「1日が26時間あれば」が小松さんの望みだという

 

 

小松和子さんの実績から

講演は、日加商工会議所初代会長、現在会長代行であり、パシフィック・ウェスタン・ブリューイング社(PWB)社長である小松和子さんから参加者への質問「夢を持っている人はいますか?」で始まった。「プランができる夢は実現できます。プランできない夢はイリュージョン(幻想)です」。そう語りだしてまもなくのこと。参加者の緊張を感じとったのか、小松さんは首回しなどの柔軟体操を紹介し、参加者にリラックスを促した。

そして「どうしたら成功できるかとよく質問されますが、自分自身成功したとは思っていません」と述べたうえで、自己紹介としてこれまでの受賞歴を紹介。小松さんは地域への貢献が認められ1993年にカナダ連邦政府から、そして1998年のBC州からの勲章に加え、2003年にはエリザベス女王陛下即位50周年記念の勲章を受章。2006年にはバンクーバーメディアよりBC州で影響を与えてきた人物に贈られる賞を受賞している。政府機関や地域、ビジネス機関への貢献を示すものとして、ノーザン・ブリティッシュ・コロンビア大学(UNBC)の理事、UBCのアジア研究所の特別顧問、そして連邦政府チームカナダインク諮問委員会の委員、バンクーバーの港の運営機関の理事への就任履歴が紹介された。


PWB社買収の経緯

次に話は自身の経営するPWB社のことへ。かつて同社のビールの輸出を手がけていた小松さんに買収の話を持ちかけてきたのは同社の社員。すでに6回も倒産の危機を経験し、従業員は仕事を守ろうと必死だった。「運営の仕方によっては成功するかもしれない、なぜなら組合員や従業員が必死で会社を立て直そうとしているから」。そう判断して経営に乗り出した。カナダは労働組合の力が強い国だ。しかしながら同社の従業員は自ら給料を下げることすら申し出るほど、成功に向けて経営者と共に歩む姿勢を持っているという。

 

PWB社での実績と社会貢献

その従業員をリードして、1996年には世界に誇る高品質の証であるISO9001を日本のアサヒビール、キリンビールに先駆けて取得。日本の価格破壊が進んだ時代には、その対応策としてモルトの割合によって変わる酒税額に目をつけた。そしてモルトの少ない発泡酒を開発。日本市場に初めて登場した発泡酒はPWB社の製品だったのである。またカナダで最初にオーガニックと認定されたビールも同社の製品である。

しかしただひたすら企業の発展だけに邁進してきたのではない。同社の社会貢献として、2020年までの目標百万本の植林、川、海、湖の清掃活動、病院への寄付、大学、奨学金、「ホーム・タウン・ヒーロー」と命名した地域人材の支援に取り組んできた。

 

国際問題を自分のものと受け止めて

次に紹介された話は小松さんの視野の広さ、社会への主体的な姿勢を示すものだった。1980年半ば、日本製品がどんどん海外に輸出され、やがて輸出超過になると海外ではジャパン・バッシングが横行。テレビや新聞には、アメリカで怒りをもった人たちによって日本車や日本製品が焼かれる様子がたびたび報道された。

小松さん自身、カナダ人から日本批判を浴びせられることを経験。「第2次世界大戦時、日系カナダ人が収容所に隔離された事はこのようなことだったのか」と痛感したという。日本の行いは、外国にいる日系人にも大きく影響する。「民族の絆は切り難いとはこのことか」。小松さんは日本に対する非難の声をまるで自分のことのように感じたのだった。

「日本も輸入をもっとすべき」。そして「自分でもそのために何かできると思った」。向かったのは日本経済団体連合会。当時の中曽根首相からの紹介状を手にして訪れたが、まったく相手にされず、担当者間でたらい回しされ、業を煮やした。小松さんの実家の家訓は「親戚の名前を使うべからず」であったが、「国家のために」と、その禁を破ったところ、何とか38日後に道が開けて、経団連の要人との面会が実現した。そして日本は利己主義的に輸出のみを追求せずに、相手国の問題点や困難さを理解し、海外からの商品輸入も積極的に考慮して、共存共栄的な長期的展望や見解を持つことが急務であると説いたのである。1985年のことだ。

同じく日本商工会議所にも掛け合い、かろうじてカナダの企業カタログを商工会議所の各事務所に置かせてもらう契約にこぎつけた。日本自動車工業会、日本電気協会、日本貿易振興機構(ジェトロ)にも足を運んだ。その結果、その三団体が連携しあって、カナダ、アメリカで外国企業に対する「日本への輸出セミナー」を開催するに至った。会社を40日休み、日本の財界人に向き合った小松さんの勇気ある行動は、日本カナダ間の友好的な経済交流を深めることにつながったのである。

「一人ずつが考え、手を合わせていけば大きな動きにできるはずです」。小松さんは参加者に「わたしでも何かできる」の思いで現在の中国や韓国と日本との関係など国際問題にも目を向け、主体的な行動をと呼びかけた。

 

「政府任せにせず、問題に関心を持ち、実状を分析し、解決策を」と小松和子さん

 

 

成功するためには

講演後半では、参加者とのやり取りを交えながら、小松さんの捉える「成功」に結びつくポイントが語られた。顧客に価値あるものをもたらすこと、常に自分を向上させるためにできることは何かと自らに問うて取り組んでいくことの重要性を語り、「人間の器を大きく」すると題した話の中では、「何事も人のせいにせず、まず自分が変わるべき」と説いた。また「人は他の人のことを軽んじるところがありますが、誠実な心で尊敬の念を持つことが大切です」と述べ、そうした姿勢により、人間の器が大きくなることが、そこに注ぎ込まれる物事の大きさにつながることを示唆した。また、成功への道のりは決して平坦ではないが、望まない状況に直面しても、決してあきらめず継続していくこと。自分があきらめたら終わりです」。

「《継続は力なり》と日本語の標語がありますが、継続するには肉体的、特に精神的な力が必要です。その継続を努力して長期間続けた結果、実際に肉体的、精神的にも力がついてきます。私が継続をなしえた秘訣は、『三日坊主』の反対の方法です。例えば、毎日のエクササイズに疲れて三日坊主になり、三日休んでも、その後必ず四日目にはまた始める、を繰り返して継続を実行してきたのです」と自らの方法を紹介すると、多くの参加者がうなずいた。

若い人たちにぜひ知ってもらいたいという強い思いが伝わってくる小松さんの語りの中で次の言葉が記者には特に印象的だった。

「誰かから頼られる人になったとき、あなたは人の財産なんですよ」。

「お金がなくても地位がなくても、会う人とつながることができるものは何なのか考えてください」。

参加者との質疑応答も交えながらの2時間。語られた言葉は特別なことではなかったかもしれない。しかし、聴く人に響く力の大きさは格別だったことを講演後の参加者の興奮気味の様子が伝えていた。

 

熱心に講演のメモを取る参加者

 

(取材 平野香利)

 

 

日加商工会議所青年部準会員募集開始


日加商工会理事サミー高橋さんに聞く

日加商工会の青年部発足の動機は「若いエネルギーを会にもたらして会を活発にさせることです」。また、当地にいる若い人たちへの次のような願いも込められている。「地域社会のためのボランティア活動に主体的に参加して、自分が今、カナダのバンクーバーで生きていることの証を残しましょうと。それは小松さんが講演でおっしゃっていたように、社会で起きていることを国任せにするのでなく、個人として、地球人として何ができるかを考えるいい機会を提供してくれると思います」。

 

日加商工会議所理事のサミー高橋さん

 

青年部の活動参加には商工会準会員への登録が必要。そのために必要な資格は特になく、1年未満の短期滞在者も可。「日本人同士だけでなく、地元の人たちと交流しながらの活動に」という意図のもと、現在の活動計画では4〜6月に月1回程度、バンクーバーの公園、ビーチでのゴミ拾いを予定。「メンバーが話し合ってTシャツを作り、それを着て、英語を話しながら行おうと考えています」と高橋さん。その他の行事では、商工会会長代行の小松さんから準会員への特典として、ソチオリンピックメダリストやVIP陣を迎えてのPWB主催のイベントに抽選で招待、小松さんの自宅でのガーデンパーティへの自由参加なども予定されているという。入会金は20ドル。入会希望者はThis email address is being protected from spambots. You need JavaScript enabled to view it.へ連絡を。

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。