2020年1月30日 第5号

プロのダンサーという職業が確立されていない日本。北米やヨーロッパにダンスの訓練やオーディションを受けて団員になるためにやってくる若者は後を絶たない。ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市にあるサイモンフレーザー大学(SFU)の大学院に留学中でダンスの経歴を持つ山田知世さん。彼女がダンスの道を選んだ経緯や、大学院での活動、これからについて話を聞いた。

 

山田知世さん (©Lula-Belle Jedynak)

 

ダンスの経歴は?

 私は神戸で生まれ、父の仕事の関係で幼少期を東京、そしてアメリカのオハイオ州で過ごしました。帰国後は愛知県の岡崎市にある光ヶ丘女子高等学校のダンス部に所属し、モダンダンスに没頭しました。ダンス自体は幼い頃からバレエ、タップとジャズを習っておりましたが、まさかそれを仕事にしたいだなんて思ったことは一度もありませんでした。というよりは、「自分にそんなことができる訳ない」という思い込みの方が強かったと思います。

 意識が大きく変わったのは、武庫川女子大学時代の恩師である村越直子先生との出会いです。先生はトロントを拠点に活動するToronto Dance Theatreのカンパニーメンバーとして長く踊られており、日本人とは一風変わった独特な感性を持っていました。その感性と表現力に物凄い魅力を感じ、帰国後なんとなく日本での居場所が見つからなかった私にとって先生は特別な存在でした。大学時代は、その先生の元で部活動を中心に踊り続け、4年生の時にはニューヨークで自分の作品を披露する機会もいただきました。これも、先生のおかげです。感謝してもしきれません。

 日本で就職活動も行なっていたのですが、なんとなく北米に戻りたい、という気持ちとまだまだ踊りたい、という思いが捨てきれず、これまた村越先生の助言でバンクーバーの大学院へ進学することになりました。

あなたにとってダンスとはどのようなものですか?

 実は、周りのダンサーがよく言うように「ダンスが大好き!!!」と思ったことは数える程しかありません。物心ついたときから踊っていたので、ダンスをしている生活が当たり前でした。しかし、自分にとってダンスのない生活は考えられません。

 小学校高学年で日本に帰国し、アメリカとの文化の違いにもがき続けていた学生時代を救ってくれたのは間違いなくダンスでした。踊っているときだけは、周囲の視線を気にすることなく自分の世界観に浸ることができたからです。 振付を始めたのも高校時代でした。イチから自分の描く世界を創り上げ、それを周りの人と共有・具現化し、作品として人に観てもらうことに快感を覚えました。

 高校時代から数えると、結構な数の作品を振付しました。賞を頂いたり、海外で公演させてもらった作品もあれば、自分でも忘れてしまいたいと思う程未熟な作品もあります。振り返ってみると、どの作品も当時の自己を反映していて、すべて自分にとって必要なプロセスだったんだな、と今になって理解できます。

SFUでは何を学ばれていますか?

 SFUの大学院で専攻しているのは、実はダンスではありません。自分の専門分野のプロとして、他にどのような芸術分野とのコラボレーションができるのかを探求する学科。私の場合は、自分の専門分野のコンテンポラリーダンスを軸にした、Interdisciplinary Arts:(異なった分野相互間の)協同の芸術を学んでいます。周りのアーティストもそれぞれ音楽なり絵なり舞台、彫刻などの専門分野から集まっていて、簡単に言えば異分野の芸術家と共にコラボレーションして新たな芸術の可能性を探っていくプログラムです。今は学校でそのような刺激的な日々を送りつつ、ダンサー・振付家としてカナダで活動しています。

 日本ではだいたい大学を卒業してそのまま院生になっている方が多いイメージがありますが、北米では皆さん経験を積んで、さらに勉強したい!と思って学校に戻る人がほとんどです。ですので、クラスのほとんどが私より年上で人生経験もアーティスト経験も豊富な先輩方ばかり。

 はじめは授業のレベルの高さについていくのが精一杯でした。加えて、皆さん専門分野が違うのでダンスの常識や用語が他のジャンルのアーティストには伝わらないこともしばしば。帰国子女といえ、幼少期に使っていた日常英語では、到底このようなレベルの高いクラスについていくことができず、1年目は挫折と自己嫌悪の毎日でした。それでも、留学してよかったと心から思えます。

 バンクーバーに住み、様々な人や文化、そして価値観を間近で感じることのできるこの環境は、間違いなく自分の世界観を広げてくれています。人生で経験すること全てが作品に通ずる、という信念で今後も色々な経験をしてアーティスト活動に生かしたいと思います。

ダンサー/振付家としてのチャレンジ、やりがいなどについて。

 ダンサーとしてのやりがいはやはり、世界を常識とは異なる視点から見つめて自分で理解したことを消化し、体現する機会をもらえることだと思います。

 振付家も同じです。表現の場というのはネットなり絵なり文字なり、至る所に広がっていてそれぞれにおいてユニークだと思いますが、ダンスで特徴的なのは自分の身体そのものが表現媒体となること。自分で見て、感じたことをそのまま身体で表すことができるのがダンスの1番のやりがいであり、同時に最大のチャレンジなのではないでしょうか。

 「体は嘘はつかない」とよくダンサーは言いますが、その通りだと思います。生身の体で踊ることによって、アーティストのリアルな世界観を共有できることが何よりの喜びです。

2020年の冬の大学院卒業後の活動の予定や、これからの抱負は?

 卒業後は、今まで以上に作品制作に専念して自分の世界観をより多くの方達と共有したいと思っています。理想としては日本と北米を行き来しつつ、両地域のダンスのコミュニティを繋げられるようなアーティストになること。

 実は、今も年に1回は京都で行われている国際ダンスフェスティバルの為に帰国しています。主催者の方々との有難いご縁で、ワークショップの通訳という形で参加させてもらっています。私は大学を卒業して割とすぐに日本を出てしまったので、大学院を卒業後は自分のルーツである日本をもっと知り、そしてより多くの機会を通じてアーティストとして成長していきたいです。

2月11日(火)の知世さんの制作した作品のバンクーバーでのダンス公演について教えて下さい。

 2月11日にダウンタウンにあるScotiabank Dance Centreにてyane uraという作品を発表します。この作品で私は踊らずに振付家として制作に専念し、代わりに3人のダンサーが世界観を具現化してくれています。昨年5月に大学院のプログラムの一環であるMFA Spring Showのために制作し、今回が2回目のパフォーマンスとなります。

 yane uraはダウンタウンのイーストサイドで放置された家具や、捨てられている古びた家電製品からインスピレーションをもらっています。私は以前の持ち主のエネルギーがモノにまとっている気がしてアンティークや古着を使うのが苦手です。エネルギーといっても、ポジティブなものからネガティブなものまでいろいろあると思いますが、「誰かの祖父母の家の屋根裏部屋」をメインイメージとし、モノに眠る感情や思い出、そして歴史を表現した作品です。

 私以外の4人のアーティストの方の作品も同時に上演されます。よろしければ、下記リンクにてチケット情報等の詳細をご覧ください。 https://thedancecentre.ca/event/open-stage-edition-1/

 カナダと日本でダンス制作、また自らダンサーとして活躍する知世さんのこれからが楽しみである。

(取材 北風かんな)

 

2019年にDancing on the Edge で発表した Emergency! (©Kirk Chantraine)

 

2016年にニューヨークで発表した作品 shimai

 

2015年にニューヨークで発表した作品 kikoeteimasuka(©Jessica Schmitt)

 

2020年2月11日に発表する作品 yane ura (© Lula-Belle Jedynak)

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。