最近、震災のことが風化して来たような感じがして・・・
自分に何ができるか・・・
「大震災を経験し、30歳を目前にした自分にこれからの社会で、何ができるか」その答えを求めてカナダへやって来た。ワーキングホリデーの最後のチャンスでもあり、去年4月に来た。仕事を得たのが「Tojo’sレストラン」。やるからにはカナダ一番の“皿洗い”になってやろう、という思いでやっていた。その終盤にさしかかり、答えが見つからない。焦りを感じる中、“ワーホリ記念”にもと、思いついたのが「自転車でのカナダ横断の旅」だった。
中内さんの日ごろの気骨を黙ってみていた東條社長。彼ならやり遂げるだろうと、この計画にサポートを申し出た。しかも、「Yoshi Rolls for Japan」というキャンペーンテーマをもうけ、シンボル・デザイン化。多くの強力な支援者が集まった。何より旅の途中、注目も集まり、カナダの人々に「震災支援の“ありがとう”」のメッセージを伝えやすかったという。
「桜ライン311プロジェクト」への支援、さらに、感動のプランが・・・
岩手県陸前高田市の津波到達地点ライン約170kmに桜の木を10mおきに植えようという「桜ライン311プロジェクト」が現地で発足している。これに、今回の支援者の寄付などの義援金50,000ドルを、また、旅の途中で応援してくれた人々の募金すべてが寄付される。そのマネージメントは「BMCファイナンシャル・グループ」が引き受けてくれた。
さらに、その桜の木付近に「カエデの苗木も植えてはどうだろう」というプランも持ち上がった。カナダとの架け橋がダイレクトに伝わる計画ではないか。カナダ在住の人に日本の東北地方をより身近に感じさせ、観光などの交流もより深まるだろう。
こうした熱い支援計画が、今また始まった。中内さんが蒔いた種が芽吹き始めた。輪が広がり始めた。「震災についての風化」を着実にとどめようとしている。
NEXTへの志が、ふつふつと。
カナダ東海岸セントジョーンズを出発し、バンクーバーまでの12,500kmの自転車旅は、想像を超えた苦難の旅だったに違いない。出会った多くの人々が驚き賞賛した。各地でのマスコミ取材なども多く、一番驚いたのはほかでもなく、本人であった。東日本大震災の被災地の現状を説明した。多くの見知らぬ人とも絆を深めることができた。
旅を終えた今、達成感の喜びよりも、「自分もやればできるんだ、という小さな自信のようなものを感じる」という。これをスプリングボードにして、「あの瓦礫の山からの復興に寄与できる人間になりたい」という明確な思いを感じるという。
日本の戦後の焼け野が原から復興を成し遂げた先達ように、今度は彼らが東日本大震災の瓦礫の山からの復興の立役者になるのではないだろうか。
(取材 笹川守)