を見るのが演出につながるし、この普段の稽古がリハーサルでもあるそうだ。映画を観ると、話より出ている俳優の頑張った姿に感動できると監督は続ける。安藤サクラさんのようにシナリオを読んで女優が本気になると、ガソリンと火の関係になるそうだ。お芝居は俳優に任せるが、出てきたものをどこまで燃焼させたら良いか、どういう形で観客に届けるかなど「技術屋」としてそれを考えるのが一番楽しいという。また「上映会にたどり着くまでは辛い事の方が多い」ので上映会はいつも楽しみだそうだ。昨年の東京国際映画祭で日本映画スプラッシュ部門作品賞を受賞し、韓国・プチョンでは多くの大物監督を抑えてNETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞。ニューヨーク、フランクフルトを経て、まだ世界から招待が続く。今後も話題作品を作ってくれそうな監督である。

 

インタビュー時の武監督

 

『いさなとり (The Name of the Whale)』の藤川史人監督 ~広島へ行きたくなるような美しい作品~

大学時代から短編を制作し、自主映画の長編はこれが2作目という藤川監督は、今回初めての国際映画祭入りを果たした。『いさなとり』の制作にあたって個人的な時間も意識したという。映画の舞台となった広島県三次市出身で、自分の中学生時代を思い出しながら作った作品だ。主人公・ユウタの家は自分が実際に育った思い出の家でもある。主演の子役は全員演技経験のない地元の子供たちだったので、1週間ほど一緒に時間をすごしてから1カ月の撮影に入ったそうだ。

 広島出身の監督らしく広島を紹介したい思いが伝わるような半分ドキュメンタリー、半分フィクションという感じの描写が光る。監督はジャンルの境界線を引かずに、ストーリーが弱くなるかもしれないという覚悟で作った。しかし映画はお祭りなど、カナダの観客が楽しめる光景が入って自然に仕上がっている。特にくじらの風船は見逃せないシーンで、東京から人を呼んで2日がかりで撮影したそうだ。気になるくじらの化石だが「見つかったらいいな、でも見つからないだろう」と笑った。

 本作では新たな課題や発見があった。観客から確かな手応えもあり次に進めるとも思った。『いさなとり』はすでにぴあ映画祭で観客賞をとり、日本映画ペンクラブ賞も受賞している。バンクーバーの後、新たな感触を得た監督の次の作品に大きく期待したい。

 

インタビュー時の藤川監督(中央)と俳優たち

 

(取材 Jenna Park)

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