2019年10月3日 第40号

 9月22日、ブリティッシュ・コロンビア州のバンクーバー市内にある日系聖十字キリスト教会礼拝堂にて、「被爆体験伝承者/ヒロシマの記憶を受け継ぐプロフェッショナルによるお話し会」が開かれた。語り継ぎをしたのは、被爆体験伝承者(広島市により認定を受けた、被爆体験や平和への思いを受け継ぎ、それを伝える人材。認定を受けるには、3年間の研修と最終テストの合格が必要)の熊谷操さん。被爆体験の生の声を受け継ぐ熊谷さんの話に、約30人の聴衆が聴き入った。

 

被爆体験伝承者の熊谷操さん(写真右)、 語り継ぎの企画者(自力整体バンクーバー指導員)の松村敦子さん(写真左)

 

 今回の話は、当時中学1年生だった笠岡貞江さんの体験談を伝承したもの。笠岡さんは、爆心地から約3・5㎞の江波の自宅で被爆した。「ピカッと光って、みんなやられた」8月6日午前8時15分、窓ガラスが目も眩む程光ったかと思うと、吹き飛ばされ、そのまま気を失った。目が覚めると、割れたガラスが頭に刺さり血が流れている。何が起きたか分からなかったが、とにかく逃げようと思った。しかし、逃げる場所なんてどこにもない。傾いた家に、崩落した壁。外に出て目にしたものは、悲惨な光景だった。

 笠岡さんは原爆により両親を亡くした。また、その後結ばれた夫も、放射能による後遺症でこの世を去った。35歳という若さであった。3000度から4000度にも達する灼熱の火球は、無差別な大量破壊と殺戮を引き起こした。「アメリカが憎い」笠岡さんがそう考えるのも無理はない。しかし、マルセル・ジュノー博士という、被爆者の為に救護活動をした外国人の存在を知ってから気持ちに変化が生じ始める。「アメリカが憎い」から「原爆が憎い」そして、「同じ苦しい思いをしてほしくない」と考えるようになった。笠岡さんの心は、悔しさや憎しみの気持ちから、平和を願う気持ちへと変わっていった。

 笠岡さんになりきって話をした熊谷さん。「一人一人の力は小さい。でも、何もできないわけではない。平和の為にできることを探してほしい」というメッセージで結んだ。被爆体験伝承者として語り継ぎを行うことが、彼女にとって「できること」の一つである。参加者は「原爆の恐ろしさを改めて感じ、二度と起きてはいけないことだと思った」(日本人女性)、「バンクーバーで被爆体験が聞けるなんて思わなかった。貴重な機会だった」(日本人女性)、「英語で伝えることができたら、さらに多くの人がこの話を知ることができると思う」(カナダ人男性)などと感想を語った。平和は人類の普遍のテーマだ。個々人が平和への意識を持ち、「できること」を実行する必要がある。二度と同じ過ちを繰り返さないために。

(取材 Koki Mizuta)

 

語り継ぎをする熊谷操さん

 

被爆体験伝承者の熊谷操さん

 

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