2018年8月9日 第32号

日系人の遺産を後世に引き継ぐ記念表示プロジェクト「日系人強制収容75周年記念表示プロジェクト」。第6回の除幕式がグリーンウッドで7月29日に行われた。

1942年4月から始まったカナダ政府による日系人強制移動。その最初の強制移動地がグリーンウッド。

この日のために各地からこの地に縁のある人々が集まった。式典参加者は約150人。ブリティッシュ・コロンビア(BC)州政府から子供家族開発省カトリーン・コンロイ大臣(新民主党)、グリーンウッドからはエド・スミス市長が出席、この地区のバウンダリー-シルカミーン選挙区自由党議員代理としてエベレット・ベイカーさんが出席した。

式典は山彦太鼓(ケロウナ)の和太鼓演奏で始まり、除幕式、式典、レセプションと終始和やかでフレンドリーな雰囲気が猛暑が襲ったグリーンウッドを包んでいた。

 

表示板の前で恒例の記念撮影。後列:左から、ウエダさん、カワモト-リードさん、スミス市長、コンロイ大臣、テラダさん、ヤマムラさん、ウエヤマさん、ベーカーさん、サイモトさん、エランさん、シモクラさん、カジワラさん、前列:イワアサさん

 

日系人を最初に受け入れた町「グリーンウッド」

 1942年4月に日系人がBC州沿岸100マイル(160キロ)以東への移動を強制された時、最初に日系人を受け入れたのがグリーンウッドだった。しかも強制収容所という形ではなかったという。

 グリーンウッドはBC州内陸部南部のアメリカ国境に近い小さな町。バンクーバーから車で約6時間のところにある。

 カナダ政府強制収容政策時代に、ここで家族と共に暮らしていた今回のプロジェクト委員の一人チャック・タサカさんは、「ここは強制収容所という感じではなかった。どちらかというとコミュニティだった」と振り返る。

 当時この町の人口は約200人。そんな中、フランシスコ会修道女、修道士、合同教会女性宣教協会などの助けがあり、強制移動させられる日系人の受け入れを決めた。一度は銅の採掘所として栄えた町も人口が減り、移住者が必要だったという背景もあった。

 強制収容ではなかったにしても、バンクーバーから強制移動させられた事実に変わりはなくバンクーバーでのような暮らしではなかったが、町の人々といい関係を築きながら一緒にコミュニティを築いていったという。

 タサカさんは、1949年4月に強制移動政策が解除された時、グリーンウッドは日系人たちをこの町に引き留めるよう努力したと説明した。そのため、今でもこの町に留まっている日系人は多い。

 スミス市長によると現在人口の約10パーセントにあたる約70人が日系人だという。今でも日本は身近な存在で、約10年前に行った交換留学で訪れた日本人学生たちと今でも交流があると市長はうれしそうに笑った。

 今回の式典では、グリーンウッドの他に周辺のグランドフォークス、クリスティナレイク(両自立地区)、ミッドウェイの3カ所(約500人)も含まれている。

 グランドフォークスで日系人の世話をしたエスマツ・ナカタニさんの娘ルース・コールズ(旧姓ナカタニ)さんは、「彼の娘として、この式典に出席できるなんてすごく光栄」と語った。当時を振り返り強制移動させられた日系人が農場で苦労していた思い出を語った。

 チャックさんは今回の除幕式が実現して「たくさんの人が来てくれてすごくうれしい」と式典の成功を喜んだ。多くの日系人が町を去ったが、残った人もいる。「そうした人たちが顔を合わせる機会ができた。みんな『懐かしい』と思ってくれる。50年以上会ってない人たちもいたから」とうれしそうに語った。

 

二度とこのようなことがどのコミュニティにも起こらないように

 カナダ政府による日系人強制移動政策は、人種差別を発端とする政府による国民への人権侵害であり、このようなことが二度と誰にも起こらないようにとの思いでプロジェクトを続けている、と日系人強制収容75周年記念表示プロジェクト実行委員会委員長のローラ・サイモトさんは語る。

 このプロジェクトが大きな意味を持つのは、「この表示が半永久的に人々の目に留まり、日系人の遺産が人々に何か教訓をもたらしてくれる可能性があるから」。

 自身の両親家族が強制収容された経験を持つサイモトさんは、このプロジェクトに強い思い入れがある。今回で式典は6回目。それでも毎回あいさつするたびに涙があふれそうになると笑う。

 「こうして改めて日系の人々の生活を振り返る機会があるたびに、感謝の気持ちでいっぱいになるんです」。何も非がないにもかかわらず強制収容という想像もつかない厳しい状況に置かれ、それでも文句も言わず、家族のために最善を尽くしていた日系の人々のことを思うと、と少し涙ぐんだ。

 そうした人々の努力の恩恵を最も受けているのは私たちとサイモトさん。「あの頃苦労した人々の努力があってこそ、こうして私たちが幸せな生活が送れている。しかし、こういう幸せな生活が当たり前ではない時代があった。そして苦労した人々を称え、教訓として多くの人々と共有できる機会が持てることはすごく光栄なこと」と語った。

 式典に出席したコンロイ大臣は、「個人的に今回の式典に出席できてすごくうれしい」と笑顔を見せた。「こうした機会は日系人の功績を称えるいい機会ですから」と言う。「日系人の遺産、必ずしも幸せな遺産という訳ではないですが、彼らの功績は後世にまで語り継がれるべきだと思います」と語った。

 コンロイ大臣のクートニー・ウエスト選挙区には、ニューデンバー、スローカン、カスローと6月に式典が行われた強制収容所があった。日系人コミュニティといい関係を築いてきたコンロイ大臣にとって、6月の式典に参加できなかったため、今回出席で来て「少しジ〜ンときています」と笑った。

 

日系人強制収容75周年記念表示プロジェクト

 昨年、日系人強制収容から75周年を迎えたことを機に始まったプロジェクト。強制収容の事実を伝える記念表示を元収容所6カ所とロードキャンプ3カ所に設置する。

 式典は8カ所で行われ、昨年10月27日のタシメ(現サンシャインバレー)が第1回。第2回は今年5月11日、リルエット地区の自立収容所、第3回は6月15日に3カ所、スローカン広域地区・ニューデンバー・カスローで行われた。今回が第6回。あと2回は元ロードキャンプで今年9月7日にホープ・プリンストン、9月28日にレベルストーク・シカモスで行われる。

 サイモトさんは第6回が無事に終わりフゥ〜と一息ついて、「すごくうれしい」と笑顔を見せた。「すごく大きなプロジェクトだから」と振り返る。

 きっかけは2016年に当時のBC州自由党政権による日系人歴史遺産登録事業だった。そこから記念表示板設置プロジェクトへと発展させ、政権が新民主党(NDP)に交代してもプロジェクトは引き継がれ、今年9月にようやく一応の完結を見る。

 同プロジェクトは、表示板と設置費用は州政府運輸・インフラ省が負担、式典は日系コミュニティが担っている。

 プロジェクトが終了した後も日系人の軌跡を教訓として生かすため、さまざまな取り組みを予定している。今回の表示板をヘリテージBCサイト(http//heritagebc.ca/japanese­-canadian-map/)に掲載し全ての人がアクセスできるようにしたり、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館周辺の旧日系人街のツアーをしたり、まだまだできることはたくさんあるという。

 サイモトさんは、今回多くの日系コミュニティや団体・機関が協力して実現したプロジェクトを通して、「築いてきた連携がようやく実を結び始めました。これからはうまく協力して継続していく段階に入りそうです」と語った。

 

プロジェクトに関する問い合わせ  ローラ・サイモトさん
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〜Special Thanks to Ms. Lurana Tasaka, Ms. Tomoko Shimamichi, Mr. Patrick Li, Ms. Yoshiko Shimizu, Mrs. Mikurube and Mr. Chuck Tasaka for making this trip to Greenwood possible.

 

次回イベント 「ホープ・プリンストン・ロードキャンプ & タシメ・ミュージアム拡張披露」
日時:9月7日(金)午前11時
場所:Chain up pull-out on Hwy 3 10km East of Hope

(取材 三島直美)

 

 

レセプションであいさつするチャック・タサカさん。グリーンウッドで育ち、グリーンウッド日系レガシー公園設立に尽力した

 

式典の様子。BC州を猛暑が襲った最高気温39度の中での式典となった

 

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