教育支援活動としてのイベント
この上映会を主催したバンクーバー日本語学校並びに日系人会館では、昨年3月11日の大震災後、東日本大震災教育支援委員会を発足させた。活動内容には、施設内での募金箱の常設、各種イベントでの募金箱の設置、毎月催すホットドッグセール、児童たちが歩いた距離に応じて金額が加算されていくウォークソンなどがある。
昨年12月には、ハート・オブ・ゴールド理事有森裕子氏と日本警察消防スポーツ連盟カナダ支部小川学氏の紹介で、児童を含め多くの犠牲者が体育館で発見された宮城県東松島市立野蒜(のびる)小学校を支援校に決定した。
そして、この1年行った委員会活動の区切りとして『3.11 ここに生きる』チャリティー上映会を企画し、在バンクーバー日本国総領事館と国際交流基金の後援も得て、実現の運びとなった。
女性たちの底力の記録
我謝氏は、震災後4回にわたり岩手、宮城、福島の3県に足を運び、10代から80代まで、50人に及ぶ女性たちと話を交わした。そのなかから10人に焦点をあて、90分の『3.11 ここに生きる』をまとめた。
プールの水質検査や検尿などの会社経営をしていた福島県の女性は、震災後、銀行から資金を借り、水や土の放射能測定を行っている。子供の健康が気になって始めたという。
広島の原爆で母親を亡くした女性は、自身が学長を務める女子校に震災遺児を受け入れようとしている。震災で家族を亡くした若い女性たちと、かつての自分の気持ちが重なるからだ。
余震の揺れが大きくなると料理する火を止めながらも、「まけない」と家族のために味噌汁を作り自然災害に打ち勝とうとする女性。
更地のようになった曽祖母の家の跡に立ち、多数の犠牲者・行方不明者が出た現実を見つめ、人の役に立ちたいと話す10代の女性。
登場する女性たちを通して、助け合うことがとても重要なことと印象づけられる。
9.11での被災からの経験
我謝氏は、現在、ニューヨークを拠点に、ロイター社のプロデューサー・レポーターとして活躍している。
2001年、母子単身で渡米した直後の9月11日にテロ攻撃で被災した。その時の経験や、1995年の阪神淡路大震災後、神戸で被災女性たちを取材したことも、震災復興を映像として伝えたいという望みにつながった。
映画監督としての1作目は、ニューヨークで生きる道を選んだ女性の生き方を収めた『母の道、娘の選択』。そして、2作目となる『3.11 ここに生きる』は、2011年東京国際女性映画祭や2012年台湾女性影展などで注目を集め、この4月にはソウルでも上映される。
我謝氏はこう語る。
「困難のなかにありながらも女性の行動はとても具体的です。また、一方的に支援を受けるより、自分も何か役に立ちたいと実践に移し、マイナスの経験を、プラスにすることもあります」
我謝氏は、『3.11 ここに生きる』の女性たちを今後10年間撮り続けていくという。
風化しない支援
上映終了後、在バンクーバー日本国総領事館領事の磯野哲也氏は、この1年間に総領事館に寄せられた多くの義捐金等の支援への感謝を述べた。また、世界からのさまざまな援助が被災地での復興に役立っており、今後も継続的な支援が必要なことを会場に呼びかけた。
12歳の娘とともに来場したインド系カナダ人のプルニマ・ヤダブさんは、「女性はとても強いと感動しました。家族を思う女性の気持ちは世界共通です。これからも、女性からのメッセージがもっと世界に発信されていけばよいと思います」と感想を語った。
この日会場では、JaVan Gospel Choirによる歌の披露のほか、Tシャツや被災者による手作りタオル「まけないぞう」などの震災支援商品の販売があった。とくに、「まけないぞう」については映画のなかでも紹介されており、用意された50を完売した。
この催しの入場料や募金は全て、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館でこれまでに集まった支援金と合わせ、野蒜小学校に送られる。
<被災地支援 まけないぞうの応援団>
http://makenaizone.jp/
(取材 高橋百合)