物語は、核兵器の脅威に晒される少年少女の恐怖と希望が時空を超えて描かれている。現在に生きるカナダの少年バディはある日核戦争の恐怖に取りつかれる。彼の中で自分たちの力ではどうにもならないという無力感を引き起こしているのは、1945年広島に原子爆弾が投下されたという事実。さらに、1955年に原爆症が原因で12歳という若さで命を落とした佐々木禎子さんの実話が、恐怖心に追い打ちをかける。しかし、そんな恐怖心に打ち勝つ勇気を与えてくれたのもまた禎子さんだった。病気の回復を祈って折り続ける千羽鶴。希望を持ち続けることの大切さを少年は学ぶ。核を取り巻き交錯する現代と過去を子供の視線を通して描いている。

「千羽鶴」の原作はバンクーバー在住の劇作家コーリン・トーマスさん。原作は1983年グリーン・サム・シアターによるバーナビー公演で初演を迎え、国内外で上演された。文化座では吉原豊司さんによる翻訳で1985年に初演。4年間上演した後、2009年に再開し、以来上演回数は200回を超えている。

バンクーバー生まれの「千羽鶴」は、文化座により日本で一回りも、二回りも、大きくなって生まれ故郷に凱旋。今回のバンクーバー公演に対するスタッフの思いもさまざまだ。

公演前、演出の磯村純さんは、世界情勢が変わっている中で、どうすればこの作品を最もいい形で時代を映せられるかを考えて演出しているという。今回の上演はすべて日本語。英語は字幕画面を使用。「日本の現状をふまえて原作をアレンジしていることと、日本語でカナダ人を演じていることがカナダの人々にどう映るのか、期待半分、不安半分です」と笑った。結果は満場の拍手に表されていただろう。

初演上演後、舞台あいさつに立った同劇団代表の佐々木愛さんは、「千羽鶴」を文化座で上演しようと思ったきっかけを30年前に広島を訪れたことだと紹介した。6年前にバンクーバーを訪れ、平和運動に携わる人々に刺激を受け、それが2009年の再演につながったとも。「こういうメッセージ性のあるものは、自分たちが強い意志を持たないと続けられない。今回の公演で出演者たちはこのお芝居をやることの意義を確信したと思う」と語った。また読者へのメッセージとして、バンクーバー公演を見た人に「ぜひ文化座のホームページから感想を寄せてほしい」と語った。それがまた次の世代への力となる、そう確信しているようだった。

吉原さんは、原作を初めて読んだ時、「この作品をコーリン・トーマスさんが書いたという事実にショックを受けました。日本人には書けなかった」そう思ったという。時代背景的にもまだ日本人が大きく核問題を取り上げる準備ができていなかったこともあった。「日本人ももっとがんばれ。この問題で外国人に先を抜かれちゃったじゃないか。それがこの物語を翻訳した動機の一つでした」と語った。それから約30年が過ぎ、文化座の「千羽鶴」はバンクーバーで初上演を果たした。「次の願いはね」と吉原さん。「日本のパートを日本人で、カナダのパートをカナダ人で、そういう舞台を作れたらいいと思いますね」と微笑んだ。

舞台では佐々木禎子さんの実話部分はすべて広島弁。その言葉の響きが、当時の広島をリアルに連想させる。一方、カナダの場面は、時代背景を反映させ、原作や文化座の初演当時よりも現代的にアレンジされている。そのあたりが見ているものに現実感を持って迫ってくる。
原作が上演された時代は、冷戦真っ只中で、世界中で反核運動が巻き起こっていた。それから30年経った今でも核を取り巻く状況は何一つ改善していない。佐々木さんは、「日本でも(この問題は)風化されつつある。若い人に語り継ぐのは非常に難しい」と語った。だからこそ、この物語が、この舞台が、大きな意味を持つ。作品に触れた人々はそう思ったに違いない。

総領事公邸で歓迎会開催

今回の文化座公演に先駆けて、在バンクーバー日本国総領事館主催の歓迎会が8日、総領事公邸で開催された。伊藤総領事は、「ようこそバンクーバーへ」と一座を歓迎した後、今回の公演の話を聞いて、原子力について我々が考えるいい機会だと思ったとあいさつ。その後、乾杯と共に会は歓談の場へと移り、参加した俳優やスタッフも緊張するバンクーバー初公演前のひと時を和やかに過ごした。

(取材 三島直美)

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