『朝日軍』のコミック連載
原秀則氏のコミック連載『バンクーバー朝日軍』は、朝日軍の活躍を元にしたフィクション『バンクーバー朝日軍』(テッド・Y・フルモト著)を原作に作られたセミドキュメンタリー漫画。
5月にベテラン漫画家の原秀則氏ら小学館カナダ取材班が当地を訪れ、実際にパウエル球場があったオッペンハイマー公園や旧日本人街を歩いてまわった(弊紙5月31日号掲載)。作品にはこのとき収集した1910年代の写真や資料、現在もバンクーバー界隈に残る古い建物などが原氏の巧みなタッチで描かれている。
早くも好評連載中で、年末年始には単行本1集も刊行予定だ。
初代監督・宮崎松次郎
連載開始号の『ビッグコミックスペリオール』誌の表紙デザインを飾った朝日軍のモノクロ写真。これを見て驚いたのが、日本に住む朝日軍の子孫たちだった。「甥っこから“おじいちゃんの写真が出てる”と連絡をもらい、表紙を見たときはびっくりしました」と滋賀県在住の宮崎八重子さん(79)。八重子さんは朝日軍初代監督、宮崎松次郎の長女でカナダ生まれの日系2世。
宮崎松次郎(漫画では松治郎)は“馬車松”と呼ばれるほどの行動力と野球に詳しいことから、日系人の子どもを集めて野球チームを作ろうという話が出たとき抜擢された初代監督。資料を見る限りでは厳しい指導、普段は無口な明治の男、といったイメージがあるが「パパはうちではやさしかったですよ。朝日軍が優勝したらご馳走を食べに連れて行ってくれました。競馬場に通っていたことも覚えています」
日本では、テレビの野球中継を真剣に見ていたという。
パウエル街の思い出
八重子さんの母親は写真結婚でカナダに渡り、松次郎と結婚。宮崎一家は329パウエル通りに住み、松次郎が野球で忙しくなると、母親が雑貨・洋装店を切り盛りした。「朝日軍のユニフォームを売っていたので、母は夜なべして縫っていました。内助の功ですね」
八重子さんは仏教会の幼稚園からストラスコーナの小学校へあがり、放課後はバンクーバー日本語学校へ通った。9歳のとき第二次世界大戦が始まると、一家は強制移動で内陸のレモンクリークに移り、4年後日本への強制帰国を選択。戦後の混乱時、再びカナダへ戻ることは容易ではなかった。
松次郎は故郷、滋賀県彦根市に戻り百姓をして暮らし、86歳で永眠した。
2000年に『二世ツアー』に夫の考忠さんと参加した八重子さんは、今は牧地になっているレモンクリーク、ニューデンバー、ナカツク、サンドン、グリーンウッド、タシメなどの収容所跡を回り、カムループスで現地に住む日系人と交流した。
夫と娘、孫娘を伴った今回の旅行では思い出のパウエル街を歩き「前川魚肉店で、まぐろの造りを25セントで買ったことを思い出しました」と懐かしげに話す。
記者の案内で訪れた日系博物館では、BC州野球殿堂から預かっていた松次郎のメダルを確認し、同館企画担当の萩原にこらさんよりメダルを手渡され、感無量の笑顔を見せた。
(取材 ルイーズ阿久沢)